※CoRich運営事務局はテーマの真偽について調査を行っておりません。募集情報に応募する前に、投稿者のプロフィールや公式ウェブサイト等をよくご確認ください。
カテゴリ:オーディション告知 返信(1) 閲覧(4395) 2019/11/17 19:00
これまでご応募して下さった皆様、ありがとうございます。
当日にお会い出来るのが今からとても楽しみです。
ワークショップ日程の【A】2019年12月16日(月),17日(火)ですが定員に達したため締め切らさせて頂きます。【B】2019年12月19日(木),20日(金)は、まだ余裕がありますので是非、ご応募お待ちしております。
両日とも開始時間が18時00分~21時30分とありますが18時30分~21時30分に変更しましたのでご了承ください。
TOKYOハンバーグでは劇作の大西がいつも執筆のため取材に出掛けます。今回も取材に行っており、そのレポを本人のFacebookで投稿しておりますので添付させて頂きます。
■■■取材レポ■■■
【そのお金は誰のもの?】
先日の取材、現場は横浜日ノ出町あたり。三階建てのマンションの最上階の一室。外観はリフォームされていて綺麗だけれど内観を見る限り築30年ってとこ。
作業員は俺を含め4名。うち一人フィリピンの男性。とても気さくですぐに仲良くなった。俺たちは手を合わせてから玄関を開ける。全日にバルサンを炊いたそうでゴミの上でゴキブリがいっぱい死んでいる。入ってすぐ右にキッチンと冷蔵庫。防護マスクをしていても冷蔵庫の中の異臭が鼻を刺す。奥はタイル張りのお風呂とトイレ。キッチンの向かいに六畳の部屋と襖の向こうの押入れがある。部屋は俺の腰の高さまでゴミがあり床は見えない。
仏さんはいつもどこで寝ていたんだろう?と、まずはそう思ってしまう。
生活ゴミの中には、生前好きだったであろうお茶のペットボトル、焼酎の瓶、ヘアスプレーの缶、好きだった煙草の空き箱。エコーなのでソフトか。が、兎に角散乱している。エコーはケースがオレンジなので、薄暗い部屋のなかでオレンジが眩しいくらいだった。
ゴミの中からベース2本、エレキギター2本、アコースティックギター1本、ウッドベース1本、シンセサイザーなど、音楽をやっている人だったらしい。弦も音楽専門誌も沢山あった。
可燃、不燃を分けながら、ゴミの底から床を探す。小さなゴキブリは生命力が強いようで、そこそこ生きている。床に辿り着くと、小銭がゴミのように落ちていた。
6畳の部屋から7割くらいのゴミを袋に詰め、スペースを作るためにベランダにゴミを置いた。ベランダには俺が出た窓の隣に同じサイズの窓があった。あれ、この窓、どこに繋がっているんだろうと少し気になったが、今日中に終わらせるということで、すぐに部屋の中に戻って、残った襖を開け押入れへ。すると中は丁寧に分別されたゴミが袋にパンパンで天井まであった。
分別されていると楽だ。袋は劣化している可能性があるから持参した業務用ゴミ袋にまんま入れれば良いだけ。
押入れから出されてくるゴミ袋をゴミ袋に入れていると社長が・・・
『あれ・・・』
『どうしました?』
『大西さん、これ見て』
『・・・え。これ、押入れじゃないですよね?』
『うん、どうやらそうみたい』
そう、押入れと思っていた襖の向こうは同じ六畳の部屋だった。この部屋は天井までゴミの山、というより、ギュウギュウに詰められていた。
『うわ・・・見積もり間違った』
『これだと、あと幾ら上乗せするもんなんですか』
『最低でも10万だね』
『マジっすか』
『てか、これ今日は終わらないわ。大西さん、明日も来れる?』
『え・・・』
『あ、ごめん。バイトで来てるわけじゃないもんね。でも、明日空いてない?』
『明日は空いてないです、すみません』
『いえいえ。じゃあ、今日やれるとこまでお願いして良い?』
『勿論です』
ゴミを掻き出していくと、箪笥などが見える。ゴミの中から幼児クラスの子供の玩具も出てきた。箪笥の中からは婦人服や幼児の服も。俺たちはそれを容赦なくゴミ袋に詰めてゆく。
ゴミの中から平成10年度の健康保険証を見付けた。見ると仏さんは昭和30年生まれ。下には奥さんの名前があって45年生まれ。その下に息子さんの名前があって平成5年生まれ。俺がさっきまでゴミ袋に詰めていた物は、ちょうどその保険証に記載されている家族たちの時代の物だった。
これはゴミじゃなく、この家族の暮らしの破片だ。
この時代で、この家族の歴史が終わってしまったかのように思えた。いや、何らかの理由で終わったんだと思う。この襖の向こうにあった天井まで積み上げられたゴミの部屋は仏さんの思い出の部屋だったのかもしれない。きっと捨てれなかったんだ。子供の玩具や服とか。この家族に何があったのかはわからない。けれど、ゴミになってしまった暮らしの破片が色々な想像をさせる。
取材させてもらっている会社の事務所に戻り、入り口に置かれている画像のお金たち。これらは、すべて特殊清掃の現場から出てきたお金だそうだ。遺族も引き取らないし、捨てる訳にもいかないから、消毒をして両替するそうだ。でも、一度も両替をしたことがないと社長さんは言った。
〝セルフネグレクト〟は総じて部屋がゴミ屋敷になるそうだ。そのゴミから孤独死した人が投影する。死んだら何も持ってゆけない。思い出なんて死んだ後に残っているのだろうか?
生きている間だと強く思ってしまう。生きている間に、どんな生き方をするのか、どこで生きるのか、誰と生きるのか、生きて何をするのか、何を見るのか、何を感じて考えるのか。
今生きている俺は〝孤独死〟とは、いったい何なのか?何故、そうなるのか?誰が孤独死するのか?孤独死?孤立死ではないのか?で頭の中がグルグルしている。
嗚呼、そんなことを演劇にしていったい何になるのか・・・そりゃエンターテイメントや2.5次元の方がお客さんは入るよね。いったい、俺は何を書こうとしているのか?
書いて何になるのか?じゃあ、書くのをやめたら何があるのか?本気で書いてやる。本気で書くのを辞める。の先に行かないと、今回の作品はこれまでの自分を越えれないような気がする。気がするではなく、そうだと思う。でも、自分を越えるとか越えないとか、いったい、それが何なのか?
生きている間に何をすれば、俺は生き切った時に自分に感謝できるだろうか?消毒水に漬かるお金たちを眺めていると、今までに抱えたことのない疑問符を背負ったような気がした。
嘘ばっかりこいている総理大臣様にも、こういう現場で30分でも良いから働いてみてほしいよ。如何に、手前がクダラナクテサモシイ生き方をしているか明瞭になると思うよ。
TOKYOハンバーグ制作部
人気テーマ
新着テーマ