小石川あきよっすぃーの観てきた!クチコミ一覧

1-20件 / 27件中
地球防衛軍 苦情処理係

地球防衛軍 苦情処理係

サードステージ

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2019/11/02 (土) ~ 2019/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

鴻上尚史さんの最新作「地球防衛軍 苦情処理係」というお芝居を見ました。現代の東京が舞台。東京に現れる
巨大怪獣を倒すべく創設された地球防衛軍。その戦いの中で、地球防衛軍のミサイルで自宅が破壊された等、
市民からの苦情や補償の問合せ等を受付ける苦情処理係の面々が主な登場人物。被害者としての「正義」を
主張してくるクレームの数々に対応し悩まされつつ、各々の登場人物達の「正義」と現実との狭間で葛藤する
姿が描かれています。時代の風潮を的確に捉えつつ、そこに鋭いメスを入れ、笑いやダンスや歌を交えながら、
時代の荒波に成す術なく流され絶望に打ちひしがれても、僅かな希望を見出し歩き始める、鴻上さんの
真骨頂が十二分に発揮された作品だと思います。もちろん見応えある人間臭いドラマも交じっているため
「正義」云々という問題に答えは出せなくても、登場人物たちそれぞれに十分に感情移入できる
名作だと思います。パンフレットのクレジットに「協力:円谷プロ」の名前を見つけました。
お芝居を見れば、ここが協力の場面かなあと何となく類推できますが、上原正三さん・金城哲夫さんといった
円谷プロの黎明期に活躍された方々が正面から向き合った「正義とは何か」「何のために戦うのか」という
問いを、令和の時代と向き合っている鴻上さんが受け継いだという見方も出来るのかなあと思いました。
物語は舞台演出の要素を十分に取り入れてますが、「特撮映画化も出来るんじゃね?」とも思ってしまいました。

主人公を演じた中山優馬さん。今回の役は、様々な人が主張する「正義」を一身に受け止めなければならず、
その間で葛藤する人間味と、ヒーローとしての凛とした一途さを併せ持つ難しい役を見事に演じていたと思います。
主人公の同僚を演じた原嘉孝さん。空回りする場面の面白さを引き出す演技と、自分に降りかかった問題に
苦悩する姿の対比が良かったと思いした。大高博夫・矢柴俊博さんのおじさんコンビの茶目っ気たっぷりの演技と
それに比例するような闇の演じ分けが良かったです。そして、ヒロインを演じた駒井蓮さん、一途な強さと
それ故の脆さを併せ持つ難しい役を、熱く演じていました。演劇は2作目とパンフに書いてありましたが、
ヒロインとして主人公演じる中山さんに十二分に渡り合っていました。このお芝居の
登場人物の中で一番印象に残り、感情移入できたのが駒井さんが演じる役でした。この二人のやりとり、
大高洋夫さんがパンフレットのコメントで「ダンとアンヌを彷彿させる~」とおっしゃっているのも
十分に分かります。円谷特撮が好きな方も、そうじゃない方も、見ていて切なくて胸が痛くなるけど、
笑えて熱くなれて最後には勇気をもらえるお芝居だと思いました。

愛犬ポリーの死、そして家族の話

愛犬ポリーの死、そして家族の話

月刊「根本宗子」

本多劇場(東京都)

2018/12/20 (木) ~ 2018/12/31 (月)公演終了

満足度★★★★

 作・演出の根本宗子さんはWEB媒体のインタビューで
「この舞台は家族をメインに書いた話」と答えていた。
対して私は「主人公・花の初恋と成長の物語」だと強く感じた。
 
 主人公は22歳の森花(藤松祥子)。髪はボサボサで、赤ベースで
犬の形のイラストが散りばめられたワンピースを着ている。
凄く幼く見えて、とても22歳とは思えない。
このお芝居は、彼女から見えた現実がメインに展開。
そして要所に彼女の頭の中での妄想が繰り広げられる。
 
 物語は花の22歳の誕生日からスタートする。花の誕生日には
家族が花とその3人の姉の実家に集まり、彼女にプレゼントを
贈るというのが例年の慣わし。姉たちは既婚者で、それぞれ
家庭を持ち、いつもは花しか実家には住んでいない。
だが、いつも彼女はプレゼントを快く受け取らない。
家族の誰一人として、花は心を開いていない。
彼女は、ポリー(村杉蝉之介)というオス犬を飼っていて溺愛している。
ポリーにだけは、自分の本心を打ち明ける。ポリーも人間の言葉が
分かるようで、ワンワンとしか吠えないが、花の耳打ちに
笑ったりする。犬の着ぐるみを着た村杉さんの仕草の一つ一つが
チャーミングで、冒頭の見せ場の一つ。
何と誕生日に溺愛するポニーが突然死んでしまう。愛情が深かった
だけに、酷く動揺する花。
 
 そこに、軽快な音楽が流れ始める。根本さんと、小春さん
(チャラン・ポ・ランタン)の合作「花が大人になるまでの歌」だ。
軽妙なリズムと歌詞に合わせて、登場人物たちが、花のこれまでを
説明する。幼い頃、3人の姉たちに遊び道具のように扱われていた事。
小学校低学年の時、母は他の男と駆け落ちし、そのせいで父は酒に
溺れ死んでしまった事。それらのせいで、感情が出せなくなって
しまった事。姉妹4人とも水商売をする祖母に
引き取られ、そこでポリーに出会った事。やがて祖母が死に、
ポリーが拾ってきた本に夢中になった事。その本の作者は
鳥居柊一郎という名前だという事。それ以来、花の生活は
ポリーと鳥居の本に支配されるようになった事・・・。
 登場人物たちがコミカルに歌いながら演技する演出は、
とても面白かった。根本さんの新しい演出へのチャレンジは
従来の根本作品には無かったようなユーモラスな面を増すという
意味で良い効果を生み出していたように思った。
 
 四姉妹の長女・35歳の森杏花(瑛蓮)。黄緑の服に青のストッキング。
恋愛結婚し、2児の子供をもうけ、専業主婦。
一見幸せそうに見えるのだが、問題を抱えていた。それは
旦那の俊彦(用松亮)の存在だ。彼は酷い程の男尊女卑の考えの
持ち主。家事と子育ては女の仕事と決め付け、全く自分は
手伝わない。杏花と俊彦は事ある毎に、口喧嘩をしていた。
その度に「お前は金を稼いでいるのか」「金を稼ぐ者が偉い」と
大声で叫び、杏花を黙らせる。
 次女の森窓花(小野川晶)も訳ありだ。紫の衣装に黒いストッキング。
姉の失敗を教訓として
お見合いで結婚相手を見つけた。相手は、タワーマンションに
住むエリートサラリーマンの裕也(岩瀬亮)だ。彼もまた
俊彦と違った意味でとんでもない男だった。
超がつくほどのマザコンで、年いった母親の負担を減らすため、
その代役を探していた。彼に引っかかったのが窓花だった。
子供のように裕也の歯を磨くだけでなく、性処理まで
母にやってもらっていたと知り、離婚を決意。
それを杏花に打ち明けるが、離婚に猛反対される。
「イザという時に男がいれば頼れる」というのが杏花の理由だ。
姉の反対にあい、渋々仮面夫婦を続けている。
 三女の森優花(根本宗子)は、水色の衣装、黄色のストッキング。
子供の頃事故に遭い、片足が不自由。事故の賠償金でお金には
困らないが、それに頼らず自立したいと思い働いている。
仕事は続けたいけど、足が不自由なので結婚したら家事が
負担になるし、子育ては更に重荷になる。だから、家事を
やってくれて子供は欲しくない男と結ばれたいと考えていた。
役者志望で家事が苦にならず、子供を欲しがらない、
ぴったりな条件の持ち主・真一(田村健太郎)と熱烈な恋愛の末、
結婚。優花だけは幸せになれるかと思いきや、真一は
大の仕事嫌いで、バイトは長く続かない。子供も嫌い。
子役時代のトラウマを引きずっていて、それをこじらせて
被害妄想が強い。極めつけが、極度の浮気性だ。
浮気の証拠を突きつけられても、被害妄想で屁理屈をこねて、
自分の罪を決して認めない。根本作品を見続けている者として
理論派で口も達者だけど、言ってる事はハチャメチャな
いつもの安定した田村さん感爆発な役柄。
 3姉妹とも結婚に失敗している。文字に起こすと、
どれも笑えない重い話だが、そこは根本さん、笑える要素をふんだんに
盛り込んで、お客の爆笑を誘って、重たさを感じさせない。
パンフレットで、各キャラクターは、「自分の家ではそれが
当たり前だと思っている」「どっちに正義があるか分からない。
誰もが正しくない」ように、この作品を書いたという。
確かに、一方的にこいつ、この家が悪いという事は
描かれていない。常識人がいて、歪な人物を一方的に
非難する事は全くない。逆にそれが、各登場人物の闇の深さを
あぶり出しているように思った。

