CoRich舞台芸術アワード!2025

「Downstate」への投票一覧

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投票者 もらったコメント
kikikiki(609)

8位に投票

実演鑑賞

先に観た友人から強めにオススメいただいて急遽予定を調整しチケットを確保した。人気の舞台らしく壁際にも席を増設しての千秋楽。重い内容らしいのでじっくり拝見したいと思い、眠くなったりしないよう昼食は観劇後に摂ることにした。が、そんな心配は不要だった。満腹で観たって眠くなる余地なんかなかっただろう。繊細で緊張感に満ちた時間。それぞれの言葉、関係、記憶、思い、感情。もどかしく苛立たしくやるせなく、それでもどこか愛おしい人々。さりげないユーモアとキャスト陣の魅力。観られてよかった。

tottorytottory(2997)

1位に投票

実演鑑賞

ポウジュは今年の年頭、二本立て公演を敢行し、鮮烈に印象づけた翻訳家一川華、演出家稲葉賀恵のユニットで、この旗揚げ公演もそれぞれ秀逸な二人芝居(特に「オレアナ」)であったが、こちらに絞った。
自分の傾向であるのか、時代の反映なのか、海外戯曲ゆえに優れた作品が選ばれているという事ではあるのだろうが、上位に挙げた他の作品も共通して社会の暗部、人間の暗面を抉る作品。破滅的な描写やカタストロフィ―に心が掴まれる。
取って付けたのでない明るい終幕が見られたなら幸運。そうでなくとも「現実」を共有する事からしか希望は手にできないのであるから、その出発点に立たせてくれるものに救いを覚えるのである。

本作は今年観たその最大。観劇体験という観点で言えば「快楽」。破壊衝動を持つ年齢からは自分は遠ざかっているが、真に苦悶する(多くは社会の側からそうさせられる)人たちを意識する一人ではあり、彼らの存在と問題の本質が「可視化」される事の喜びは替えがたい。

