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カテゴリ:ワークショップ告知 返信(121) 閲覧(7079) 2014/04/01 15:06
「無料体験レッスンの内容2」
(前回の続きです)
実際の演技参加の際、おやりになりたいテキスト持ち込みをOKにしているのは、
もしその方が演技を練った役、稽古を積んだ役があるのであれば
それを見せていただき、その場で僕がその方が納得出来る、有効なアドバイスを
出来るかどうか、僕の方のハードルが上がった状態で僕のレッスン講師力を
判断していただきたい気持ちからです。
初見のテキストなら上手く出来ない可能性は高いです。
練った演技を提示してもらい、そこから更に良くなる為に、どんな言葉を伝えられるか、
抽象的なこと、単なるイメージ、漠然としたことは言わず、
どんな具体的な言葉が僕自身から出てくるのか、
あらかじめ用意したレールではないレッスンをしたいといつも思っています。
そして約40分間のウォーミングアップ、発声練習を丸々一緒に体験していただきます。
なぜこれをやる必要があるのか、全て理論を説明しながらだと
レッスン時間に食い込んでしまうので、無料体験時は簡単な説明のみにして
ご自分の身体とメンタルの変化を体感してもらうことに重きを置いています。
その後、メンバーによる場面演技(シーンスタディ)のレッスンを見学していただきます。
こちらは実際の撮影や舞台本番に向けての稽古のように、細かく演技を構築していくレッスンで、
事前に台本を覚えて行う性質上、無料体験参加者は基本ご見学、という形になりますが、
演じては感情を開放出来ない部分、相手役とタイミングがずれるポイントを自覚し、
理由を考え、アイディアを試して、もう一回、もう一回と演じ続けてみる
レッスンの質や量を確認してください。普段通りのレッスンをご覧いただきます。
役を生きる時間を大らかに楽しむ面と、演技を細かく工夫する面両方を感じていただきたいです。
http://yuichisato.com/
「2月11日アトリエ公演」
道場は池袋駅徒歩10分に専用稽古場を持っています。
時間を気にせず演技がたっぷり出来るのも専用稽古場に依るところが大きいです。
本来のレッスンスタート時間の30分前には自主的に集まって、
ウォーミングアップ・発声をスタートさせるのが常になりました
(HP情報やチラシ、作り直さなくちゃ・笑)。
レッスン時間以外に、自主練をしたり、僕も参加して
レッスンとは違う台本に取り組んだり、メンバーが今度やる本番や
挑戦するオーディションの課題に一緒に取り組めるのも
気兼ねなく使える専用稽古場があればこそです。
道場では希望者に会場として貸し出し、アトリエ公演(稽古場公演)もやっています。
2月11日(水・祝)12時、16時開演で、
昨年から道場レッスンを始めたメンバーたちの自主公演をします。
作品選びからワークショップ、本番まで全て自主性に任せました。
口も手も出したくなるのを我慢しつつ。
萎縮させたくないので、レッスン後みんなが自主稽古を始めると
邪魔にならないようにそそくさと稽古場を後にしていました。
気兼ねなく使える場があって、いざとなればサポート出来る環境だからこそ、
自由にやってほしいと思いました。
壁にぶち当たったり思うような演技が出来ずイライラすることも含めて
自分にたっぷり時間をかけて楽しんでほしい。
昨日僕は、レッスン後稽古場の個室で、実際の仕事に取り組むメンバーの
演技コーチをしていたのですが、聞こえてくる稽古の声を耳にして
その演技の出来栄えと目指すところに嬉しい気持ちになりました。
アトリエ公演をもっとやりやすい環境を作っていきます。
2月11日、ご都合つかれたらぜひいらしてください。
http://yuichisato.com/
*ヴォイス&アクターズ道場アトリエ公演*
\'14年同期と同期だけで創り上げていく同期との初舞台。はじめの一歩を踏み出します。
\'14年同期公演...
「はじめの一歩」
【日時】
2015/2/11(水)祝
12:00
16:00
【場所】
ヴォイス&アクターズ道場
(池袋駅北口より徒歩約15分)
【布団から始まる】
脚本:あくまきち
演出:玉腰裕紀
いのいみーこ
牛腸侑志
清水めいり
福田あやこ
森広高
【不動産を相続する姉妹】
脚本:田辺剛
演出:いのいみーこ、清水めいり
玉腰裕紀
福田あやこ
くりはらさちこ
前売り当日共に¥300
今回はオムニバスとなっておりますので、両時間とも2本立てでお送りします。
ご予約、お問い合わせは
yuiyui1573@gmail.com
までお願い致します。
皆様のご来場を心よりお待ちしております。
「楽園」
26日はヴォイス&アクターズ道場を創設された先輩・亀山助清さんの命日でした。
三回忌。会えなくなって二年という時間が自分にとって
あまりにもいろいろなことがあり過ぎて、もう二年、まだ二年、
どちらでもありどちらの言い方もピッタリとは来ない、感覚が麻痺している気がします。
楽園を作りたいと聞きました。
助清さんと飲む時はたいてい道場生や事務所の俳優、共通の友人が一緒で
案外二人きりで飲む機会は少なかったです。
吉祥寺シアターでの観劇後、駅前の居酒屋で二人で乾杯。
助清さんはディズニーのくまのプーさんの吹き替えも評判が良く、まさに脂が乗っていました。
後輩としてうらやましく話しを振ると、意外や演技のこと、道場のことなど
抱え込んでいらっしゃる悩みを率直に、実に真剣に話してくれました。
僕もこの時助清さんに打ち明けた話しは、未だに他の誰にも話していません。
僕にとって貴重な時間でした。
気軽に、自由に、でも本格的に、演技に励める楽園を作りたい