 なぜ、花は家族からの誕生日プレゼントを素直に受け取らないのか?
家族を信頼していないのか?幼少の頃の姉たちの仕打ちだけが
理由ではなく、姉の旦那たちの本性を知り尽くしているから。
理不尽でおかしな旦那たちに為す術なく翻弄されている姉たちに
呆れていて、哀れんでいるからでもあるのだ。
 誕生会で集まった旦那たちの下品な
会話がポリーを死に追いやったのだと、花は思い込んだ。ポリーの
死に直面したときの涙目、旦那たちを睨みつけた目、藤松さんの目力の
並々ならぬ強さがとても印象に残った。
 ところで四姉妹の衣装、アイドルっぽい要素があり、根本さんの
拘りが感じられる。もちろん、センターの赤は花。

 最愛のポリーの死に直面し絶望していた花に、運命の悪戯が
待ち受けていた。何と大好きだった鳥居柊一郎(村杉蝉之介)から
ツイッターでDMを受け取ったのだ。エゴサーチして
自分の事を呟いていた花に興味を持ったという。そして花に会いたいと。
そして次の瞬間(といっても誕生会から数日後という設定だが)、
鳥居が花の家にやってきた。緊張し過ぎて変な動きを連発してしまう花。
この時の花の動きがとてもコミカルで笑ってしまった。
そして、花にとって夢のような日は1日だけでは終わらず、また
次の日も鳥居は花の家を訪ねてくる。
作家の特性として、人の話を聞く事が好きだったが、それが
億劫だと思ってきた時に、花の、鳥居と犬の事しか触れない
奇妙なツイートを発見し、花に会って話を聞いてみたいと思ったと言う。
花の感情は初日よりエスカレートし、ますます奇妙な言動に拍車が
かかる。身体をくねくねくねらせたり、つま先立ちで移動したり、
変な口調でしゃべってみたり等等。
感情を爆発させる花に対して、鳥居は常に冷静。親子ほど
年の離れた花に常に敬語で接している。常に子供っぽい旦那たちと
正反対で、非常に大人っぽい鳥居の対比が面白い。
花は姉たちと
その旦那たちとの話を鳥居にしゃべる。鳥居はますます花の話に
耳を傾ける。鳥居に「君は素直だ。何でも言ってしまう。良い意味
ですよ」と褒められた時、花は嬉しさのあまり、思いがけず変ちくりんな
動作をしてしまう。その変わったリアクションを鳥居に突っ込まれて
またまた変てこな言動をとってしまう。
 逆に、数日間、鳥居と会えず、全く連絡がなかった時は、酷く落ち込んだり、
夜中でも連絡はまだかまだかと執拗な程に何度もスマホを覗きこんだりする。
この時、パジャマに着替えたりしたのだが、ほぼ台詞なしで、最小限の
アコーディオンの音のみ。そこで彼女は
パントマイムのような動きを演じた。下手な言葉よりも
花の感情が彼女の所作によりストレートに伝わってくる良い演出だった。
根本さんの新しい演出へのチャレンジ意欲が強く伝わってきた場面だ。
 私の脳内では、この台詞なしのシーンに、ある曲が流れていた。
それは、宇多田ヒカルさんの「初恋」。
「うるさいほどに高鳴る胸」(「初恋」より抜粋)の花。
「勝手に」動き出した花の「足」。
たった数日会わないだけで「傷つくようなヤワな」花。
鳥居を「追わずにいられるわけがな」い花。
 数日後、再び花の家を訪れた鳥居は、花との一線を越える。
真摯な顔をしていても、実はロリコンスケベ親父か!
おまけに、鳥居には奥さんがいた。ほとんどしゃべらないが
鳥居の話をよく聞いてくれる妻だと彼は語る。
つまり不倫やんけ!浮かれている真っ最中の花を鈍器で殴るような話を
ぶち込んでくるのが、綺麗事だけでは済ませない根本作品の真髄。
鳥居との初めて一線を越える時に、自分の部屋のぬいぐるみたちを
片付けてしまうのがとても象徴的に思えた。
好きゆえなのか、鳥居に妻がいるという事実を受け入れる。

 で、ここまでで約1時間。その間、藤松さんは、ほとんど出ずっぱり。
舞台を縦横無尽に動き回るは、泣いたり怒ったり喜んだりして
心情の起伏は激しいはで、凄く大変だったはず。それをわずかな稽古
期間で、こんな難しい役をこなしている藤松さんの半端ない実力を感じた。

 ここから花は劇的に変わる。鳥居の発した言葉にどう応えたら良いのか
分からず不安になり、あれほど軽蔑し、哀れみの眼差しを送っていた
姉たちに、相談を持ちかけた。自分が年の離れた男と付き合っている事は
隠しながら。やがて花は、姉たちにほんの僅かながら心を
開いていくようになる。つまり、花は、大人の階段を一歩登ったのだ。
過去の根本作品なら、とんでもない事件が起こり、急に無理やりに
大人にならなければいけない登場人物は描かれていた。
この作品はそれとは違う、他人の気持ちも理解できるように
成長していく姿を、観客に感情移入しやすいように描いているように思う。
これも根本演出の新しい境地のように感じた。
その演出に、藤松さんも見事に応えていた。
 杏花に「なぜ、夫婦に拘るのか」と優しく問う花。「男に寄りかかりたかった」
「お父さんが(まだ生きて)いたら、早くに結婚なんてしていなかった」と
杏花の本音を引き出す。姉の意見を否定せず、肯定もせず黙って受け入れる花の
姿が目に焼きついた。「正しいのかなんて本当は誰も知らない」(「初恋」より)。
 鳥居との交際が順調に進む花は、ポリーが生きていた時とは別人のようだ。
もう鳥居と会っても緊張はせず、和気藹々。変ちくりんな言動もしなくなった。
鳥居と一緒にジョギングを始める。
黒いジョギングスーツを着た彼女は、姉たちの想像以上に背が高く、
スタイルも良い。姉たちも全く花の事を見ていなかった訳だが、そんな彼女たちでも
花の変化に徐々に気付いていく。

 ところが思いもかけない事件が起こる。何と鳥居と優花が肉体関係を持って
しまったのだ。それだけに留まらない。その不義の代償として、
優花は両足が不自由になり
車椅子生活を余儀なくされた。この件で、鳥居を含め花の実家で緊急家族会議が
行われた。もちろん花も同席していた。
花の話を聞いて、身体が不自由な女と寝てみたいという衝動にかられた鳥居と、
浮気性の真一に意趣返しをして精神を安定させたいという歪んだ思いがあった
優花との、両者の利害が一致したゆえの一夜限りの関係だった。
だが運命は過酷にも優花だけに罰を与えた。
車椅子生活になり泣き叫ぶ優花。この際不倫の事は脇に置き、優花をかばい
鳥居を激しくののしる真一。それに同調する姉たちとその旦那たち。
ただ一人沈黙を守る花。
車椅子で泣きわめく優花を見て、同じ車椅子で行き付けのスーパーに
文句を言う、同じく根本さんが演じていた「長谷川未来(みく)」を
思い出した。「今、出来る、精一杯。」(月刊「根本宗子」再び第7号)の
セルフパロディなのか?と一瞬考え込んでしまった。実際に、ご自身も
長く車椅子体験をされていただけあって、車椅子の扱いは慣れていると、
お芝居に関係のないところをついつい見てしまった。
修羅場なのに、いつもの冷静な口調を崩さない鳥居の姿が際立つ。
だが、罪を償うから娘のために事を荒立たせたくないと
土下座して謝罪する鳥居。はじめて感情的に声を張り上げた。
季節は変わり、皆、秋・冬ものの衣装を着ているのに、
花だけ最初の衣装のワンピースを着ていた。
終始無言だが、表情は非常に悲しそうだった。
 家族会議が終わり、鳥居と二人きりになった花。
鳥居が他の女とイイ関係になった事に嫉妬した事、それよりも
鳥居に娘がいた事を始めて知りその方がショックが大きかった事、
娘のために常に冷静な鳥居が感情的になり土下座した事に凄く驚いた事、
それでも鳥居にはここから帰って欲しくない事を
大声になりそうで押さえ、涙が流れそうでこらえ、感情を必死で
押さえ込もうとして伝える花。この藤松さんの絶妙の演技、
見ていてグッと引き込まれる。されど、鳥居は去っていってしまう。
もし、出会って間もない頃に、こんな事件が起きたとしたら
花は動転して、当初よりももっと変てこで滅茶苦茶な言動をしていた
だろうと容易に想像が出来た。花の成長を演じた藤松さんも
凄いし、それを演出した根本さんにも脱帽。
 
