闇にさらわれて 公演情報 「闇にさらわれて」の観てきた!クチコミ一覧

★ 満足度の平均 ★ ★ ★ ★ ★ 3.5
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  • 満足度★★★

    日色さんの芝居はすさまじい緊張感と説得力があり、その上で飄々と対峙しているところが素敵だった。

    最後の台詞はこの芝居の核であり、ピークモーメントだったとおもう。

    しかしそこに至るまでが、役者は若手もベテランもそれは上手いのだが、「今この芝居をやる」という切迫感のようなものが薄かったのは残念。


    舞台装置や照明も見事だった。

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2019/07/01 (月) 18:30

    座席18列19番

    民藝って、やはり文学座や俳優座とは違うんだなあ、と改めて思った。民藝の舞台は、日本人作家の作品しか観たことがないので、何とも土着的な作品の風情がそう感じさせると思ったけれど、海外作家でも同じような舞台演出になるのだなあ、と。

    舞台を部分部分で切り取り、登場人物を明暗で切り取りながら場面展開をしていく。一定面積の舞台を、小道具を入れ替えながら、執務室、収容所、街路、居間、ホテルと展開していく。なので、役者の可動範囲は、中央を使う時以外は、かなり狭い。それでも中央以外に、場面を作るスペースを作る都合で、中央もけして広いわけではない。紀伊國屋サザンシアターとなれば、推して知るべし。しかし、ある種の芝居には、この空間の作りがとても良く合う。今回の作品もそうだと思う。劇的な事件や変化が起きない、淡々とした芝居。役者が内面からセリフと所作で、語り演じる芝居。その空気感がとても心地よい。

    舞台では、過去にあったナチス突撃隊の犯罪行為をハンス・リッテンが、ヒトラーに断罪するという法廷場面が、ある意味一番の見せ場。ここは、ラストの回顧場面として、神敏将演じるハンスによる一人芝居(ヒトラーは声だけ)で演じ切られ、そこまでの鬱屈とした物語進行にカタルシスをもたらす。
    しかし、一方で、そこに至るまでにそれぞれにスポットが当たる、場面場面でのストレートプレイの連続がこの舞台の見せ場だろう。収容所内でのハンス、オシエツキ―、ミューレンの会話や寸劇、リッテン夫妻の会話、リッテン夫妻とアレン卿のやりとり、ハンスとグスタフの親交、ゲシュタポの暴力風景、そして最後近くにやっと叶ったイルムガルトとハンスの体面。これらの繋ぎ合わせが、物語を先の法廷場面に収斂させていく。

    その中でも、イルムガルトとコンラート博士とのやりとりが全編を通じて秀逸。双方に行きかう軽蔑と嘲り、弛まない信念、それとない比喩と嫌味、ともすればギクシャクする対話が両者の心の揺れと戸惑いを表し、次第に心の交流が生まれる。私服になったコンラート博士は、イルムガルトの心境に同情も寄せるし、慈愛すら感じさせる。
    とはいえ、そこが甘くはないのが海外戯曲。制服に戻ったコンラート博士と対峙するイルムガルト、双方の目的達成に妥協はない。獄中の突撃隊兵士開放のために、ハンスから証言者情報を得ようとするコンラート、息子の開放のみを求めるイルムガルト。そして、その唯一の解決案を、母親の教えと自らの矜持、信念のために拒否するハンス。

    結末は悲劇的だが、そこには昇華されていくハンスの魂があったような気がしてならない。

    日色ともゑさんの声よく通るなあ。

  • 満足度★★★

    テーマの割には、意外に起伏のないストーリー展開に感じられた。演出の問題なのか?それとも原作の問題なのか?母親とコンラート博士のやり取りの場面、母親と息子の対面の場面など、もっと緊迫感があっていいように思うが、淡々と落ち着いた、静かな展開で、どうなのかな、と。ベテラン俳優たちの演技は申し分なく安定的。

  • 満足度★★★

    最近多い気のするナチ政権下の悲劇を描いた舞台です。ん〜ただ第一幕の獄中の場面が私はどうも...ひとりこぼれてしまったような状態に。なんだろうあの感覚は。全体的にはいい舞台だったと思うのですがね〜。

