明日に笑え! 公演情報 明日に笑え!」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 満足度★★★

    コント風の短編4本立て。前半2本はテンポよくなかなかに快調でしたが、後半2本はちょっと冗長でダラダラ感が出てましたね。旗揚げ公演としては健闘していると思います。次回作も期待します。

  • 満足度★★★

    2月14日(金) 18:00~に行きました。

    ネタバレBOX

    中では「前説」が好きでした。
  • 満足度★★★

     劇団旗揚げ公演は4作品のオムニバス公演だ。

    ネタバレBOX

    2019年女子3人で結成。今回上演の1「抜き打ち父さん」2「抜き打ち母さん」は、同一作家による作品、1では、いきなり父が都会に出た娘の部屋を訪ねてくる話、2はその母親版で植物系息子の部屋を母が訪ねてくる話でキャストが異なる。1では単語レベルで話が通じない娘には記号的にしか認識できない昭和を生きた父と娘のディスコミュニケーションが前面に押し出された作品という印象を持つと同時に家父長制が見事なまでに崩れ去った現代日本のかつての家長・父と現代娘のジェンダーギャップの大きさに着目すれば、それなりの社会戯評として面白いが、いかんせん父を演じた若い演者の年を取ることへの認識不足や人生経験の浅さ、役者としての経験不足を感じた。無理からぬ面はありながらも課題は多い。

     通常の演劇評価基準、即ち演技評価の点からみると、先ず人生経験を積むということの意味する所を考えずに役作りをしているので、演技が表層的、即ち役者本人の実存レベルから内的表現の発露として身体を用いていないという決定的な粗が見える。「神田川」、「名残り雪」正式タイトルは知らないが拓郎の「人間なんて」などの歌の歌い方にしても声の質は良いのだが、ジャパンポップスの歌い方ではない。(当然、歌い方にも主張が込められている訳だから、)この辺りことは。ポップスが如何に出てきたのかという音楽史的知識も持っておいた方が良かろう。先日ある研究会で発表をした研究者が現代日本でロックが体制批判的な歌詞の歌を披露したらロックが体制批判するとは何事か! と抗議する聴衆がいた、と驚いていた。当然だろう。ロックにしろ、60年代フォークソングにしろ、ヒップホップにしろ、ラップにしろ全部体制批判を眼目として出現した音楽群なのだから。そんなことも知らずにトンデモ発現をしていること自体が“訓練された白雉”と揶揄される原因なのである。世界から日本を見る目を持てなければ、少なくとも世界に向かって雄飛することなど夢のまた夢であると知っておくべきである。一方、ヒットする力があれば、それを利用して一儲け企むの奴が出てくるのが資本主義社会だ。だから多少気の利く連中は体制・反体制関係なく上手に利用して儲け、あまつさえ著作権という作者にとっての人参を鼻先にぶら下げて、本来表現に許されていた本歌取り的な利用も制限することによって、著作権保護を名目に企業の独占権を強めている可能性は否定できまい。

     2では、母には完全植物系と見えていた息子の住まいを訪ねてみると、息子は同世代の女子と付き合っており、既に同棲迄しているということが信じられない。面白いのは、こういった親密な男と女の人間関係の中で(Ex.夫婦、親子など)男と女が敵対した場合、男は極端な場合、浮気した女房を殺すが、女は自分の男の浮気相手の女を殺すことが多い、という話を聞いたことがある。キチンとしたデータに基づいた社会学的に実証されていることを自分で確かめた訳ではないから、ハッキリ言い切れる訳ではないが、何となく、女性が大切にしている男に裏切られたと感じた場合、裏切らせたと感じた女を敵対視する傾向が強いようには感じる。この辺りの女性同士、男女関係についてもジェンダー概念を導入して考えてみると面白かろう。こういったジェンダーレベルでの関係があるからなのか、1より2の方が作品としても自然な仕上がりを見せているように思えた。従って単純に父と娘、母と息子というだけの単純対比作品とは捉えなかった。

     3は「コンビニ・ブルース」コンビニの夜間バイトをしている男女、女性は26歳、男の年はハッキリしないが年下である。この男、兎に角ズボラ。ズボラの塊のような男で、口から出るのは何ら根拠のない駄法螺と、己が何もしないで済ますため、相手の拒否できないような状況や念を利用して他人をこき使う下種な能力である。この若者は生まれて初めて就業しているのだが、実際に仕事は全然していないのは先述した通りである。そんなコンビニに、強盗が入った。金庫から金を奪おうとした犯人は、包丁を持って、客対応に出た女性を人質にとったのであるが、結局は簡単にノサレテしまった。若く狡い店員に首筋を手刀で一打ちされ伸びてしまったのである。店員2人は、強盗犯を生け捕ったお手柄店員としてTV報道されることに夢を馳せるが、実際に捕り物劇が進行したのはバックヤード、監視用カメラに映像は映っていないとして。犯人の被っていた覆面、上着を女性が着、前に撮られていたリアル映像を消し、再度演技した場面を撮ろうということになった。映像を撮り終える頃犯人は息を吹き返し、自己事情を話し始める。グローバリセーションが席巻する今日の日本、その犠牲者となった彼の話は他人の心を撃つものであったが、若い店員は如何にも狡猾なキャラらしく、金庫に入っていた60万を3等分して強盗犯に総ての罪を被せ、バイト2人で残りを山分けしようと女店員に持ちかけた。さて、ラスト、バイト2人には新たな難問が持ち上がるが。未だ上演中故、それは観てのお楽しみだ。

     さて、オムニバスのラストは、タイトルも如何にもいま風の4「幸薄い選手権」である。ノミネートされたのは、33歳、本厄、32歳前厄の▽商事事務職の先輩・後輩社員2人、2人のうちどちらがより幸薄いか、評価される対象が僅か2人というのはちょっと鼻白むので、決勝戦という設定にした方が良かろう。解説者などもきて“盛り上がって”いる訳だから。
     ところで、自分が如何にも今風と感じたのは、評価される側、評価する側、何れもが実際に自分たちが生きて死ぬ現実社会を、リアルに人間的で社会的なごった煮とは捉えておらず、ヴィヴィッドな闘争をしながら生きているというより、一見淀んで波風も立たず、生きているのか死んでいるのか既に定かとは感じられないような淀みの、緩い流れに浮かぶエパーヴよろしく漂う現代日本人の退屈まぎれの「ゲーム」という感覚に漂っている目出度さだけ。計算できるから楽しんでいるのではなく、否全く逆にフェイクや詭弁、嘘が多すぎ、最早1次情報からは余りにも離れた「情報」ばかりが飛び交う嘘八百情報氾濫地獄の中で、メディアリテラシーという基本技術も持たずに流され、己自身を批判的に検討するだけの知恵も欠いて人間の面を被った只の余計者として存在していることをまともに見据えることすら(つまり人間として生き残る可能性の最後の砦を自ら放棄した姿を己に突き付けもせず、鵺の一部を形成してゆく生きた振りをした精神的遺体)放棄していることで既にそれを演技すべき内実を喪失しているにも関わらず、演技を評価して評論家にでもなったつもりらしい。寂しく、愚かで、訓練された人畜、即ち日本人の戯画。そのような日本人の実態から目を反らしていること自体が、この「国」の本当の寂しさではないのか? そう捉えると面白い。

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