そう話してくれました。
「楽園」という言葉がその時の僕には突拍子なく聞こえましたが、
助清さんが真剣に話す熱に引き込まれました。
・演技を始めようと思っても、システム的に、金銭的に、気軽には始められない人が多い。
・演技を楽しむことは続けていきたくても、期限の制約、条件の縛りなどであきらめてしまう人も多い。
・プロになったからこそ、プロで居続ける為に、
芸を磨いていなければいけないのに、その環境を持てない人が多過ぎる。
そんな「演技したいのに思うようにならない」あれもこれもを引き受けられる場を作れないか、
それが助清さんの云う演技の「楽園」でした。
あれからまだ数年しか経っていないのに、もう助清さんは旅立ち、二年も経ってしまった。
人間は人の声を思い出すというのは五感の記憶の中でも最も苦手だそうだけれど、
僕はあの時の助清さんの声を今でもアリアリと耳の奥で聴くことが出来ます。
「楽園」
やる気ある人なら誰でも受け入れられて、その人の夢・目的に合った楽しみ方が出来、
仕事や学業と両立出来ながらも、ここに来た時にはいつでもガッツリ演技が出来、成果を挙げられる。
夢みたいな話しだけれど、不可能な夢じゃない。
二年かかったけれど、それははっきりと分かりました。
僕は今毎週、人の夢と向き合っているのだ。光栄だ。僕も楽園を目指したい。
「はじめの一歩」
今週のヴォイス&アクターズ道場は通常のレッスンにプラスして、
11(水・祝)のアトリエ公演の稽古、レッスン生それぞれが出演する
三公演の報告やアドバイスの求めを受けて、実際の台詞のクリア出来ない点を
時間外に見て試行を繰り返したり、ナレーションのお仕事の案件に
レッスン生が挑戦したりで、なんだか一週間が5日しかないような週でした。
でも、こういう時特に、時間を気にせず演技し続けられる専用稽古場がある喜びを感じます。「
時間には追われ続けていても、ずっとずっと演技に集中していると、
本当に時を忘れる程です。
11(水・祝)12時、16時開演でアトリエ公演
「はじめの一歩」二本立て公演を行います。
「はじめの一歩」組には、僕は自分のスケジュールの空けられるところは全部伝えて、
要望があるのを待つ、というスタイルを取りました。
自分たちでやりたいという意思を活かしたいと思いました。
僕の経験値から言えることはたくさんあるけれど、それは最小限にして
自由に使える稽古場を活用して、僕がいれば10分で済むところを
30分も40分もかけて、ああでもないこうでもないと試行錯誤する・・・
それ自体が贅沢な経験に(きっとその時はそう思う余裕もないだろうけど)
なると考えました。
そんな環境で試行錯誤出来ること自体、珍しい。
それを知っているから、自分が若い時、こんな場があったら・・・を
これからも続けていきたいです。
\'14年同期公演
「はじめの一歩」
【日時】
2015/2/11(水)祝
12:00
16:00
【場所】
ヴォイス&アクターズ道場
(池袋駅北口より徒歩約15分)
【布団から始まる】
脚本:あくまきち
演出:玉腰裕紀
いのいみーこ
牛腸侑志
清水めいり
福田あやこ
森広高
【不動産を相続する姉妹】
脚本:田辺剛
演出:いのいみーこ、清水めいり
玉腰裕紀
福田あやこ
くりはらさちこ
前売り当日共に¥300
今回はオムニバスとなっておりますので、両時間とも2本立てでお送りします。
お時間ございましたら、ぜひご覧ください。僕も両回とも、会場でお待ちしています。
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「新稽古場の基準」
稽古場を会場にしてのアトリエ公演「はじめの一歩」
無事打ち上げました。
企画からバラシまで、メンバーの自由意思と自主性にまかせた公演。
創作のときめきも制作の苦労も両方味わえた公演。
サポート入るからねとは言いましたが、結局僕は離れた場所で待機ばかりで
彼ら自身でなんとかしようとし、実際実現出来て大変頼もしく感じました。
面白おかしいだけじゃない、苦しいことも含めて「演技の喜び」です。
それを体感出来る場の大切さを再認識しました。
ヴォイス&アクターズ道場は、現稽古場のあるビルの
老朽化による取り壊しに伴い、今年4月から
池袋駅より徒歩4分、今より1.8倍の広さの新稽古場に場所を移します。
亀山助清さんが開いた、好きなだけ演技を楽しめるこの稽古場を、
この環境を無くしたくない一心で、急逝された時継続を決心したのが
まだほんの二年前。まさか二年で老朽化により取り壊しが避けられない
状況になるとは夢にも思いませんでした。
道場というのは、場所のことを指すのでなく
そこに集う人の念、思い、精神のことを指して助清さんは名付けたのですが、
それでも、開いたその場所そのものが無くなるのは申し訳ない気持ちでいっぱいで、
移転の諸々に忙殺されることよりも、精神的にやりきれない気持ちに捕らわれたまま
12月はじめから現在まで過ごしてきました。
「はじめの一歩」公演に接して、自分の中で勢いが付いた気がします。
ヴォイス&アクターズ道場は今17年目。
助清さんの魂にも付いてきてもらい、新稽古場をOPENさせます。
俳優・声優養成所としては贅沢な設備を整えて、
やる気ある方が毎回それこそお腹いっぱい演技を楽しめる環境を今以上に発展させていきます。
「自分が若い時、こういう場が欲しかった。」を基準に。
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「のど声の向こうに」
本当の声って何だろう。
僕自身、若い頃演技をしていて
「声を作らないで。」、「それは君の本当の声じゃないよ。」
云われ続けてきました。
こんなに一生懸命演っているのになぜ?