  • 満足度★★★★

    ヒットラーのナチ政権の所業は20世紀の悪夢と言うが、今なお繰り返し舞台でも上演されるのは、まだその悲劇を克服されていないからだろう。
    「闇にさらわれて」は2014年初演のイギリスの戯曲。テレビ出身のマイク・ヘイハーストの処女戯曲の民芸による日本初演だ。ユダヤ籍の青年弁護士(神敏将)が、ナチ政権以前にヒトラーを裁判の証人としたことで疎まれ、政権発足後に捕らえられ、強制収容所に収容される。一幕は彼の獄中生活。第二幕は彼を解放しようとする母(日色ともえ)の闘いが軸で、舞台は進む。
    戦後70年を超えると、ナチ、反ナチの単純な対立項ではドラマは成立しない。身の回りで起きる小さな日常が積み重なって、ヒットラーの社会は生まれる。そこを、この作者は、一幕の単純な反ナチの弁護士と獄窓を共にする同志から始まり、現実派の父親や、行動論理があやふやなナチ親衛隊員、二幕には同盟を試みようとするイギリス貴族(篠田三郎)を、配して重層的に検証していく。なぜあのような悲劇が生まれたのか。
    ヒトラーが率いた政治体制のホロコースト、侵略主義、選民思想などは、まず明確に責められるべき要因ではあるが、政治であれ、経済であれ、はてまた学術の世界であれ、全体を覆う風が強く吹けば、それに乗じる日常の権威は生まれ、その権威は暴発する。風の中にいる人間は気がつかないのだ。そこは現代のポピュリズムにも通じるところだ。
    「アンネの日記」をはじめ、戦争の検証では多くの舞台を上演してきた民芸の舞台だから、今回の新作も無難に進む。一幕の獄中の描写などは、いささかパターン化しているが、基本的は「母もの」なのに、情緒に流れず、無理に結論を急がず、戦争ものは手慣れた、という感じだ。
    しかし、多分、この公演の一番の問題点はそこだろう。
    年金受給年齢を越える老人が圧倒的に多い客席は、民芸らしい舞台で安心して見ている。
    だが、本当にこの芝居と向き合ってほしい戦争を知らない世代がいない。老人は夜道が不安だろうと若者が見られる夜の公演はわずかしかない。いつも常打ちにしているサザンシアターの舞台も地方の公会堂を回るサンプルとしては便利であろうが、いつまでもそれに安住した咎が出ている。舞台と客席の間に馴れ合いの冷たい風が吹いている。現実には、民芸は、もうこの中劇場は荷が重い。
    キャストは9人、もっと小さな劇場でやってみたらどうか。例えば風姿花伝。トラムとか東芸の地下のような既成の場所でなく、まだ形の決まらない劇場でやってみる。俳優も演出も、それはもう、パラドックス定数やチョコレートケーキよりはるかに手だれのキャストスタッフが揃っている。観客にとってもベテランの新しい発見があるだろう。それは経費が、友の会が…と制作部は言うだろうが、もうそんなことに構っている場合ではないだろう。ほかの上演団体は皆ここで勘定を合わせているのだから。


  • 満足度★★★★

    鑑賞日2019/06/24 (月) 13:30

    座席1階

    記憶が間違っていたら申し訳ないけど、コンラート博士のせりふで「良心が重なり、共謀罪になる」という一瞬があったような気がする。何だかドキッとして心に残ったのだが。多くの市民の良心が積み重なって一つの事実が作られていき、それが当局によって共謀罪に仕立て上げられていく。つまり、一人一人の市民は良心から行ったことが、最後は市民が政府にたてつく共謀として立件されていく。そんなふうにとってしまったのだ。
    単なる聞き違いかな、とも感じたのだが、タイトルにもある「闇」は、自由にモノが言えない、息苦しい闇であり、たてついたものは拷問の末消されていくという世の中だ。
    以前なら、遠い昔のファシズムの歴史的一幕とか軽く受け流すことができる舞台だが、今の日本は身につまされる恐ろしい演劇だ。シャレにならないというか、冗談では済まされないというか。そうした闇にたった一人で立ち向かっていくお母さん、イルムガルトはすごいと思う。ドイツ当局は女性だから手荒な真似はしなかったようだが、現代中国では女性でも政府にたてつくものは平気で幽閉し、拷問をする。昔話ではない。市民の他愛ない話を共謀罪にかけることができる法整備が既に終わっている日本だから、もう他人ごとではないのだ。
    以前からあった名作という感じだが、2014年英国初演の舞台という。民藝が日本初演ということでチャレンジした。イルムガルト役は看板女優の日色ともゑ。この長大な会話劇を小柄な全身をいっぱいに使って演じきった。パンフレットによると、この役柄の女性への思い入れはずっと前に経験したあるエピソードが源流という。強い芯のような一本の筋が、彼女の舞台を支えていたように見えた。
    翻訳と演出を担当した丹野郁弓が「読むだけでも精神的は疲労度は相当高い」と漏らした硬派劇だ。見る方も心してかかりたい。

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