 ラストシーンは、何の説明もないが、おそらく花の脳内の出来事。
鳥居に思いを伝えるべく、花が彼の家を訪れている。
それを優しく暖かく見守り励ます姉たちやその旦那たち。
優花は車椅子無しでちゃんと両足で立っている。
花は時折少し寂しそう、悲しそうな表情を浮かべる瞬間は
あるものの、いたって冷静で穏やか。
花は家族相手に、鳥居に言うべき事を予行演習している。
「男の人といると安心する」という姉たちの気持ちを理解できた事、
理想の父親像を鳥居に求めていた事、そしてこれからも
鳥居と付き合いたい事を吐露する。
またまた宇多田さんの「初恋」の歌詞を思い出した。
I love you じゃなく「I need you」であることに
やっと腑が落ちる。

「森家四姉妹、全員、ファザコンっていうオチかい!?」と
心の中で叫びそうになったが、
最後、花がもう一度最初のワンピース姿に戻った意味を
考えた。外見は変わらなくても、中身は全く変わった事を
強調するために、戻ったのではないか。
一人の登場人物の心の成長を、見ている者が時に
恥ずかしくなるほど躍動的に、そして、初恋が儚く散った
経験を持つ誰もが時に息苦しくなるほどに切なく描ききった
根本さんの演出は秀麗だ。
 それに見事に応えた藤松さん。今作といい、
前作の「紛れもなく、私が真ん中の日」といい、
今後の成長が楽しみな役者さんだと感じざるを得なかった。

(終わり)

またここか

またここか

明後日

DDD AOYAMA CROSS THEATER(東京都)

2018/09/28 (金) ~ 2018/10/08 (月)公演終了

満足度★★★★★

 テレビドラマでおなじみの坂元裕二さん脚本「またここか」というお芝居を見て来ました。脚本家の名前を見ただけで速攻で申し込みました。脚本家の名前だけ見てチケットを申し込んだのは、根本宗子さん、鴻上尚史さん以来。つい先日、普段は見ないワイドショーをたまたまつけていたらこの作品、知らなかったのですが小泉今日子さんが代表取締役を勤める会社がプロデュースしていて、初日、その小泉さんと演出の豊原功補さんが挨拶している風景が流れてました。まあ、こんな風景初日だけだろうなあと思って、会場に入るやいなや
いきなり入り口に小泉さんが立っていて「いらっしゃいませ」と言いながら時折、招待客や業界人ぽい人たちと話してました。お客さんは、やはり坂元さんの影響か、若い女性が多かったです。大勢の女性が並んでいたので何事かと思って、先頭を見ると坂元さんご本人が、書籍にサインをしてました。
 で、作品の内容ですが、僕も坂元さんの作品を全部見ている訳ではないのですが、僕が見ている範囲で言えば「これぞ坂元ワールド」という作品でした。本題と全く関係のない事柄・会話が続き、なかなか核心に至らない展開、登場人物間の噛み合わない会話、そばにいる他者におかまいなしに何かに取り付かれたように登場人物が吐く台詞、ですます調の会話、悪者になりきれない良心とエゴの間を揺れ動く悪者、重箱の隅をつつくような細かい例えの連発、登場人物たちが織り成すドタバタ劇、そして、僕が坂元ワールドの真骨頂と思っている全く正反対のもの・水と油のものが最終的には交わり昇華していく展開に胸がすっとしました。
 坂元ワールドを見事に具現化した演出の豊原さんと4人の役者の人たちも素晴らしかったと思います。終演後は豊原さんもロビーに出て話をしてました。出口には、小泉さんが立っていて、お客さんに「ありがとう」を言っていました。良い作品を見れて、貴重な体験が出来て良かったと思います。

ローリング・ソング

ローリング・ソング

サードステージ

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2018/08/11 (土) ~ 2018/09/02 (日)公演終了

満足度★★★★

鴻上尚史さんの最新作音楽劇「ローリング・ソング」を見ました。20代の中山優馬君、森田涼花ちゃん、
40代の松岡充さん、60代の中村雅俊さん、久野綾希子さん演じるそれぞれの登場人物の
夢・理想と現実とのギャップに葛藤しながら、それぞれの人生で前を向いて進んでいくストーリー。
鴻上さんといえば時事問題をこれでもかとぶっこんでくる作風だと思うんですが、今作は
それを最小限に止め、夢と現実、家族と他人、お金と愛情といった普遍的なテーマに重きを
置いた作品だと感じました。そのせいか、鴻上さんの作品の多くに見られる、比喩的な意味が
込められた日常に入ってくる超常的な出来事が、今作では全く描かれず、現実的な
話に終始してました。それらの狭間で激しく揺れ動く登場人物たちの葛藤や
心の変化を丁寧に描いていて好感が持てました。それらがあったからこそ、最後の
シーンを見終わった後で爽快感や勇気を感じられたのだと思います。
役者の皆さんがちゃんと歌をやっている人たちだったので、歌の部分も十分聴き応えが
あったし、登場人物のその場その場の心情に凄くマッチした曲ばかりだったので、
音楽劇としてもとても楽しめました。
劇中、会社云々という現実的な話が出てきて、やたら詳しいなあと感じたのは
鴻上さん自身が経営者でもあるからなのかなあと考えたりしました。やはり
お客さんは若い女性の人が多かったですが、普遍的なテーマが重視されているので
男性でも、若くなくても楽しめる作品だと思いました。

日本文学盛衰史

日本文学盛衰史

青年団

吉祥寺シアター(東京都)

2018/06/07 (木) ~ 2018/07/09 (月)公演終了

満足度★★★★

登場人物の人間臭さと時事ネタ、風刺ネタが絶妙に交じり合った良作。

紛れもなく、私が真ん中の日

紛れもなく、私が真ん中の日

月刊「根本宗子」

浅草九劇(東京都)

2018/04/30 (月) ~ 2018/05/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

 これは、根本宗子さんが描く「友情」についての物語。
 開演30分前に劇場入りする。もう既に役者達が舞台上に
現れていた。絵がいくつも飾られている静かな雰囲気の洋間に
女の子たちがいる。3つのグループに分かれていた。上手にある
ソファーに座って可愛らしい服を着た5人の女の子たちが
無邪気に「かぶっちゃいけないゲーム」をしている。
部屋の真ん中では、藤子不二夫のアニメに出てきそうな原色が際立った
服を着て、髪の毛にティアラを付けた3人の女の子たちが
絨毯の上で胡坐をかき、UNOをしている。
下手では、白いワンピースを着て髪の毛にリボンを着けた2人の
女の子が何やら楽しそうに会話をしている。話題は、
男について、恋愛について。本編が始まる前という事で油断していたが、
もう既に様々なところで伏線は張られていた。

 本編は、小林寛佳が部屋に入ってきたところから始まる。
部屋にいる少女たちは、押し競饅頭をして真ん中のポジションを
取り合う「真ん中ゲーム」をする。その姿が瑞々しい。
この部屋は、ソファーに座っている
女の子の一人・山中志歩(役者名・役名が同じ。中学1年時代の
少女たちは役者名と役名が同じ)の家の部屋。父は
歯科医で大金持ち。彼女は、大好きな父が
フランスで買ってきたという、子供達が手に手をとっているイラストが
描かれた服を着ている。この絵がこの舞台を象徴しているものだとは、
この時は想像すらつかなかった。中学1年の彼女の誕生日という事で、
彼女はクラスメイトを誕生祝いに招いているという設定だ。
ソファーに座っている藤松祥子、城川もね、尾崎桃子、高橋紗良は、
山中の大の仲良し。親がお金持ちという共通点もある。
例年、この5人だけで誕生日会を開いていた。
しかし学校の先生から、他のクラスメイトも呼ぶべきと説教されて、
普段はあまり親しくない人たちも招く結果になった。
 UNOをやっていたのは、年1回のミュージカル観劇を
楽しみにしている一般家庭の女の子たち。自分達を「チーム中流」と
呼んでいる。この3人の団結は固い。
 よくよく考えてみると、凄い構図だ。着ている衣装もさる事ながら、
ソファーと絨毯の上というポジションで、「格差」を表している。
中学1年でも彼女たちは、もう大人だ。グループを越えて遊びつつ、
「格差」が表立って場が白けそうになった時、誰かが場を取り繕い、
雰囲気を穏やかにしようとする。この必死さが笑いを誘う。
我ながら残酷だ。