繰り返すほどにいつの間にか、用意した言い方、セットされた声と共に、
感情までただ「なぞる」だけになってしまう悪循環。
・一人ひとりに手取り足取り時間をかけられない、
・アドバイスも抽象的な言葉しか投げかけない、
・繰り返し演技し変化を感じる時間的余裕がない、
一般的な演技レッスンのシステムでは上記状況が派生しやすく、
当時の僕も「上手くなりたければ自分で這い上がって来い。」なレッスンに
自分でなんとかしようと思い無我夢中で結果、
出口のない同じところをグルグル回るだけのような稽古に陥っていました。
上手くなりたければ自分で這い上がるしかない、それは事実だけれど、
這い上がりやすくなる為のサポートはもっと出来るのではないか。
若い頃、自分が遠回りをした経験から、
「あの時、こうしてもらえてたら」が僕のレッスンのいつもテーマです。
あの頃の共演者たちには申し訳ないことをしました。
演りづらかったと思う。
あの頃の自分の声、演技をどうすべきだったか今なら分かります。
道場で演技レッスンを始めた方にも、
演技するイコールのど声になりがちなことに悩んでいるメンバーがいます。
自分がまさに通ってきた道なので、ジレンマが痛い程分かります。
周りに気を遣うことが自分の中で標準になっていたり、
真面目に物事を考えるタイプに多い傾向。
相手への配慮が声に乗ること自体は、社会人として大いにプラスな長所です。
ただ、その発声が習慣化してしまい、「考えた声」がいつの間にか自分の地声だと思い込み生活をしてしまっている。
繰り返しますが、声で気遣いを感じさせること自体は美徳です。
ただ、弾けたり狂ったり自分本位な声もしっかり持っていてほしい。
ニュートラルな、何も考えていない時の自分の声の再現がいつでも出来る人でいてほしくてレッスンしています
(この項続きます)。
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「のど声の向こうに」2
同じ表現者でもダンサーや歌手と、俳優・声優が決定的に違う点があります。
・駄目な部分をさらけ出すことが求められる
基本、ダンサーや歌手は自分の「出来ること」を人前で披露するのが仕事です。
俳優・声優もそれは同じなのですが、違うのは我々に要求されるのは
自分の劣っている部分、イヤだと思っている部分も隠さず、盛らず、
等身大でさらけ出す(人間味を感じさせる)点です。
配慮のない態度、遠慮のない声、無愛想な顔、底意地悪い言動、
一般的な社会生活では疎んじられ、マイナスの評価に繋がる面、
自分の性格の好かない部分もさらけ出す。等身大で。
ダンスのターンや歌のビブラート等に比べると、それは分かりづらく、
リアルであればあるほどテクニックを感じさせず、ただその俳優が
本当にそういう人間であるように見えるだけの状態。
演技表現が教えづらいと云われるのも、上手くなればなるほど
技術を前に出さない、感じさせない性質があるからです。
ダンサーや歌手が出来ることだけを本番で披露するのに対し、
俳優は時に出来ないことをそのまま出すことが武器になる。
それにはまず自分の声の種類を知り、自分のどの声・どの話し方が
親しい人たちが聞いて「貴方らしい声・話し方」だと感じているかを知る必要があります。
それは人それぞれで、ここで一言で「こうだ。」と言い切れるものではなく、
だからこそ僕は「相手役のいる個人レッスン」を実践しているわけです。
自分自身が長い間、周りを気にした声、配慮を感じさせる声が
自分の地声だと思っていた経験とそれからくる身体性の特徴を詳しく説明、
その方の「演技用の声」の発声時チカラが入っているパーツに
実際に僕もチカラを入れて話して聞かせ、徐々にチカラを抜き、僕の普段の話し声に
近づいていく様子を体感してもらいます(すみませんまだ続きます)。
ヴォイス&アクターズ道場
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「のど声の向こうに 3」
(つづき)では、のど声演技にはまっている方に具体的にどんなレッスンをすべきか。
十把一絡げに決めつけることは出来ないししたくもありませんが、
実践していることがいくつかあります。
自分の本当の声を探してもらう為に、あえてわざと〇〇に演じてもらうこと。
〇〇に入る言葉は毎回違います。
自分自身のど声で話すイコール演技だという、いつの間にか沁み付いてしまった
感覚の呪縛が長かったので、表現というのがプラスしていくもの、
普段の自分をさらけ出すのではなくどこか変えたものを見せるもの、という
刷り込みを自身に課してしまっている辛さが分かります。
人が聞いて「本音で話している」と感じる声を探してもらう為に
あえて〇〇風に演じてもらいます。ゲームのように。
アニメ声で演じるのが無意識のクセになっている方には
いっそのこともっともっとアニメ声で。
変身ヒロイン的声を作ることでそこから先
→その声を地声としてそこから喜怒哀楽さまざまな感情に声が飛ぶ。
そこには行けず、ただ作ったのど声の同じトーンで
「嬉しい」「悲しい」「淋しい」「アタマにくる」
日本語が分からない人が聞いたら同じ感情に聞こえてしまう
同じ声、同じ話し方の音の波を繰り返すことに無自覚だったり、
自覚してもどうしたら良いか分からない方に、
あえてもっと過剰に、のど声でやりたいように演技してもらう。
やりながら、さっきのテイクと今のテイクでその方の肩や首の緊張、
喉の締め付け方がどう違うか、僕自身の声と身体でやってみせて
違いを実感してもらいます。
僕が、その方の物真似をするのではなく、その方が演技している時の
身体と声の状態の物真似をするのです。
性別や年齢が違っても、テイクによる身体の変化が声にどう影響するかを
つぶさに感じてもらうことによって、それを合間に挟みながら
時に即興も交えながら、今よりもっと過剰なのど声演技を試みて、
その揺り戻しで、同じ場面をリラックスして演じる楽しさへと繋げていきます。
実際のオーディションやリハーサルでも、演技が上手くいかない俳優に演出サイドが
「今よりも30歳年齢が上のつもりで演ってみて」
「歌舞伎風に話してみて」など揺さぶりをかけることがよくあります。
僕自身、昨年のある撮影でも
「本当は死んでいるのだけれど、自分が死者であることに気が付いていないような
話し方で(同じ台詞を)話して」と監督に云われました。
そういう時、役者は燃えます(笑)。
僕はのど声演技を否定しません。それが求められる時も有効な時も大いにあるからです。
のど声演技が有効な時は、それ以外の声からのど声に演者が飛べる時です。
非常に多くの場合、演者の声が変わるからお客様は演者の心が変わったと感じます。
少人数で、一人あたり1レッスンでどんなに少なくても100分間は
一人の人間が演技をし続けられるシステムだからこそ、あえて寄り道回り道で
わざとらしい方向の演技を掘り下げてみる。
寄り道が近道になることも多々あり、演技コーチの面白さと難しさを毎週痛感しています。
ヴォイス&アクターズ道場
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「変わり続けるから変わらずに見えるもの」
今年も3月11日が近づいてきて、当日までの間
いたたまれない気持ちを反芻していました。
あの頃の自分がどんなだったか上手く思い出せない。
見聞きした様々な事の詳細は事細かに甦るのに
その時自分の心がどうだったかは今でもピンときません。
毎日目先の事にはきちんと対応しようとしていたけれど、
