CoRich舞台芸術アワード!2019

「治天ノ君」への投票一覧

1-7件 / 7件中

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投票者 もらったコメント
鈴木 彩愛鈴木 彩愛(18)

1位に投票

各々の想いを考えると切なすぎて涙が止まりません。😭衝撃的でした。

数学者の奥さん数学者の奥さん(3624)

9位に投票

なぜかずっと見逃してて、今回やっと見ることができました。新しい時代の一年目に上演した意義は大きかったと思います。私の頭の中の日本史はちょっとずつ、この劇団のイメージに侵食されつつあります。明治天皇の威厳には圧倒されました。

ALF0707ALF0707(1728)

6位に投票

初演、再演に続き、この再再演も観劇。
この年、この時代だからこそ、観なきゃ。

とちとち(1379)

1位に投票

会場全体を包み込むような荘厳な雰囲気に圧倒されました

マリナマリナ(553)

10位に投票

再演につづき2回目の観劇。
作品もキャストも安定のクオリティ。
今でも、西尾さんの軍艦マーチが耳の底に残っています。

Lost in WonderlandLost in Wonderland(253)

4位に投票

本公演は二本目。涙でてしまい、しょうがない。これは、凄い。観ましょう。これは、観ましょう。再再演も、頷ける。もう、眼が痛いです。私は歴史物、あまり得意では無い。が、今作は、歴史物というよりも、あの境遇に置かれた人間の物語が余りにも、切なくて、懸命すぎて、あー、なんといったらよいのだろうか。言葉にすると、陳腐になってしまう。「if」は無いけれど、「皇室」に生まれなければ、もっと、辛くない人生があったのだろうかと。
でも、節子さんと出逢って子供たちも産まれて、「仲の良い夫婦」にはなれたと思う。それだけは、紛れもない「幸せ」だったんだろうなって。ラストの、照明が歴史上の人物の彼等がホノグラムのように、浮かんだ。平成から、令和の時代の私の目の前にいるのかなと感じた。「人」であって「人」ではない。「神」としての存在価値を迫られる境遇であり、そこは「政治」も絡んでくる劇中でも時代が流れて、皇室のあり方も変化するという台詞がある。今の時代とも、かぶる。もう、「神」の為に戦うような国にはならないように、昭和から、平成から、令和に変わったと思いたい。
ただ、ただ、懸命に生きた人だった。ほんとに、生きる時代が違った。
出演されている俳優の皆様も、ほんとに、力ある方々で安心して椅子に腰を下ろして観劇できる。
あ、椅子と言えば、天皇の象徴として椅子があるのだが、座り方での、大正天皇と、明治、昭和天皇との違いが大正天皇の人柄というか、よく、伝わる演出だな~って思った。
戯曲も今回発売されたということで、購入。

退会ユーザ退会ユーザ(0)

1位に投票

大正天皇を扱った作品だが、東京ではこれが再々演。初演・再演ともに観ているが、やはり素晴らしい作品。3ステージ観劇。
2時間20分という長尺が少しも気にならない重厚かつ濃密な空気感で覆い尽くされた舞台に目が離せない。
必見の舞台作品だと言うに憚らない。
大正天皇というと一般には、帝国議会の開院式で詔勅を読んだ後にその勅書をくるくると丸め、望遠鏡のようにして議員席を見渡したといういわゆる「遠眼鏡事件」だけが多く流布し、脳病を患った暗愚な天皇として知られるが、わずか15年という治世は国内外が激動した時代である一方で大正浪漫が華開き、英明な賢君だったという説もある。
物語は貞明皇后節子(松本紀保)の語りによって、彼女の眼を通して展開していく。
大正天皇嘉仁は皇太子の時に教育係に任ぜられた有栖川宮威仁親王を兄とも慕い、節子とは仲のよい夫婦になろうと努めながら、国民に畏れられるのではなく、西洋の王室のように親しみをもたれる天皇になろうと努める。が、それは民がひれ伏す威厳、帝王の威光を重要視する明治天皇の方針とは相容れないものだった。そして第一次世界大戦で衰退していく大国の皇帝たちを見て、日本に明治の栄光を取り戻さんとする皇太子裕仁(昭和天皇)や宮内大臣牧野伸顕にとっても…。
やがて元来病弱であった嘉仁は髄膜炎を発症しながらも、天皇としての勤めを果たそうと必死に頑張るが裕仁を摂政にたてて嘉仁を実質上引退させようという策謀が凝らされていく。
時間軸を前後させながら、皇后節子の愛と敬意に溢れた眼で大正天皇とその時代を描いていく構成が見事だ。明治・大正・昭和という3代の天皇の時代と心の在り様が浮かび上がってくる。
「軍艦マーチ」や「君が代」といい、実に効果的にこれ以上ない場所で巧みに用いられている。
この舞台を観た人でこの「軍艦マーチ」に涙し、「君が代」に(個人の思想は別として)厳粛さを感じなかった人はいなかったのではないか。
どの役者もこの人以外考えられないと思える演技を示す。西尾友樹は「熱狂」でのヒトラーといい、この作品の大正天皇といい、まるでその人物に憑依されたかのようだ。明治天皇役の谷仲恵輔もほとんど表情を変えない冷徹さの中に、終盤ごくわずかに情愛を滲ませるのが見事だ。他の役者も全く隙を感じさせず、ために舞台の空気が一瞬として緩むことがない。そして特筆すべきは皇后節子を演じた松本紀保だ。一見穏やかな口調に愛情と威厳とを充分に感じさせ、その姿に“国母”という言葉と、現在の美智子上皇后のお姿が重なってきた。
因みに大正天皇のご逝去は12月25日。上皇陛下の誕生日と間に1日(クリスマスイブを)挟むだけである。
さて、古川健に望むのは、この作品で畏怖される帝を選んだ昭和天皇が、終戦後マッカーサーとの会見で「責任は全て自分にある。文武百官は私の任命するところだから、彼らには責任がない。私の一身はどうなろうとも構わない。どうか国民が生活に困らぬように、助けてほしい」と言って(天皇が命乞いに来たものと思い込んでいた)マッカーサーを感動させ、その後の全国巡幸で国民を力づけ、晩年は大多数の国民から親しみと敬愛とを一身に集めた存在に変わっていくその心情を描ききってほしいものだ。上皇陛下は、公務の軽減など望まず常に国民のことを念頭に置いたその父親のお姿をこそ理想とされていたし、今上陛下もそう務めようとされているのだから…。
ところで、昭和天皇が発した昭和21年元旦の詔書、いわゆる「人間宣言」であるが、どこにも「人間」という言葉はでてこない。問題の部分は「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」とあり、天皇と国民の間は(天皇が高天原に降り立った神の子孫であるという)神話と伝説によって生ずるものではなく、また「天皇を現人神とし」そうした結果もたらされる「日本国民が他の民族より優位であり、世界を支配する運命を担っている」という架空の観念に基づくものではない、ということを言っている。この詔書は天皇と国民の精神的な結びつきの再確認という意味合いが強い。これがどのように作られたのか、そしてそれによって天皇の心はどう変わったのか、興味深いものがある。

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