 そんな彼女たちを、数々の厳しい現実が徐々に蝕んでいく。
 夫が若い女と駆け落ちし止むを得ず山中家の女中
として働く事になった尾崎の母(森桃子)の出現。同級生の前で
嘘をついた小林に容赦ない体罰を加える小林の母(比嘉ニッコ)。
小林の嘘が、金持ちグループに対する妬みからだった事も切ない。
暴力を振るう小林の母に、真っ先にハグをして止めに入る山中。
誕生会の主役とはいえ、ここまで結構ワガママな行動をとってきた
山中だから、意外な優しさと勇気に驚かされた。
山中一人の力じゃビクともしないので、グループの垣根を越えて
皆で小林の母を止めようとするシーンは、笑えるところ
満載なのだが、同時に心に迫るものがあった。まさに
山中が着ている服のイラストに少女たちの姿をだぶらせてしまう。
 そして最後に待ち受ける極めつけ。本編が始まる前、椅子に
座って男や恋愛を語っていた福井夏が、何と山中の父と
不倫をしていた事が発覚したのだ。山中の父はわいせつ罪で
逮捕され、経営していた病院も倒産。困惑する山中。
それ以上に動揺していたのが、最愛の相手に会えなくなる福井だ。
不倫サイトに登録し出会ったのが山中の父だった。
交際してから同級生の父だと気付く。皆から非難されるが福井は言う。
「ノリオさん(山中の父)だって、不倫サイトに登録してた
じゃないの!」ぐうの音もでない事実。
そんな中、一人だけ福井をかばったのが、彼女とおしゃべりを
していた大竹沙知だ。「なっちゃんは、本当は友達思い。
私たちはお金がないから皆でサプライズをやろう、と言い出したのは
なっちゃんだった。山中さんのために、サプライズを率先してやった」と。

この演劇の秀逸さの1つに登場人物の多面さがあげられる。
自分の気持ちを押し通そうとするが友達思いの面もある福井。
ワガママだが優しさと勇気を併せ持つ山中。
普段は友達思いだが、計算高くイザという時には友を盾してしまう藤松。
娘思いだが、キレると容赦なく体罰を加える小林の母。
子供たちのために明るく振舞うが、自分の事となると熱くなる尾崎の母、
等等。
それを受ける登場人物たちのリアクションや表情も目まぐるしく変わる。
各登場人物の多面性が、物語に笑いと膨らみ、そしてリアリティを
物凄く与えている。

でも、全く効き目がない。さらに福井は畳み掛ける「私は、
ワンルールで母と弟の3人暮し。山中さんの幸せを少しくらい
私に分けてもらっても良いじゃないの」と。お金持ちグループを
羨ましがる感情に同情する声があがり、場はますます混乱する。
 絶望に打ちひしがれた山中は藤松たちの制止を振り切り、
母の運転する車に乗り、家を後にする。
 それから、山中と藤松たちとの連絡は途絶える。

 最悪の誕生日会から6年。高校生になった藤松(安川まり)たち
4人組は相変わらずお金持ち家庭。
毎年、山中の誕生日に彼女の居場所を探すため旅をしていた。
藤松はあの日、山中をハグしてあげられなかった事をずっと
後悔していた。藤松は子供の頃お婆ちゃんが死んで
悲しみに暮れていた時、山中にハグされて
救われた経験がある。あの日、私もハグをしてあげていれば
山中を救ってあげられたのではと悔やんでいたのだ。
あとの3人は、その苦悩し続ける藤松を見るのが心苦しく
何とか助けたいと思い、藤松の山中探しの旅に同行していた。
1年が過ぎ、大学1年になった時、4人は成長した
山中(増澤璃凛子)と再会する。
 美人過ぎるホームレスインスタグラマーとして活躍していた
彼女は、昔の彼女とは全くの別人だった。犯罪者の娘である事を
隠し通すために、整形をし、肌の色も変え、母とも縁を切り、
一人だけでも稼いで生きていく術を頑張って身に付けての
現在であった。
昔茶色が好きだと言っていた彼女が暮らすダンボールハウスは
薄い紫色で統一されていた。
 再会に感動する藤松。だが、山中の反応は違った。
「ホームレスにもご近所付き合いがある。近所迷惑だ」
「今は祥子ちゃんたちと会っても何とも思わない」だから
帰ってと。あまりの冷たさ、あまりの変わりように驚き、絶望し、
怒りを覚えた尾崎(李そじん)たちは藤松を置いて立ち去ってしまう。
 「あの日の山ちゃんの気持ちをずっと想像していた」と、
何とか山中の心を開こうとする藤松。だが「想像するのと
体験するのは違う」と冷たく言い放ち、藤松の顔を睨みつける山中。
睨みつけながらも目は潤んでいて、身体が小刻みに震えていた
増澤さんの演技に心震えた。
そこに中1の山中が現れ、大人になった彼女を怒鳴りつける
「ここまでどれほど寂しくてみんなに会いたかったか!
気付いてほしくて、(独特な)歯だけは変えなかったじゃん!」と。
だが、大人の山中は心を開かない。
自分の会いたいという気持ちを優先して、過去の自分に
蓋をしたい山中の気持ちを犠牲にして良いのか?と
激しく揺れ動く藤松。彼女の潤んでいる目に思わず
引き込まれてしまった。中1の藤松が成長した自分に叫ぶ
「ここまでブレずにやってきたじゃん。一度決めたらブレないのが
私の取り柄じゃん」と。大学生になった藤松は涙を流す。
中1の藤松も目に光るものがあった。
演じている安川さん、藤松さん、渾身の演技。
観てる方も胸が熱くなる。
 大人になった藤松は、あの日、サプライズとして歌うはずだった
ロッシーニの「愛」を山中に向かって歌い出す。するとあの日、
あの場所にいた全員が山中に向かってそれを合唱し始めた。
無邪気に喜ぶ子供の山中と、冷たい態度は変えないが
小刻みに身体を震わし明らかに心が揺れ動いている今の山中。
 
 合唱で歌われるロッシーニの「愛」。
この物語をまさに体現している。
この歌有りきで、この曲に合うように脚本を書いたのでは、と
思いたくなるくらい。まさに伝家の宝刀。やられた~、と
叫びたくなるくらい心打たれた。
歌詞の中の「貧しき者に望みを与う」。この場面にぴったりだ。
経済面はもちろん、心も貧しくなっている今の山中に、
寄り添う事で望みを与えたいという藤松の切なくも熱き願いが
込められているように聴こえてならない。
 そして「友となりし我らは苦しみを分かち合わん」の歌詞。
まさにこのお芝居の肝だと思う。藤松の何とかして
今の山中に伝えたい心情の核心中の核心。
 この歌詞の具体的な表現方法として、このお芝居では「ハグ」が
重要視されている。お婆ちゃんを失った藤松の悲しみを
分かち合うために山中はハグをしたのだと考える。だから
藤松は山中をハグする事に拘る。
 劇中、チーム中流にひょんな事から亀裂が入るが、やがて
仲直りをする。その時にも彼女たちは思い切りハグをしていた。

振り返ると、これは凄い皮肉な事で、その皮肉がラストを
暗示させている。チーム中流は、家庭にお金はないが
苦しみを分かち合い友情を固めた。逆に、お金持ちチームは
お金を持っているが、苦しみを分かち合えず友情を失った。
山中は失ったお金を自分一人で稼げる方法を身に付けたが、
苦しみを分かちあって欲しいと内心思いながら拒否し
友情を捨てた。

 歌が終わっても、気持ちが変わらない大人の山中を見て、
失意のうちに立ち去る藤松。その彼女にそっとハグする
子供のころの山中、で劇が終る。

「夢も希望もなく。」のラストを思い出した。あの時は
長い間失われていた友情が最後に回復するお話だったと
記憶している。今作は回復しなかった。
「根本作品に同じ結末はない、甘かったな」と自分に
駄目出ししつつ、甘くないからこそ、心にしっかりと
刻み付けられた作品だった。