現実を、どこかビニールのシート越しに見ていたような気がします。
2011年3月11日からの二年間が自分の人生で最悪の時期でした。
たくさんの方を失いそこに順位など付けられないけれど、
自分が生きていて、いつでも泣きつき安心して頼れた方々を
続けて亡くした時間でした。
もっと伝えておけば良かった。
僕自身が嫌いだったりコンプレックスに感じている僕の「部分」を
貴方が受け入れ認め面白がってくれたおかげで
どれだけ僕が、生きることが楽になったかを
生きてくれているうちにもっと伝えておけば良かったです。
貴方のことを思い出す度に、つっかえ棒のように
僕がその言葉に今でも何度でも新しく支え直してもらっていること、
届いていれば良いなと思います。
もう頼れないし、見守ってくれなくてもいい、
大丈夫だと伝えたいです。
15日の日曜に「助清さんを偲ぶ会」を開きました。
三回忌の今年も70名を超える方々が集まってくださり感無量でした。
ご遺族や助清さんとお仕事をされた方々に今のこの、あの頃と変わらぬ
稽古場を見てもらえて嬉しかったです。見納めになります。
助清さんが亡くなられた時、あまりにも惜しくて人と場所の両方を守りたいと思いました。
生きてきてあんなに途方に暮れたことはなかったけれど、
守りたいという一点で自分を持ち堪えていた気がします。
場所に関しては結果、二年しか守れませんでした。
ビル老朽化による取り壊しとはいえ、不甲斐無く心苦しいです。
やりきれない気持ちを、移転する新しい稽古場の環境を整え、
先々結果的には移転して良かったと思ってもらえるようにするしかありません。
そうしなければと改めて思いました。
「道場というのは場所のことじゃなく、そこに集まる人たちの思いのことなんだ。」
以前、助清さんが話していたそうです。
変わらざるを得ないものもあるけれど、
それでも変わらずにいる。
変わり続けているから変わらずに見えるものもあると集まってくださった方々から教わりました。
ヴォイス&アクターズ道場
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「自己PRの季節に」
僕自身普段から毎週誰かしらに自己紹介・自己PRを
し続ける生活を送っていますが、年が明けてから2月~4月上旬まで、
特に自己PRに特化したレッスンを依頼されることが多いです。
映画・舞台等企画のオーディションの為、
プロダクション・養成所合格の為、
就活活動の為、
新管理職デビューで部下を抱えることになった方の対策の為等
理由は様々ですが、芸能界、社会人だからと違いはなく、
有効な自己紹介・自己PRの方向性は一緒だと僕は感じています。
僕自身、長い期間、仕事で自己PRをする側と聞く側両方を
それこそ毎週ミルフィーユのように交互にし続けているからこそ
見えている、見えてきたものが多いです。
ヴォイス&アクターズ道場は専用稽古場があるので、この時期特に
時間外の個人レッスンを多く入れています。
定額月謝制なので、もちろん追加料金は派生しません。
僕も稽古場も良い意味で自由に「いいように利用して」ほしいと思っています。
今週は通常のレッスン以外、
月曜火曜水曜金曜と自分の本番の合間や後に連日個人追加レッスンをしていました。
通常レッスンでも毎回補講や終了後の時間を使ってレッスンしていますが、
今週のように、お互い合う時間帯を合わせ、こちらが19時本番終了後、
レッスン生が22時までリハーサル後の22:40に稽古場に集合して
そのままレッスン生の集電まで
(僕自身はこういう時の為に稽古場から二分のところに越しました・笑)、
1対1でレッスンしていると、自分の本番後だという肉体的疲れとは別に
精神的高揚を大きく感じます。
僕はかつて自分自身の演技の向上の為だけに、勉強もしたしどんな経験からも
何かしら学ぼうとし続けてきました。
そこに迷いは無かったのですが、自分の加齢と共に求められるものや意識に変化が出て
現在は自分が得た知識や経験を、他の方の表現力向上に役立てられることに
大いなる遣り甲斐を感じています。自分でもビックリするくらい遣り甲斐を感じています。
自分の稽古場があり、自分の指導を欲してくれる方がいる喜びは僕には格別なものです。
時を忘れます。
具体性、恥、同性・同世代からの指示と嫌悪、ヒトが相手に共感する5つの要素等
キーワードやポイントはたくさんあるのですが、大事なのは個々の実状や個性に対応すること。
レッスン内容は一言でこうすれば必ず良い!と一般論で言いきれるものではなく
全てのケースがレアケースです。
通常レッスンも「相手役のいる個人レッスン」を実践しているので
自己PRの個別レッスンは更にそれを推し進めるのが自分自身への課題です。
自分自身の伸びしろをまだまだ感じられるのが一番の原動力になっている気がします。
ヴォイス&アクターズ道場
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「細部と全体像」
ヴォイス&アクターズ道場では、レッスン生がレッスンで感じたことを出したい時、
日記の形でアップしています。
強制ではないので書かない方もいますが、自分が何を感じているか、
自分の心境の変化を言葉にするのはとても良いことで、お勧めしています。
毎回の演技レッスンは一生懸命やればやるほど、
自分のイメージと実際の表現のギャップに凹み、漠然と自身を責めてしまう人が多いです。
僕自身そうでした。
あっちぶつかりこっちでドツボにはまり・・・ジグザグデコボコばかりの人生だった気がします。
でも、不思議と今振り返ると、真っ平とはいかずとも、思ったより真っすぐな道に見えるから生きているのは楽しいです。
自分でも自分が分からないことが多いからこそ楽しい。
その時々の自分への不満も言葉にしておくと、自分が何をしたいのかが見えやすくなるし、
自分の発した言葉が、忘れた頃自分を励ましてくれることも少なくありません。
夢に向かっているのだから思うようにいかないのも落ち込むことが多いのも当たり前です。
意味のある凹み方を手に入れ、自分への励まし方も上手くなってほしいと思っています。
日記を書いてくれたメンバーには僕から必ずひとことを添えています。
まぁ一言ですまないのが僕の悪いクセなのですが(汗)。
ひとつやり取りを紹介します。よかったら読んでください。
「いじめないこと」(いのいみーこ)
おはようございます。月組のいのいみーこです。
わからないからこそ、自分の演技を漠然とダメだと判断してしまう。これは自分を自分でいじめている行為だと教わりました。
近年、録音や録画を気軽に出来る機械がたくさんあります。道場では自分の演技を録音、録画して、あとで振り返るという作業を推進しています。
録音や録画をすることによって、より鮮明に自分の演技を振り返れます。
そこで、細かく自分の演技の良かった点、悪かった点をみつけて、どうすればより良くできるのか考えるのが、効率的な反省の仕方だと教わりました。
実際に私は漠然とセンスがないことに悩んでいました。しかし、センスは磨くもの。
この一年間でいつの間にか磨かれていました。
初見の台本で何度か同じ語尾が続くものがありました。それを無意識にすべての語尾の置き方を変えようとしていたみたいで、祐一さんに褒められて初めて気がつきました。
このように今は他人の演技を真似することしかできなかったとしても、それがいつの間にか自分の中に染み付いて、自分のものになっています。
それに気づけて、少しだけ自分を認めることができました。
これからもたくさんの作品に触れて、センスを磨いていきたいです!
