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自分の「人間」としての「個性」は出すのと出さないのとどちらが正しい?

  • itomasa7 itomasa7(220)

    カテゴリ:フリートーク 返信(3) 閲覧(298) 2015/06/28 00:01

以前、Wキャスト以上に入れ替わりのある舞台で、
こんな感想を書いた事があります。
そして、役者さんのツイキャスでも話を振ってみました。


【自分の感想】
「○○さんの演技は、○○さんの個性がすごく出てて、
観ていて他との違いが引き立って面白かった」
「××さんはやさしい人間性で攻めて、
○○さんは狂気を内包する人物、として
それぞれ同じ役を違うアプローチで演じよう、
と考えて表現してみせたのが面白い、
これこそマルチキャストの芝居を観る面白みだと思う」


【ツイキャスでのある役者さんの反応】
「自分は、演出に望まされる像を演じる事を目標にしているので、
”個性”を表に出すよりも、まず演出の目指す”像”だけを
イメージして演じている」




1観劇者の自分は、自分の【自分の感想】に書いたように、
役者(表現者)それぞれがそれぞれの目指す形で、
色々考え想像し、自分の目指す「役A」を目指してくれた方が、
同じお芝居を別のキャストが演じるのを観に行く意味がある、
面白い、と思いました。


ただ、ある役者さんとしては、
「役者が演出指示に従わず、勝手に”個性”を出していくよりも、
自分は演出の指示を信じ、それに従う」と。


役者さんのスタンスとしてはもちろんそれが正しいのだと思いますが、
観に行く観客の立場からすると、
例えばWキャストでどちらの回を観に行っても「特に違いは感じられなかった」
と言われるよりも、
「○○さんの回はとてもテンションの高いA役、
逆に××さんの回はちょっと落ち着いたお姉さん的なA役、
をそれぞれ観られたので2回行って良かった」

という意見が出そうな気がするんですけどね。


何が聞きたいかというと、「役者の人間としての個性」は
どこまで出していいのか?
という事です。
(演出指示に全て従い、自分を殺すのか、自分の良さ(と本人が信じているもの)を
なんとか活かせる方向に調整していくのか、と)
  • うーん。少しだけつぶやきます。

    役者の個性って 意図的に出したり引っ込めたりできるのかと。

    個性って たぶん演じる側にはわかんないんじゃないかと。

    本人が微調整できるのは 個性じゃない。それは「癖」の類いだと思う。

    2015/06/29 20:42
  • >junjuncatさん
    >役者の個性って 意図的に出したり引っ込めたりできるのかと。
    >個性って たぶん演じる側にはわかんないんじゃないかと。
    >本人が微調整できるのは 個性じゃない。それは「癖」の類いだと思う。

    あ、「個性」という言い方がちょっと
    ピッタリな感じではなかったかも知れません。


    以前観た舞台では同じ役に対して、
    役の詳細設定(思考、しゃべり方から何から)が
    演じる役者さん(Wキャスト以上なので複数人)によって

    脚本/演出家の指示を越えて、
    かなり自由に表現する事が許されていたのもあって、
    役に対しての「役者の個性」と書いてしまいました。




    例えばですが、
    ある「役」に対して脚本家が決めた背景設定は
    「役」の「人間」としての全部ではありません。

    同様に演出家が演技指導などをするのも、
    お芝居の中で演じられる「主な」台詞、所作その他までかと思います。


    それに対して、役者さんが自分の演じる「役」の背景を更に深堀りし
    (脚本家の考えた設定よりも更に)、

    役者さん「この役、Aさんってあの場面での行動から考えても、
      こういう理不尽な事に対しては怒りを内包しきれず、
      その佇まいのどこかその感情を出してしまうと思うんです。

      それを示す為に、”怒り”の感情を持っている時は拳を強く
      握りこむ形で表現したいのですがどうでしょう?」

    のように、役者さん側から脚本/演出家側へ提案して、
    「役」自体に更なる深みを与える行為、

    そういったものを本スレッドでは
    「役者の(出す)個性」と書かせていただきました。

    ※ 上記例に近い事を、実際ある役者さんが脚本/演出家と調整した上で
      色々とお芝居中に盛り込んでいるのを、
      アフタートークの中で聴いた事があり、
      自分はその「役者としての、演じる役に対しての、こだわり」に
      かなり感心してしまいました。
      (複数回の観劇では、その「こだわり」場面を観る事自体も楽しみになりました。)

      ただ、これと逆に、あくまでも脚本/演出家の「求める像」
      としての役をその指示に従いどこまでも追求する、
      というスタンスの役者さんもいました。

      これもこれで間違いではない、脚本/演出家が「観客に観せたい」、
      と思っているものに対してまっすぐなスタンス、とも取れるのですが、

      自分はどうにも、役を更に深堀りし、
      脚本/演出家の想定を越えて、
      観客が”見えない/気づかない”かも知れない、

      だけど「役が”人間”である以上、そこにこだわりたい」
      というスタンスで俳優をやられる方の方が、
      「観ていて面白い」と感じました。


    あ、長文すいませんm(_ _)m

    2015/06/30 00:54
  • 連投すいませんm(_ _)m


    あと、これは本当の意味の「個性」「癖」にも近いと思うのですが、

    「自分はこういう演技が得意だ!」

    「こういう演技で認めてられていると思っている!」

    「自分はこの役を”こう演じたい!”」

    など役者さん自身の実績や表現力、その意図などでもって、

    例えば、ある役を演じる事になったとして、
    (練習時点でも本番と全く同様の演技をするのか、
    あるいは練習時点ではあくまでもそこまで気持ちはのせず、
    感情などは本番で初めてのせるのかは、1観客の自分には分かりませんが)


    自分の演技に大きく「熱量(気持ち)」をのせて
    (発汗するほどの「気合」や、雄叫びのような発声、気持ちのたかぶりを示す涙など)、
    感情表現を観客へより伝わりやすいよう強く豊かにしてみたり、


    という「表現の仕方」にかける「熱量の大きさ」などは、
    「役者の個性」(と呼べるのかなあ?)と思います。


    色々なお芝居の中で同様の役を演じる様々な役者の方々の中にも

    ・ あえて「本来の自分」に近づける事でリアルさを出す為に
      (役に入り、心の中では様々な方向に気持ちを動かしても)、
      それを「前面に押し出さない」、
      ちょっと淡々とした演技をする方

    ・ 最初から最後まで「役自身の気持ちが降りてきた」かのように、
      本来の自分自身の人間性とはかけ離れたような
      強い意志を持って演じる方

    など、色々な「演じ方」があり、

    (脚本/演出意図の範囲を越えて、表現しようとしているものについては)
    それは「役者の個性」と呼んで良いものではないかな?
    と思います。



    書いてみて、「役者の個性」というのは間違いなくある、とは思うのですが、
    これが「役者の個性」だ!
    という上手い説明が出来ないのがもどかしいですが・・・

    2015/06/30 08:58