チラシで根本さんは「書いたことのない女の子達を、
ニューヒロインを私から出したい」と語っていた。
その願いは叶えられたと思う。
「女の子であること」「根本さんの舞台を観劇したことが
あること」、この2つの条件でオーディションを受け
合格した21人の女優さんたち。夢・目標であった
根本作品への出演を叶えた彼女たちには、
次なる夢や目標に突き進んでいって欲しいと強く願う。

スーパーストライク

スーパーストライク

月刊「根本宗子」

ザ・スズナリ(東京都)

2017/10/12 (木) ~ 2017/10/25 (水)公演終了

満足度★★★★★

 パンフレットで根本さんはこの作品を「日常劇を自分の中で
最上級にエンタメにした作品」(パンフレットより抜粋)と
語っている。まさにその通りの極上のエンタメ作品。
それでいて、心に深く刺さるものがあるお芝居であった。

 開演前、客席に着き、舞台上を見る。
「もっと超越した所へ。」のように、4つの部屋で区切られている。
が、このお芝居は、上段に3つ、下段に1つと不規則だ。
何か仕掛けがあるのではと直感する。
上段の左側の部屋はほぼピンクと白で統一されていて、女性の寝室と一目で
分かる。上段真ん中の部屋は壁は青色一色に塗られていて、
中央に便座、その斜め上にトイレットペーパーが置かれている。
トイレだ。上段右側の部屋は和室。おおよそ4畳半くらい。
そこには狭い和室に不似合なシャンデリアの照明と、壁に貼られたピンクの
飾り物、机に置かれたうさぎのぬいぐるみ。それらは左側の寝室にも
ある。偶然なのか?何か関係があるのか?
 下段の部屋は、壁に「キャッツ」や「ミス・サイゴン」等の
ミュージカルのジャケットが飾ってある。整理させている
地味目な部屋。
 劇が始まり、その部屋の主たちが登場する。上段左の部屋の主は
足立麻里(長井短)、25歳。可愛らしい衣装を着ていて、劇中
何度も衣装を変える。相当おしゃれ。まさにイケてる最中の
典型という人物だ。そしていつも
人の目を気にしている。それは彼女が可愛いというのを
売りにツイキャスをしているという事実に繋がっていく。最近は
「私、需要無くなるんじゃないの」と視聴者の減少に悩まされていた。
挙句の果て、世話が全くできないのに受けが良いというだけで犬を飼う始末。
一人っ子でお金持ちの娘という事もあり、自己中で承認欲求が強い。
人使いが荒く、人が自分に合わせてくれるのが当たり前だと思っている。
そのくせ、人をネガティブな目でしか見ない上に、それを口に出してしまう。

 そんな麻里と同じマンションに住み、麻里に良い様にこき使われているのが
トリマーをやっている橘エイミー(ファーストサマーウイカ)、24歳。
上段真ん中のトイレの主である。麻里が飼っている犬を世話したり、
麻里の無茶振りを、小言を言いながらも、請け負ったりする、良い人である。
麻里とは友達の仲だが、同じ一人っ子なのに麻里とは大違い。
物語では語られていないがきっと苦労人に違いない。苦労の末に、
手に職を持ったのだろうと私は推測する。ゆえにますます麻里が図に乗るのだが。
なぜトイレなのか?それはエイミーが自宅の中で一番落ち着く場所だからだ。
便座の上で胡坐をかき、カップラーメンを頬張る。
麻里と違って、落ち着いた衣装で長めのスカートを履く。自分の仕事に誇りを持ち、
落ち着いてはきはきとしゃべり、どこへ行っても裸足。ペディキュアが綺麗。
衣装を含めて、こういう性格の女性は私は好きだ。

 上段右側の部屋の主は黒川桃子(根本宗子)、25歳。
麻里のツイキャスの視聴者だ。今も昔もお金には縁が無い。
初見、麻里やエイミーのようにさほどの印象はない。お話が進んでから
明らかになる事だが、パニック障害の持ち主。他の登場人物と相対する時、
相手の顔を直視できない、何かとすぐに謝る、瞼の開閉の数が
いやに多い、麻里やエイミーに比べ圧倒的に衣装も地味だし、
己に自信がない女性だ。
 根本さんはパンフレットのインタビュー記事で、原作者・演出家として
「自分(ちゃんとした芯)がない役を自分(役者としての根本さん)に回す」と
いうような事を言っていた。確かに思う節がある。
根本さんが演じてきた中で「スズナリで、中野の処女がイクッ」のじゅんや、
「皆、シンデレラがやりたい。」の
赤瀬由衣などは、自分はないが器用で強かで周りの空気を読んで
うまく立ち振る舞う役であった。「別冊『根本宗子』第5号
『バー公演じゃないです。』」の「わたなべ」のように、自分が無さ過ぎて
周りに流されっぱなしの役もあった。今回の黒川は後者に近い感じだ。

 そして、下段の部屋の主は、RENT Tシャツを着た横手南(田村健太郎)、
30歳だ。ゲオでバイトしながら、オーディションを受けている役者の卵。
部屋に飾られているジャケットやTシャツからも想像がつく通り
ミュージカル好き。だけど、役者としての才能は今ひとつ。
全くオーディションに受からない。なぜなのか?
過去の根本作品に出てきたような、相手の胸の内を全く察しない
コミュ障でスーパー自己中男の雰囲気も言動もない。
他人が言う事もちゃんと聞くし、発言もまともで、周囲への思いやりもある。
ストーリーが進んでいくうちに、その理由がおぼろげに分かってくる。

 で、麻里が、出会い系アプリ「tindar」で南を見つけ気に入り「Like」を
送った事から物語は動き始める。それを見ていたエイミーも「tindar」で
南に「Like」を送る。その一部始終が誤ってツイキャスで放映されていた
事から黒川も南に「Like」を送る。だが、エイミーと黒川はさほど南に興味を
示しているようには見えない。
 受け取った側の南は舞い上がり、「ライク」を「スーパーストライク」と
勘違いし、3人と同時に付き合う。
 一人の男性が複数の女性と付き合うという設定は、「超、今、出来る、
精一杯」や「新世界ロマンスオーケストラ」にも見られた。前者では
一人の男が言葉巧みに何人もの女性と交際して子をはらませたり、
後者では、女性たちを利用して自分がのし上がっていこうという野心家だったりと
どちらとも身勝手な男だった。
対して、南は麻里らの無茶振りに文句も言わずに応え、相談にも乗り、
雑用もこなし、彼女らのためなら何でもするような、他人思いの優しい男である。
 当初は彼に対してあまり関心がなかったエイミーや黒川も
彼の優しさや誠実さに魅了されていく。黒川は自身のボディラインを凄く
強調するような服で彼の部屋に訪れ、言葉に出さずとも
猛烈にアピールする始末。(根本さんのボディライン良かったです)
 
 そうこうしているうちに、南の部屋で3人が顔を合わせてからは
バトルの始まりである。なぜか麻里と黒川は靴下以外上下同じ
衣装を着ている。エイミーは、麻里との主人と家来のような上下関係に
悩み彼女を裏切りたくて南に近づいたと告白。
 黒川は、実は麻里とは中高6年間の同級生。地味で目立たなかった彼女が
リア充でスクールカースト上位の麻里とつるみ、彼女と同じ衣装を着る事で
自分もステータスが上がったと思っていた。麻里と同じ、花柄の入った
白いワンピースで現れたのは、
おしゃれに鈍感な黒川が、麻里と関わっていた時のイケてる服を
まだ持っていたからだ。しかしただの麻里の引き立て役に
すぎなかった事に気づき、彼女から離れていった。今のエイミーと
同じ立場だった訳だ。いまだに麻里の事が気になっていたので
ツイキャスを見ていたのだという。麻里がいかに酷い人物であるか、
彼女にされた仕打ちの数々を暴露する黒川。黒川も麻里の
恋を邪魔したくて南に近づいたのだ。南にとって黒川は、
この公演の御挨拶に根本さんが書かれていた「負の情報ばかりくれる人」、
まさにそれだ。
同じ境遇を経験した黒川が現れ、彼女に同情するエイミー。
エイミー・黒川連合VS麻里の激しい口論が繰り広げられる。
このバトルが非常に笑える。
今まで挙動不審で、まともに話し相手の顔を見つめていられなかった黒川だが、
麻里と対峙してからは人が変わったように、相手を凝視し睨みつけ、
確信を持ってきつい言葉を投げかける。この豹変ぶりが面白い。なぜ靴下だけが
違うのか?私が考えるに、そこはせめてもの麻里への抵抗、
自分自身の誇りを表現したいとの熱望の表れではないかと。