【祐一からひとこと】
日記ありがとう。
演技の到達点て、唯一のゴールなどないものだし、
元々上手くなりたくて精進しているのだから、自分には点を辛くしがちだし、またそうあるべきです。
ただ、漠然と振り返ると、やみくもにいたずらに自分をダメだダメだと責めるばかりになってしまい生産性が落ちます。
反省するなら
「あそこでもっとブレスをちゃんと取れば、その後の台詞を一気に言えて感情を爆発させやすくなる、間も生きる。」、
「台詞『〇〇のところを~』の部分、母音が『お』の音が続くから滑舌が悪くなりがち。『ところ』の『と』の音が特に流れやすいから、言い直す意識を持とう。」
など、具体的に具体的に振り返り、そこをピンポイントで直していけば結果、演技全体を良くすることが出来ます。
一生懸命やっているのは間違いないことだし、事実上手くいっているところもいっぱいある!
漠然と全体を反省すると出口の無い袋小路で、ただ自分を責めるだけの時間になってしまう。
上手くいっているところまで一緒くたに自分をいじめないでくださいね。
細部にこだわることで必ず全体像が変わっていきます。
昔より気軽に録音・録画が出来る時代だから活用するのは良いことです。
プリクラの機械普及後、集合写真でシャッターの瞬間、自分だけまばたきしちゃう子が極端に減ったといいます。
機械の発達は一般の人たちの映る意識も変えました。
彼らの芸能に対する要求も確実に上がったんです。
ちょうど、カラオケが普及する前にいた「歌が極端に下手なアイドル」が
今では、少なくともピンでは決してデビュー出来なくなったのと同じです。
便利になった分、観客の要求も高くなる。
自分の良いところは大いに認めて、「もっとこうしたい!」を具体的に持ち続けてくださいね。
ヴォイス&アクターズ道場
http://yuichisato.com/
「新稽古場移転OPENしました」
今までの稽古場ビルの老朽化による取り壊しに伴い、
池袋駅徒歩4分の新稽古場に移転OPENしました。
ヴォイス&アクターズ道場が出来て17年。
その大半の時間を刻んだ稽古場を離れるのは強烈に淋しく。
音声ブース移築も終わり、文字通りガランと空の状態になった稽古場に
時間も忘れて立ち尽くしていました。
2013年1月に設立者の亀山助清氏は亡くなってしまいましたが、
4月末、新稽古場への移転が完了した時、
僕の中で改めて、というか多分初めて
助清さんの死を受け入れた気がしました。
もちろん助清さんと道場はこれからも一体で
新稽古場でも、全体を見渡せる場所で見守り続けてもらいたいです
。
僕は演技という表現に魅せられ、自分の演技を磨きたく訓練と経験を積んできました。
自分の為だけに勉強、吸収してきたこと
が、他の方の夢の為の役にも立つことを知り、
今はそれを求めてくれる方たちにじっくりレッスンすることにより、演技が目に見えて変わり
オーディションに通りやすくなり、活躍の場が広がっていくことに大きな喜びを感じています。
それは、今まで生きてきて一番の喜びです。ごく自然にレッスンの度毎回そう感じています。
新しい稽古場になり、良いレッスンをしていこうと改めて強く思っています。
新稽古場は池袋駅東口(西武やPARCOのある方です)から徒歩4分、
豊島区役所のすぐ近くです。
105㎡超のスペースで、シーンスタディ用稽古場と
アフレコやオーディオドラマの音声ブース稽古場の二つの専用稽古場があります。
シーンスタディ用稽古場は天井をぶち抜き、バトンを這わして
アトリエ公演がやりやすい環境にしました。
4間×3間半の演技エリアが実寸で取れます。
東京の劇場で言うとシアターサンモールクラスの舞台面になります。
新稽古場でそれぞれがどんな演技を見せてくれるのか、
自分の中に眠っている声や表情を解放してくれるのか
楽しみで楽しみで堪りません。
ヴォイス&アクターズ道場
http://yuichisato.com/
「挙手制の効果」
ヴォイス&アクターズ道場は、特に入所の季節を限定していません。
仕事や生活の都合は人それぞれで、入所時期を限定することで
せっかくやる気になった気持ちが削がれるのを避けたいのと、
入所時期を同じくして一律の指導をせずとも、
各人の経験値や進行具合に合わせた指導が出来る
少人数制レッスンを維持しているからです。
全くの初心者の方にはそれこそ
「なぜ発声練習が必要なのか」から説明し実践していきますが、
同時進行で、普通初心者にはやらせない質と量の台本・役も
用意するようにしています。
・これから演る表現がどんな印象を周りに与えるかを自分で選べること
・その選択した演技を何度でも新鮮に繰り返せること
この二つを目指してのレッスンですが、人には伸び時というものがあり、
スタートダッシュで「演じることに慣れる」ことも大切だと感じています。
その際、真面目な方ほど、思うように台詞が覚えられない、
台詞を話すと動けなくなる、感情を一定の幅しか出せない・・・など
壁にぶつかる自分を責めがちです。
いたずらに追いつめるべきでないので、基礎訓練と併行して
なぜいきなり実際の台本演技をやらせるのか説明しています。
シーンスタディのレッスンでは
初見本読み→半立ち(台本を持ったまま演技する稽古スタイル)の翌週には
台本を離し立ち稽古に入ります。
一般的な演技レッスンでやらせる短いテキストに比べて、三倍はボリュームのある台本、
感情の大きなアップダウンが必ずある役を演じてもらいます。
そんなの初体験の方は当然覚えきれません。それで良いのです。
一週間の間、自分で自分にどれだけの質と量の手間暇をかけてやったかは
その方自身にしか分かりません。大事なのは
「このくらいの手間暇を自分にかけてやると、人前でこのくらいのことが出来る」
現在の自分の基準を早く掴むことです。
だから、立ち稽古で台詞を忘れても、本人が思い出せそうなら待ちます。