犯罪歴のある者たちのグループホームが舞台。性犯罪歴を軽重の違いはあれ持つ者が、生活上の規律や生活圏の制約の中でも市民として暮らしている。個性も年齢もバラバラな一癖ある者たち(4名が住む)の元へ、かつての「被害者」アンディ(尾上寛之)が現在の妻エム(豊田エリー)と共に訪れている冒頭、既に老境にあるかつての「加害者」フレッド(大鷹明良)に辛辣な言葉を浴びせ、今なお彼が過去に縛られ苦しめられている事実を訴える。妻の前で言えなかった事を言いに戻ったその男性とは、後半また一くだりある。
その後保護観察官(桑原裕子)が定期訪問の体で訪れ、彼らの意見を聞き、やり取りする。相対的に罪が軽いのに(それに甘えてか)現在の素行が悪いため苦言を言われる若い男ジオ(串田十二夜)は知恵が働くが独善的で口が減らない。人の事にやたら口を挟む一家言ある男ティー(植本純米)と言い争い、監察官に刃向かい、命のやり取りにも見える丁々発止を展開するが、常習的な余興。
会議終了後、実はこれが本題であったらしく一人の品行方正に見える比較的若いフェリックス(大石将弘)の「ルール違反」について問いただす時間となる。素直に認める姿勢を見せなければ後がない事を告げるも、中々趣旨を飲み込ませる事ができない。初めに嘘をつき、その後で本当の事情を言う。聴けば已むを得ない事情、理解できるが、最初に嘘をついている。次も嘘かも知れないが、監察官は理解を示そうとする。ただし問題はルール違反がGPSや図書館からのネットアクセスの記録から既に明白で、それは加害対象である「娘」のfacebookにアクセスした事。彼は娘の誕生日におめでとうを伝えようとした。だがそれは被害者の安全を脅かす行為と看做され、順当に刑務所戻りになる所、二度と戻りたくないはずの彼のため、恭順の姿勢を示して情状を勝ち取る材料を自分にくれと監察官は言っているのだが、彼は自分の正当性を訴えるのに終始する。今はその事ではない、と食い下がる。そこへ茶々を入れるのがティー。彼は自由な行動を擁護する立場で監察官に意見するが、観客から見れば邪魔である。彼は人の事情に顔を突っ込んで掻き回す。だがこの彼の態度は一貫している。どんな人間も自由であるべきだと信じている。その「どんな人間も」とは、彼の人間観から来ており、「そうならざるを得なかった」「そうせざるを得なかった」人間の内奥からの必然な態度は決して裁かれるべきでないという思想に到達している。自身の過去行った少年に対する性行為は社会からは断罪されたが、彼は相手がそれを求めていたと確信したからそうした、と思っている。従って彼は社会の理解を全く当てにしていない。
その彼が、老齢のピアニスト・フレッドを被害から30年後に訪ねて来た冒頭の男性アンディには、ある干渉を行なう。勿論フレッドを庇う気持ちからの反論でもあるが、断罪の姿勢を崩さない彼に人間存在を理解するヒントを与えようとする。男性がかつて傷つき今も傷つけられている事実はそれとして、一つの見方だけで人間はとらえられない事を彼に自己の過去を語りながら伝えようとする。
ジオがGPSで圏外に出た事を咎められた一件の真相が、彼が彼女のように見えるが恋人では全く無いというエフィ―(夏目愛海)を連れて来る事で解明。十代にしか見えない彼女の運転する車でその圏域に出ていたという訳だ。ジオは聖書の文句を暗記していたり規則の条文を根拠に反論したり大人びた面を見せる反面、叶いそうもないビジネスを故郷の町で立ち上げようと作った名刺を配ったりと幼児性が見え、そのギャップに発達障害の雰囲気があるが、実によく形象している。従って本作では一件トラブルメーカーだが、罪のない範疇であり、彼のイノセントな発語を救いとして機能させている。
三たび戻ったアンディーは、フレッドにある書類への署名を要求する。何らかの「決定的な断罪の印」でも求めているかのように餓えた殺気が漂っている。同日の事、既に夕刻が迫っている。
その書面には「やっていない」行状までが書かれている。それは事件のあった当時、アンディも知る別の少年に対して行った事だったため、老人はサインをするのに躊躇する。かつての教え子であり、将来を見込める才能があったアンディからピアノも奪ったのだろう彼の「悪戯」は、既に過去のこと、現在のフレッドは相手の告発を全て認め、頭を低く垂れているが、これは譲れず、「やった・やらない」の水掛け論となった時、先のティーが割り込む。彼に一つの質問「それだけ明確に覚えているなら、加害に用いた部位の形状(割礼をしていたか否か)は覚えているはずでしょ。どっちだった?」を投げる。これに男は答えに詰まり、憮然として一旦部屋を出るが、また戻って来て部屋の隅にあった金属バットを振り回し、フレッドそして止めに入る周囲の者を叩きのめそうと暴れ回る。
警察沙汰となり、破滅である。この事態さえも「この人たちが悪い」と信じて疑わない彼の妻エムが、やって来て熱弁をぶって去る。相手が「この人たち」なら自分らが訴追される事はない。それは相手が悪いからであり、だから自分側が悪くないという単純な理屈が背景にある模様で、「あなた方が今こうして生きている事自体が疑問だ」と言い放って去るに至り、潜んでいた問題は舞台上に撒き散らされる。差別とは生死に関わる問題である、という事だ。
前後関係の記憶が曖昧だが、車を動かしたい云々の話になり、ジオの彼女の車のバッテリーが上がったため、そのためのケーブルを探す事に。その後決定的な事態が彼らを見舞う。帰着が遅れているフィリップの部屋に探しているケーブルがあると踏み、不躾ながら彼の部屋の仕切りカーテンを開くと、首を吊った彼の姿が現れる。入り乱れる警察たち、保護観察官、エフィ―、アンディと妻。茶化し口調を崩さないティーが、アンディの口調に対し真顔で叱責する瞬間は、どのタイミングだったか・・。

本作は賞を獲った作品だそうで、むべなる哉ではあるが、戯曲紹介にとどまらない深みへと誘う舞台であった。役全てが相応しく、初見の俳優にも驚かされた。
聖書が言及する「罪びと」に他ならない部類の人間を、イエスは「彼らこそ神の祝福に与る者」とし、裁く側の律法学者らを厳しく指弾した。このテーマは西洋に限らず人間普遍の厳しいテーマでもある。

5656ゆっき5656ゆっき(15)

2位に投票

実演鑑賞

まだ消化出来ていないので再度チケットを買いました
日々、ジワリと心に侵入してくる演者さんの表現が怖い
あとB列に座りましたが、A列と同じ高さかつ座り芝居が多いので見にくい点が辛かったです
トリガー事項を確認して大丈夫ならばお勧めしたい

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