 では、なぜ学生時代散々コケにされた麻里のツイキャスを見ていたのか?
いまだに黒川には麻里への執着があったからだった。過去にどんなに
酷い目に遭わされても麻里を理解したい。なんで今麻里の隣にいるのが
私じゃないの!?怒りの矛先は急にエイミーに向けられた。
こんな複雑な執着の持ち主に、「今、出来る、精一杯。」の車椅子の少女・
長谷川未来を連想してしまった。
エイミーも昔から麻里を知っている黒川に嫉妬し、今度は黒川とエイミーとの
闘いが始まる。目まぐるしく人間関係が変わる展開は
根本さんの十八番。めっちゃ爆笑した。

 さて南はというと、3人の声に耳を傾け、それぞれの発言に「わかる」を連発し、
誰の敵でもないように振舞う。それは、彼女たちからしてみれば
何も分かっちゃいない。どっち付かずの南の態度に、3人の集中砲火が
始まる。それを必死に受け止める南。ここで衝撃の事実が。南は、これまでの人生で
同性・同年代・老若男女、誰一人
友達がおらず、それを作るために「tindar」に登録したのだという。
女しか寄ってこず、男との出会いが無いのを本気で不思議がっていたのだ。
しかも、友達という存在に異常なほど固執する。
「いったい、この人は何なんだ」未知との遭遇を今まさに実感しているかのような
麻里・黒川・エイミー。パンフレットで「同じ事柄(「tindar」でやりとりする事)でも
人によっては受け取り方が全然違う」というような事を根本さんは
言っていたが、まさにそれだ。
ここまでくると、南が役者として大成しない理由が観る者の腑に落ちてくる。
誠実ゆえに八方美人。相手が一言では言い表せないとても複雑な事情を
抱えていても、迷いもなく自信を持って簡単にもっともらしい言葉を
言ってしまう人間。常に正論を吐く人間。作詞家で音楽プロデューサーの
いしわたり淳治氏は言う。
「正論は右から左へと聞き流されてしまい、人の心には
全く刺さらない」と。その聞き流されてしまう正論をいとも簡単に、
相手の心理を深く考えもせず簡単に垂れ流してしまう。自分特有の事情や
気持ちを全く理解されずに正論ばかりを強引に押し付けられると人は怒りを
覚える。人の話を聞いて「分かる」を連発するも、何もその人の
心情を分かっちゃいない。善意を振りまいて周りに迷惑をかける人間。
それを南は認識していない。過去の根本作品には出てこなかったが、
彼もまた変り種ではあるが、まともなようでまともじゃない一種の
「スーパー自己中」、一種の「コミュ障」なのだ。それを本人が
分かっていないから、なかなか役者として芽が出ない。
役者としての大成どころか、彼には若い時からずっと友達が出来ないという
のも、その自覚症状が無いからだ。南の半端ない「友達」への執着が
逆に人を離れさせる、という事も
全く理解していない。何とか3人は、男女の壁を強調し、南を突き放そうとするが
それが返って、南の執心に火をつけ食い下がってくる。
南が必死になればなるほど、そのやりとりに大爆笑してしまった。
凄い圧の演技、田村さんお疲れ様でした。

 想像をはるかに越えた南という存在の前では、麻里・エイミー・黒川
の間の争いは無意味だと感じた3人は、3人の間のわだかまりを昇華して
南の部屋を立ち去る。残ったのは、まだ友達に固執する南のみ。
これでこの物語は終わりかと思いきや、黒川一人が南の前に再登場。
「あなたのおかげで長年の麻里への
執着は消え去った。友達から付き合ってください」と自身の
気持ちの大きな変化と、まだ恋心はある事を南に必死に告白する。
まるで「今、出来る、精一杯。」の長谷川未来の
魂の叫びのように。
 麻里、エイミー、黒川の心の鎖を解き放った根本さん、
南にもそのチャンスを与えたんだなあと感じた。
お話はここで終るのだが、私は、時間はかかっても
南は黒川の力を借りて、友達への執着を自らの手で
脱ぎ捨てる事が出来るだろうなあと、続きを想像してしまった。
 
 執着を捨て去った黒川と、彼女と南とが二人三脚で
南の執着を外していこうと歩み出す姿に、自分を重ね、心揺さぶられ、
自身も何かのくびきから解き放たれたように感じた観客も
多いのではないだろうか。
 飛び道具演出で笑わせてくれ、二転三転の人間関係の
どんでん返しで笑わせてくれ、最後は、なぜだか
心温かく開放感を感じさせてくれる作品だった。

新世界ロマンスオーケストラ

新世界ロマンスオーケストラ

東京グローブ座

東京グローブ座(東京都)

2017/04/30 (日) ~ 2017/05/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/05/06 (土)

 根本宗子さん、ジャニーズ演劇、そしてその聖地・東京グローブ座
進出第1作になったこの「新世界ロマンスオーケストラ」。
 ジャニーズ演劇は過去何作か見た事がありますが、演出が岩松了さんだったり、
鴻上尚史さんだったり一流の演劇人の作品ばかりだったので、根本さんも
ついにその中に加わったのかと思うとシミジミしてしまいました。まあ、
根本さん本人はまだまだそこには達していないと思っているでしょうが。
 ジャニーズ演劇という事で、根本さんらしさを少し引っ込めるのではと
少し危惧していたのですが、杞憂でした。開演前に会場に流れていた曲の中に
女性アイドルの曲が。どのグループの何という曲かわかりませんでしたが、
それを聞いて、いつも通りだと安堵した訳です。
 パンフレットによると、この演劇の企画が持ち上がったのは1年ほど前との事。
1年ほど前?まさかバー公演の「K・U・N」がこの作品の布石だったのではと邪推
してしまいました。ちなみに、僕はKAT-TUNの知識のほとんどを
この「K・U・N」から教わりました。これがあったからこそ、楽しめた、
面白がれたのは事実です。
 ぶっ飛んだ個性を持つ登場人物たち、ちょっとした会話や小道具に隠された伏線、
目まぐるしく変わる人間関係、毒がたっぷり盛られた台詞、予想できない展開とラスト、
それらが巻き起こす笑いとカタルシス。僕が考えている根本さんらしさも
この作品にも存分に盛り込まれていて、またまた安堵。主演の上田君に自虐ギャクを言わせた時、
「きたー。これぞ根本さん」と思ったと同時に、上田君のファンの人たちはどういう反応を
するのだろうと一瞬考えましたが、ファンの人たちも笑っていたので「よっしゃー」と
叫びたい気持ちになりました。ほんまに、ジャニーズ演劇を見てる人は懐が深い。
そして目が肥えている。
 過去の根本作品に出てきた「絵本作家」等も出てきて、再びニヤリ。

 登場人物の中で特筆すべきは、何と言っても、主演の上田竜也君。2時間ほどの舞台を
出ずっぱり。その中には当然の如く、ダンスや歌あり。そして、清水くるみちゃん、早織さん、
青山美郷ちゃん、長井短さん(いつも通りの変な役で、変な役のままグローブ座に
立っているのがシミジミとした部分でもあり、面白い部分でもあったりした訳です)、
根本宗子さん、西田尚美さんが演じる、性格も
年齢も国籍も全く違う、チョー個性的で一筋縄ではいかない女性たちをそれぞれ全力で
相手をしなきゃいけない。忘れちゃいけない宮崎吐夢さんも。(パンフレットについていた
恋愛心理テストによると、僕は宮崎さんタイプとの事。でも僕はそっち系には興味はないので)
第一、上田君演じる主人公も彼女たちに負けず劣らず変わり者で、常識外れしている。
相当体力も必要だし、演技の幅も試されるし、自分の役や相手役を理解するのも大変で
凄くやりづらいはずなのに、最後まで主人公を全うする姿、とても好感が持てました。