相手役も集中を切らずに待つこと自体、良いことだと思っています。
仕事で演技する時、台詞が出てこない俳優にはプロンプ(台詞を教えること)が
飛びますが、ウチの稽古場のレッスンでは、プロンプは挙手制。
覚えたはずの台詞が出てこなくても、ストーリーのアウトラインは分かっているはずだから
アドリブやそれらしい即興ででもなんとかして場面を繋ぐ。
いきなりの荒修行ですが、演技が停まっても誰も怒りません。
思うように台詞が出てこないジレンマは誰より本人が感じていることだから。
度胸試しの効果もあり、そうやってなんとか物語の中に入り、相手役とコンタクトを取ることで、
役の人物の次の感情がだんだんと出やすくなっていきます。
気持ちの折れを感じる最短距離として、このレッスンは有効だと感じています。
ヴォイス&アクターズ道場
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「スナフキンの手紙」
俳優の西本裕行さんが旅立たれてしまった。
4月23日初日の舞台の稽古も大詰めの19日。
そして6月にもご公演を控えていらした。
責任感の強い西本さんだから、きっと関係者に申し訳ない思いを
抱きながら旅立たれたのではと、無念に胸が痛むが、
88歳で出演作が目白押しの、まさに現役として俳優人生を全うされたのは
なんという幸福な一生だろうとも心から思う。
客席から羨望の眼差しで拝見するばかりだった西本さんを、
初めて舞台や画面以外でお見かけしたのは1991年の早稲田銅羅魔館の客席、
撮影中亡くなってしまった俳優を追悼する芝居を食い入るように見つめられていた。
靴を脱いで上がる小劇場の客席空間に、黒づくめのファッションでいらした西本さんは
終演後若い出演者に率直に感想を語られる謙虚な振舞いとは別に
立ち姿に場を制するような空気感があり、
あんなに普通に、むしろ静かにおとなしく振る舞われているのにと
存在感の大きさに圧倒された。
1999年のこまつ座「雪やこんこん」ご出演を控え、
和物の所作を習いたいと根布谷舞踊研修所へ足繁く通われた。
稽古場で「新入りでございます。」と深々と頭を下げられた。
稽古後、着替え談笑しながらふと見ると、西本さんが黙々と
雑巾がけモップがけの掃除をなさっていた。
やらせてくださいとおっしゃる西本さんの手から
トンでもないとモップを引き剥がす引っ張り合いの手の感触を今でも覚えている。
演技について、今思うと冷や汗どころではすまない拙い質問をたくさんしたが、
いつも真摯にまっすぐ答えてくださった。
僕が演技をなぜ続けていくべきかを語ってくださった言葉を忘れない。
西本さんが、僕に分不相応な言葉をかけてくれたことが今でも心の大きな支えです。
演技に臨む豊かな背中を見せてくれるだけでなく、びっくりするほど真正面から向き合っていただいた。
指針となるような大切なことをたくさん示していただいた。
素晴らしい演技の数々、挙げはじめたらそれこそキリがないが、
ソーントン・ワイルダーの「わが町」三幕の息子の思い出を語る台詞。
ほんの数行の台詞があんなにもたくさんの情報を与えてくれ、芳醇な時間が
観終わった後も胸の中で育つ思いを体験させてくれた。後で台本を読んで、
優れた演技に触れられた感動と実際の台詞量の少なさとのギャップに
俳優の魅力をまざまざと魅せられた衝撃。
あれからもこの先も同作品観劇のあの場面で僕の心はタイムスリップし続けるだろう。
作家への尊敬、演出への信頼、相手役と共に活きるとはどういうことなのか。
物語を伝える、作品に奉仕する、俳優の魅力を教えていただいた。
何より西本さんの、普通でいることの格好良さにこれからも憧れ続けていきたい。合掌。
「ピッチとテンション」1
映像でも舞台でも声の仕事でも、
リハーサルで演出家が出演者にリクエストする時、
こんな風に演ってほしいと口立てで演出家自らが声を出し
演じてみせることがよくあります。
たいてい上手いです。
こう演じてほしいというイメージを演出家自身が声にしているせいもありますが、
相手役や台詞細部への配慮、正確性など俳優の演技の足をすくう要素に気を取られず、
自分のタイミングで自分の生理で、断片を演じているので上手に見えるのは当然です。
自分が演出の現場で、俳優への演出時名演技を見せる演出家が
他者の演出下、どんな役でも演じられるわけではない理由がそれです。
自分がこうしてほしい「理想」を口立てで伝えるのは、
音でも聞ける分わかりやすく有効ですが落とし穴もあります。
云われた俳優側に、演出家の真意を読み取る日本語のロジックがないと、
単なる口真似になってしまい、演出家の話すクセまでもコピーしてしまいます。
台詞の届け方には、ザックリ分けて
ピッチ・アクセントとテンション・アクセントと呼ばれる話法があります。
テンション・アクセントは英語での演技レッスンでは「アタック」と呼ばれることもある話法で
(細かく言うと「違う」のですが、まぁザックリと言えば、です)
語頭に勢いを持たせて声を張る、相手の台詞に食い気味で入る、
語尾を力むことで感情を入れる・・・等が特徴です。
ピッチ・アクセントは言葉の抑揚をコントロールすることで
台詞の真意や俳優の解釈のニュアンスを滲ませ、感情を感じさせる話法を指します(この項つづきます)。
ヴォイス&アクターズ道場
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「ピッチとテンション」2
(つづきです)僕自身、若い頃はテンション上げ上げで、上げたテンションの吐き出し方として、
勢い勝負の力任せの台詞ばかり繰り出していた気がします。
舞台観劇をしていて、出演者が大声でまくし立てていて、
音量的には興奮してもおかしくないはずなのに
なぜかあっという間に眠気に襲われてしまったことはありませんか?
あんなに一生懸命、台詞を言っているのに申し訳ないなと思いながら、大声でまくし立てる話術だからこそ
声の高低の幅が狭められ、音量も大きい同レベルが続き、感情の起伏や台詞に作家が込めた思いとは別の
短い間隔で、つまり俳優自身の肉体の都合重視でブレスを取る・・・その悪循環が
「テンションの高い棒読み」と呼べてしまうような単調な演技のリズムを作ってしまい、
汗や唾を撒き散らしながらの熱演であるにも関わらず、観客席との温度差が広がってしまい、
お客様が置いてけぼりを食うような演技を多く観てきました。
自分自身もそんな本番を現場に置いてきてしまったことがあり、今でも反省しています。
熱演が悪いと言っているのでは決してありません。逆です。
俳優に熱があって初めて観客に届くものがあると思います。
ただ、熱演の「熱」を「力み」と混同させ、コントロールなしでただ力任せに勢いを押し付けては
ニュアンスが飛んでしまい、俳優の解釈や感性が届きにくくなってしまう。それが惜しくて惜しくて堪りません。
どんなに練習したピアニストでも、一曲丸々全部フォルテッシモで弾いてしまっては
その音楽の素晴らしさよりも演奏家のある種の痛々しさが先に伝わってしまうのに似ているかもしれません。
時に、演技を大きくする小さくする作業を声の大小のことだと実行する俳優がいますが、
演技のベースになる音量全体を上げてしまっても、演者の体力の消耗ほど、観客の印象は変わりません。
あんなに一生懸命演じているのに勿体無い・・・かつての自分を見るようで客席で胸が痛むことがあります。
一度の短時間で大勢を相手にするレッスンでは、講師も各個人が熱演モードに入った時に、
それぞれの肉体やメンタルのどこにスイッチが入るか入りやすいかをつぶさに考察、情報を本人と共有して
次のテイクではここをこうしてみよう、ああしてみよう、繰り返し熱演のスイッチの入れ方の違いを試す余裕はありません。
僕が少人数制の時間がたっぷりあるレッスン方法に可能性を感じるのもそんな理由が大きいです。
先日出演したテレビのトーク番組でも、この
熱演の質や演技を大きく・小さくするって具体的にどういうことなのかを
実演を交えて話させてもらい楽しかったのですが、
オンエアではカットされていてちょっと残念でした(仕方ないことなのですが)。
出演者だけでなく、スタジオの観客席でも大きく頷く顔が多く見えたのがとても嬉しかったです。
俳優が演技レッスンをする利点として、演出家が行うような「こうしてほしい例」だけでなく、
なぜ今のテイクの演技が上手くいなかったのかのポイントを再生して見せて、
「本人がこうするつもりじゃなかったポイント」も具体的に見せられることが挙げられます。
これからも論理よりも実際に体感出来るレッスンを続けていきたいです。
演技は楽しいし、伝わるって嬉しいです。
ヴォイス&アクターズ道場
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「五人が選ばれて」
ヴォイス&アクターズ道場では、レッスンしながら
希望者は芸能活動の案件にも挑戦出来ます。
もちろんほとんどの場合オーディションがあり、それを突破しなければ
本番にはなりませんが、それはプロとしてデビューした後も同じです。
レッスン期間に関わらず、受けられるチャンスにはドンドン参加してほしいと
いつも思っています。
オーディション会場での挑戦もありますが、1、2テイクの限られた時間ではなく、
長いテイク演技しているところを見て判断したいとスタッフが稽古場に訪問、
実際のレッスンをそのまま見てもらい決まった本番もいくつもあります。
その際も、通常のレッスンの流れと違うことをしたり盛ったりはしていないので、
ボリュームあるシーン演技を見て選んでもらっていることは
僕自身にとっても毎回大きな喜びです。
先週はある映像作品の選考に道場から五名が希望、選考していただき
五名とも出演決定の嬉しい報せがあり、製本台本が五冊届きました。
出版物のように美しく製本された台本の出演者欄に
おそらく、この文章を読まれている方どなたにも名前をお伝えしたら
「ああ!あの・・・」とツーカーで返事していただける有名俳優、ベテラン俳優の方々と
並んで、フルネームの役名の下に道場のメンバー五名の名前が連なっているの、
しみじみ嬉しく眺めていました。
僕は東京に出て来て数年演技を学んだ後、エキストラの仕事からキャリアを始めました。
台本ももらえない、当日の撮影スケジュール表も渡してもらえない現場が多く
(最近はエキストラの方にも進行表等渡す現場が多いです。てかその方がスタッフも
仕事しやすいはずで、なんで昔は渡さなかったんだろう・・・謎)、
夢に見ていた「現場」に来ても、蚊帳の外感が強く、どこか卑屈になりがちな自分がいました。
台本をもらえるようになり撮影スケジュール表ももらえるようになった嬉しさは
いきなり華々しくデビューした方には分からないものかもしれません。
僕は初めて製本台本に自分の名前が印刷されていた時、大感激しました。
役名も「男1」や「警察官B」から、「山本」や「石崎」など苗字の役名になり、
「山本一成」や「石崎義男」など姓名両方揃った役名が印刷されている下に
自分の名前があった台本を手にした時、嬉しくて泣きました。
TVドラマのテロップで、初めて役のフルネームで僕のクレジットが出たのを見た友人が
それを喜んで電話口で涙声になった声を今でもはっきりと思い出すことが出来ます。
その友人は亡くなってしまいましたが、今でも折に触れてその声が聞こえます。
隣りにいるような気がします。
レッスンを始めて間もなく、ましてや現場で長く疎外感を味わったこともなく
フルネームの役名の下に自分の名前がクレジットされている製本台本を受け取るのって
僕は経験しなかった気持ちです。伝わってると良いな。
押しつけがましいことはしたくないけれど、嬉しさを共有出来たらと思っています。
ヴォイス&アクターズ道場
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「武器であり凶器であり」
毎回、約30分間のウォーミングアップと発声練習に始まり、
実際の脚本・台本から場面を構築するシーンスタディを中心とした
レッスンを行っていますが、その流れの一つとして
カメラ実習も行っています。
演技時表れる身体や滑舌の特徴やクセは
人それぞれ違うもので、毎回レッスンでは単に
「滑舌が悪いよ、早口言葉やれば?」的ざっくりアバウトなアドバイスではなく、
「他の『お』の音は潰れないのに、この音の羅列だと不明瞭になる」分析から
ならどうすれば良いのか具体的アドバイスを必ず伝えるように心がけています。
「なんか違うなぁ」ではなく、少なくとも
「私は貴方の演技のここをこうすればもっとこうなると思う。」レッスンです。
そうしてある程度演技の流れが出来てきてのカメラ実習。