 その次に注目したのが、ヒロイン役の清水くるみちゃん。彼女が演じた玲奈は、今までの
根本さんの作品には出てこなかったタイプの人だと感じました。周りの常識からは全然受け入れ
られなくても、一途に自分勝手な理論を貫き通す人は何人か出てきましたが、玲奈は、
ほとんどの人が最もだと思う正論を、何の迷いもまくズバズバ言う人間。それが新鮮だと感じました。
が、玲奈を見て僕はある映画のとある人物を連想しました。映画「ヒミズ」に登場する
二階堂ふみちゃんが演じる茶沢。彼女も正論をズバズバ言う人間でした。
「新世界ロマンスオーケストラ」と「ヒミズ」似てるなあと感じた訳です。どっちも好きだからの
こじつけですが。どちらも、一途に相手のためを思って正論をずばずば言う人間(玲奈と茶沢)が
いて、それを拒む主人公がいる(上田君演じる拓翔と染谷将太演じる住田)。言う人間、言われる人間
どちらも溺れかけてるのに、正論を吐く人間が自分の事を放っておいてもう一方を励まし応援している。
登場人物が生きるか死ぬかのギリギリのところで真剣勝負している
(玲奈も拓翔との恋に命かけてる)こういうヒリヒリした演劇や映画、
僕は大好きです。この感覚、「今、出来る、精一杯。」でも
感じました。だから、今までの根本作品の中で「今、出来る、精一杯。」が一番好きです。
この作品は「今、出来る、精一杯。」と並んで僕の中では、好きな根本作品同率1位です。
そう言えば、僕が劇場で生まれて初めてみた演劇、鴻上さんの「パレード旅団」もヒリヒリしてたなあ。

 根本さんは意図してたのか、意図してなかったのか分かりませんが、この玲奈が拓翔に言う台詞、
KAT-TUNファンの女性が彼らに伝えたい気持ちを代弁させている部分もあるのかなあと
感じました。そう受け取った人もいるんじゃないでしょうか。そう感じた人は、きっと
泣いていただろうと思います。根本さん自身がKAT-TUN好きだからなあ。さて、どっちなので
しょうか。
 
 さて話を戻して清水くるみちゃんです。なぜヒロインは清水くるみちゃんなのか。本人やファンの
人には失礼なのを承知の上で言いますが、各登場人物の性格を全然告げずに、男性に好きな
女性は?とアンケートをしたとしたら、1位をとるのは難しいんじゃないかなあと。
(ちなみに1位は早織さんかなあ)それが返って、同性から親近感を覚えてもらって
感情移入されやすくなる。それが大きな理由の一つなんじゃないかと。
 根本さんはパンフレットで、清水くるみちゃんについて「彼女は悔しさとかを隠しがちな人だと
思うので、演出でそれをどこまで見せられるか」(パンフレットより抜粋)と述べてます。
これって、映画「桐島、部活やめるってよ」で彼女が演じた実果じゃん。
根本さんがこの映画を見たかどうか確認してませんが、この舞台からでも「桐島~」からでも
周りの人間に、そして自分の不器用さに悔しがり、それを隠そうと必死にもがく演技で観る人の
共感を得られるのは彼女の魅力の一つなんだろうと思います。
 なぜ、拓翔は玲奈に魅かれたのか?それは、玲奈に自分と同じ、自分の不器用さを悔しがっている
臭いを感じたからかもしれないと僕は考えます。そう考えると、同性だけでなく、
異性からも感情移入されやすくなります。そこもヒロイン決定の理由かな?
「桐島~」でも、見た目が可愛い橋本愛や山本美月のリア充たちよりも、男性から好感を持たれたのは
実果でしたから。

 さて、「これはちょっと物足りなかった」という点があったのも事実。それはセット。
いつもの根本さんの舞台だと女性が主人公なので、主人公の部屋だとか女性が集まる場所が多く、
それがリアルに再現されているのですが、今回は男性が主人公だからなのか、
リアルさがあまり感じられなかった。
まあ、主人公が金持ちというリア充の設定だからなのか、物語には関係ないので省略されたのか、
男性のお客さんはごく少数派だからそこまで気にしなくていいと思われたのか、
逆に男性からは同性としてとっつきにくい存在にしたかったのか、
理由は分かりません。若い男性の部屋だから、平成ウルトラマンや仮面ライダーのフィギュアとか
週刊少年ジャンプ、ミュージシャンなのだから神として崇めるアーティスト等のポスターとか
貼ってて欲しかった。そうすると心理的に虐げられている男性のお客さんにも、同性として共感の余地が
なかったどうしようもない性格の拓翔にも、親近感が持てるところもあるじゃん!と感じてもらえるのにと
思ったわけです。
 あと、拓翔は打ち込みで作曲するミュージシャンなのに、部屋に機材少なすぎ。本物を借りるのが
難しいなら、ちゃちくてもぽいものを作って置いて欲しかった。大森靖子さんに、音楽だけでなく
セットの監修もしてもらえば良かったのにと思いました。逆に「ミュージシャンの家なのに
機材や楽器少なすぎだろ」と笑うところだったのか?!そして、女性達がその機材を勝手に
触っても、拓翔が怒らないところ。「怒れよ!ミュージシャンなら命の次に大切なものなんじゃ
ないのか!?」と。「そこから新たな笑いが取れるのに!」と。いや、それはベタだから、
わざと外したのかな?

 つべこべと書いてきましたが、大好きな作品がまた一つ増えた喜びに浸っている僕なのでした。

バー公演じゃないです。

バー公演じゃないです。

月刊「根本宗子」

劇場HOPE(東京都)

2016/06/14 (火) ~ 2016/06/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

別冊も見逃せない!
 「人生思い通りにいかな過ぎて、めっちゃ笑える」。
この演劇を見た感想を一言でまとめるとこうだ。
 「どんなに苦しくったって私にはソウルメイトがいる」
「こんなに私の人生がボロボロになったのはアイツのせいだ」等の
主人公の心の中の決め付け、支えとなっていたものが尽く
壊されていく面白さ。
 
 ご挨拶の中で根本さんは「私なりのアート演劇」を作ったと
書いている。劇が始まる前の舞台を見ると、本公演と
違う事に気付く。本公演では「これって出てる役者さんの
住まいの中とかバイト先を再現してるでしょ」と思ってしまうほど
生活感・現実感溢れるセットが多い。が、この劇は、白い
壁に白いレースがかけられ、そこにうさぎのぬいぐるみ等
主人公が好きそうなものがかけられているのみ。床も真っ白。
大道具といっても、白い立方体の椅子があるだけ。
生活感がまるでない。なぜうさぎなのか?主人公の「わたなべ」
(根本宗子)がセーラームーンの月野うさぎが好きだから。
もちろん根本さん本人も。
 劇中に流れる音楽もいつもと違う。いつもはアイドルソングや
ロック・ポップスが流れるが、この作品では一切それが無い。
ただ登場人物の心象にぴったりなクラシック音楽が流れるのみ。
「アート演劇」っぽい。

 主人公・わたなべ、26歳。静岡県出身。だが静岡弁が出ない。
セーラームーンの月野うさぎや漫画版のちびまる子ちゃんが好きな
一人っ子。
そんな彼女が幼い頃から現在まで自らの人生を告白していくという
スタイルで物語は進む。
 彼女は、小学校6年の頃から、皆と同じ行動をするのは変だと
考え始めクラスで孤立し始める。いつしか彼女はひとりぼっち。
彼女にはトラウマがあった。保育園の入園試験で、同じく受験に
来ていた見ず知らずの女の子と言い争いになり、はさみで
その子の髪の毛を無理やり切ってしまった事。わたなべが何か
人生の壁にぶつかった時、必ずその子の事を思い出すようになった。
このエピソード、出演者の青山美郷ちゃんの実体験をもとに作り出した
もの。脚本への取り込み方が絶妙に上手い。
 中学生になってもボッチだった彼女に何と友達が出来た。
きっかけは修学旅行の班分けで、余った人間の寄せ集まりに
入った事。彼女以外の3人もボッチだったわけだ。
 1人目の友達は「ほりい」(長井短)。ディズニーヲタクで
歌が好き、将来の夢は歌手。友達がいないのに仕切り屋。身体が硬い。
 2人目は「たかはし」(青山美郷)。新興宗教の信者。だから
なのか、しゃべる際はいつも瞬きせず瞳孔が開きっぱなし。
本公演の根本さんの脚本は当て書きの部分が多いが、いくら何でも
瞳孔開きっぱなしは当て書きじゃないだろう。躾けが厳しい親に育てられた
反動なのか、堂々とあぐらをかいたり、きつい言葉をはいたりする。
宗教やゲームなど、一度何かにはまると、猪突猛進で突き進んでしまう。
 3人目は「ゆめかわ」(石澤希代子)。「性」に対する興味は
人一倍強い。一見大人しそうに見えるが、意外と戦略家で
大胆な面も併せ持つ。
 背丈や体型が違うにしろ、細かい所は微妙に違うが4人はほぼ
一緒の衣装を身にまとう。白い上着に、黒い長スカート、
白いストッキングに眼鏡。似てるのは外見だけではない。
周囲や社会に馴染めず、運動神経が悪く、家事も出来ない、
食事に拘らない、勉強もあまり出来そうにないという
面までも一緒なのだ。
 そんな彼女らは同じ動作をしたり、同じ台詞を
言ってみたりする。類は友を呼ぶ事を強調する効果を
狙ったのか?それともアート演劇としての狙いなのか?
いずれにせよ、これが見ていて大変気持ちが良かった。
そして、客席に向かって台詞をはき、あまり登場人物同士
面と向かってしゃべり合わない点も印象に残った。
 