ただ映りを見るためのレッスンではなく、同じ場面でも
顔のアップ、バストサイズ、フルサイズと画面に映る大きさが変わるのに合わせて
演技を大きくしたり小さくしたり、カメラに映る要素をどう印象づけるかをレッスンしていきます。
映像演技の場合、特に目の表現をコントロールする必要が強くなりますが、
大人数のレッスンではどうしても抽象論を伝えることに偏りがちで、実際に
・利き目でリードして演じる、や
・目線の切り方のスピードを変化させるだけで心情が違って見える
などの演技テクニックの実際を伝えているレッスンは現在の東京でもまだまだ少ないです。
オーディションや本番の現場で実際役立つ、すぐ使えるそういうレッスンを実行しています。
そしてもう一つ、演技中抑えているつもりでも誰でも必ず出てしまう「クセ」の具体的チェックも大切です。
クセはその人の個性の大切な一部です。
自分のクセはその人がある感情になった時、その感情の表出として気持ちを乗せて出る動き。
だからこそ例えば貧乏ゆすりも爪を噛むのも眉毛が段違いになるのも台本の構成、役の人物の気持ちの流れを
活かす形で出せれば大変有効な武器になります。
でも、役を演じている自分自身の緊張、都合でクセが出てしまうとそれは凶器。
俳優のビビリを伝え、時に集中を欠いている印象にもなってしまう。
その人の感情と密接に結び付いている動きだからこそここぞという時に使うべきです。表現として。
それを各人に具体的に実感してもらう手段として、カメラ実習は有効だと感じレッスンしています。
ヴォイス&アクターズ道場
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道場ではレッスンしながら、希望者は舞台・映像など様々な芸能の仕事に挑戦しています。
もちろん書類審査のみの場合も含めオーディションはありますが、
オーディションに辿り着くまでに年数を区切ったり、参加資格のクラス分けをしたりの
紆余曲折の段階や手続き等はありませんしもちろん芸能活動費は無料です。
希望者は自由にエントリー出来るシステムにしていて、僕はとても良い環境だと感じています。
役に合う合わない、演技の出来る出来ないはプロになってもいつでも
比較と判断の目にさらされ続けるものです。自分で「私なんてまだ・・・」と決めつける必要はありません。
出来る挑戦はドンドンすべきです。
道場のメンバーが舞台、映像に続いて、CM出演が決まりました。
現在日本に住む方なら誰でも知っている方とレッスン生の共演、僕自身とても楽しみです。
自分が初めてCMに出た頃のことを思い出しています。
僕ははっきりと「どうしても演技がしたい!」と自覚した後何年も
誰にもそれを言えない、言ってもどうせ笑われるだけだと何度もあきらめかけ、
でもどうしても演技する夢のことばかり考えては悶々とする年月を過ごしてきました。
どうしても演技がしたい!と思うのと同時に
どうせ自分なんかダメだ。ともう一人の自分の声がその都度聞こえるようで、なかなか踏み出せませんでした。
芸能活動を始めてからも、CMに自分が出るなんて、願うのも不可能な、まるで別の世界のように感じていました。
自分にはそんな時は訪れるわけがないと。
実際にはあの時僕自身が立っていた不安と自己否定の世界と地続きで繋がっている世界でした。
夢物語ではなく手を伸ばせば届く世界だったのです。
あの頃の僕自身に、
自分で自分なんか俳優になれるわけないと決め付けない限り、誰にも止めることなど出来ない
んだよと伝えられるものなら伝えに行きたいです。
振り返って勿体無い、無駄な時間を多く過ごしました。
ただ、「自分に演技なんてどうせ無理だ。」と繰り返し言い聞かせていた時間。
僕にはドラえもんはいないので、あの頃の自分を励ましにいくことは出来ないけれど、
演技活動を夢見る人に、試しやすい環境を提示することは出来ます。
無料体験レッスンをしているのも
一年分前納などではなくレッスン費を用意しやすい一ヶ月ごとにしているのも
オーディションや仕事の案件紹介料など取るつもりがないのも
少しでも演技に挑戦するハードルを下げたいからです。
あの頃の自分に、自分さえ勇気を出して踏み出せば、
今いるところから貴方の望む世界へそのまま地続きで繋がっていて、
どこへでも行けるのだと教えてやりたいです。
ヴォイス&アクターズ道場
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「アフレコ・レッスンの是非」
ヴォイス&アクターズ道場の新稽古場(108㎡)は
いわゆる「顔出し」の演技、舞台や映像向け演技をレッスンする
シーンスタディ(場面演技)稽古場と
ナレーションやオーディオ・ドラマなど「声」の演技に特化した
音声ブース稽古場の二つの稽古場に分かれています。
専用音声ブースではアニメや外国映画の本格的なアフレコ・レッスンの設備も整い、
レッスン生の希望とレッスンの進行を見ながらアフレコ・レッスンにも頻繁に取り組んでいます。
6名までのキャスト数の同時収録が理想的な環境で、
実際のTV局等の音声ブースよりも狭いことを除けば、
実際のアフレコの仕事と同じ手順でリハーサル→収録→プレイバック→演技を変えて再収録・・・
という流れでアフレコ・レッスンをしています。
無料体験レッスンでも希望者にはアフレコも体験してもらっています。
アフレコ体験は見た目派手だし皆さん喜ぶのですが、
最近多いアフレコばかりさせるレッスンが持つ落とし穴について、
必ず説明を添えることを心がけています。
「声優というのは俳優の仕事全体の中の一部である。」
これは道場を創立した亀山助清さんの考え方ですが、僕も全く同感です。
マイクワークについて知らないより知ってた方がベターなのは言うまでもありませんが、
自分対マイクの関係性でしか演技をしたことがない方の演技は
相手役に台詞が掛からず観客の胸に響かないことが多いです。
現在売れっ子声優と呼ばれている方のほとんどが、舞台など「顔出し」演技の機会を手放さない。
中には自主制作してでもほぼ毎年のように舞台出演を続けている方が非常に多いのも
皆さん、演技の本質を見失わない自覚と、自分を磨く努力を続けている証拠なのだと思います。
演技の基本は「相手役を動かすこと」、
例えば二人の人間の場面の場合、貴方だけ、あるいは私だけが目立つのは理想的でなく、
人と人の間の空気を感じさせ、その雰囲気がみるみる変化する、「空気が動く」のを
実感させるのが良い演技なのだと思います。
それを体感、認識を強くしてからマイクワークに臨むと
声だけだと思った程相手に届かないことを自覚しやすく、伸びしろが大きくなります。
ただ面白いだけじゃないアフレコ・レッスン、これからも頻繁に開催していきます。
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