 4人は中高と同じ学校に通い、4人とも上京して
同じアパートに住み、同じバイト先に勤めた。
 わたなべは、「うちら4人はソウルメイトだ。
辛い時も、4人一緒にいれば苦にならず、安心できる。
4人はいつも同じで平等。これが私の心の安定に繋がっている」と
感じるようになる。
この安心感・一体感がますます彼女らを駄目にしていく展開が
凄く笑える。

 だが、実はそのように考えていたのはわたなべだけで
あとの3人は全然違っていた。3人が別々の道を何の
ためらいも迷いも仲間への遠慮もなく勝手に
歩み出してはじめて、わたなべの中の安心感・一体感は
彼女だけの独りよがりな妄想だと気付かされる。
根本さん得意の終盤に待ち構える大逆転が、このお芝居でも
見事に発揮され、観客の爆笑と爽快感を誘う。
 
 孤立感を深めるわたなべの心の中では、幼い頃髪を切った
女の子が途方も無く誇大化する。「彼女に謝りたい、彼女に
許されたい」そういう願いが積もりに積もって、激しい
思い込みが生まれ、誰も予想がつかない行動に出る。
 果たして、わたなべの思いは成就されるのか?
 ここでまた、大逆転な展開が繰り広げられる。
 最後の瞬間まで先が見えず、大いに笑えて、すっきり感が残る。
凄く良いお芝居だった。

 いや、すっきりしない人もいるだろうなあ。
「駄目な奴は、何をやっても駄目だ」って、身も蓋もない
厳しいこの世の現実をこの演劇から言われて
いるように感じた人もいるはずだからだ。
結局、演劇はアートにおしゃれにできるけど、人生は決して
アートにおしゃれにならないって肝心な事を、根本さん流の
「アート演劇」は私たちに教えてくれたような気がしてならない。

忍者、女子高生(仮)

忍者、女子高生(仮)

月刊「根本宗子」

ザ・スズナリ(東京都)

2016/04/23 (土) ~ 2016/05/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

何にもすがらない自由を勝ち取る少女の戦記
 「笑い、エンタメたっぷり、絶対王政から自由を勝ち取る
少女の大逆転大河ドラマ」。拙者が1回目この劇を観た時に思った
感想だ。面白すぎて結局3回この劇を観た。感想は
「何にもすがらない自由を勝ち取った少女の戦記」に変化した。

 今までの月刊「根本宗子」なら、舞台は仕事場、登場人物間の
人間関係といえば、職場の同僚や上司・先輩・後輩、もしくは
恋人同士、または友達というのが多かったが、この劇は違う。
 この劇の舞台は「安曇野家」という家の現在。安曇野家は、
成田空港からさほど遠くない、車でジャスコに買物に行くような土地にある。
借家ではなく持ち家に住み、そこそこの資産家。登場人物はほぼ
その一族。物語はその家族に新しい構成員が入るところから始まる。
 安曇野家の絶対的戸主は58歳のミチコ
(川本成、猪股和磨、小沢道成が順に演じる)。
彼女は女手一つで三男(長男・川本、次男・小沢、三男・猪股)一女を
育てあげる。上三人の息子たちは全員一見ちゃんとした社会人に成長し
それぞれ家庭を持つ。娘も成績優秀な女子高生。そんな彼女が24歳の
太一(土屋シオン)と婚約。
今では珍しくない年の差婚だが、家族はこの結婚に猛反対。なぜか?
ミチコの娘で17歳の主人公・咲良(根本宗子)の担任が太一だからだ。
担任と実の母が結婚という複雑さに加え、咲良が太一にほのかな恋心を
抱いていたため、余計に反発が膨らんだ。
 息子3人も大反対。なぜなら、彼らは「超」がつくほどの「マザコン」で、
年下で部外者の太一に母を取られるのが嫌だったからだ。
息子たちの超マザコンぶりや、彼らの太一への嫉妬からくる大人気ない言動、
ミチコと太一のバカップルぶりが観客の大爆笑を何度も誘う。
 
 実は息子たちが超マザコンになるように、ミチコが意図的に育てたのだ。
咲良曰く「息子たちを自分の好みの男性に育て上げた」のだ。
息子たちには「お母さん」や「おふくろ」等ではなく「ミチコ」と呼ばせたり、
人前で彼らと腕を組んだり・・。「欧米か!」と突っ込みたくなる反面、
いまだに和式便所やダイヤル式電話機を使い畳の上が一番と言ったり、
息子たちの躾けには厳しかったり、息子がイオンの
袋を持っているにも関わらずいまだにジャスコと言いはったりと保守的な面も
合わせ持つ。安曇野家の家訓は「ミチコを大切にする事、ミチコの言う事に従う事」。
安曇野家の中では、イオンではなくまだジャスコなのだ。なぜなら、ミチコがそう呼ぶから。
息子の嫁たち(大竹沙絵子、梨木智香、あやか)も、ミチコから散々な目に遭わされ、
母優先の夫たちから粗末に扱われ、不満を抱きながらも安曇野家のルールに従っている。
ミチコの暴君ぶりは半端なく、それゆえに観る者は大笑いと同時に彼女に嫌悪感を抱く。
 その嫌悪感を隠さないのが咲良だ。安曇野家唯一の反逆児、突っ込み役だ。
息子たちとは真逆で、ミチコからぞんざいに扱われている彼女。育児放棄された恨みも
過分にあるが、それがかえって、この家の異常さを冷静に分析する思考力や、
それに対処する行動力が身についたと、拙者は考える。それがLINEや
テレビ電話を使い兄の嫁たちを自分の御方に引き込もうとしたり、忍者部に入り、
そこで獲得した術で家の図面を入手し、家のあらゆるところから、
ミチコと太一を監視したりするという事に繋がった。

 物語の終盤。安曇野家に君臨していたミチコが不慮の事故で急逝。それがきっかけで
実は太一もマザコンで、ミチコに実母の面影を見い出したから付き合い始めた事が発覚。
今度はミチコと瓜二つの咲良を奪いにかかる。太一への反感から、急に妹思いになった
息子たちとその嫁たちは太一から咲良を守るために立ち上がる。
 月刊「根本宗子」ならではの大どんでん返しの爽快感。殺陣の面白さとカッコ良さ。
ここまでのお話の中で使われていた小道具が、こんな意外なところで役に立つとは!
と感嘆する脚本の妙。そして何より、母や兄やその嫁たちを捨て家を出て自由になると
宣言する咲良の堂々とした生き様に、観る者は酔いしれる。

 拙者は冒頭、この作品はある種の「大河ドラマ」だと書いた。「安曇野家」を
めぐる母と娘の17年もの間に及ぶ争いの記録。家の支配者たる母は、自分の
地位を脅かす存在になりかねない娘を、幼い頃から邪険に扱う。長年虐げられた娘は、
知略を使い、兄の妻たちを御方に引き寄せ、母への抵抗を試みる。大河ドラマによく
見られる親と子の確執、策略で敵御方がころころ変わる人間臭さ。忍者や刀が出てきたり、
殺陣があったり、家が焼き討ちにあったりする事も弥が上にも大河っぽさを感じさせる。
 
 だが、この演劇、その要素だけでは止まらない。
 ミチコが咲良を嫌う理由。それは、咲良がミチコを大切にするという
安曇野家の掟に従わない事が一番の原因だと当初は考えていた。そんな咲良は、
成績優秀で仲間を作る能力が高いという事もミチコには脅威だったに違いない。
 理由はそれだけなのか?咲良と妻たち3人との何気ない会話の中で、こんな
台詞が出てくる。「子供は親の嫌なところが似る」。「咲良は小さい頃から色目を
使って男を誘惑してきた」と語るミチコ。実は、ミチコが自覚していた自分の
嫌な点でもあったのではなかろうか?
しかも、自分に似て可愛いし、自分と同じ仲間を作る能力もある。これでは将来、自分を
大事にしてくれる人たちを、この子に奪われるかもしれない。
そのような被害妄想に似た危機感が、ミチコが咲良、強いては女の子の血族を毛嫌いする
最大の理由ではなかろうか。
 息子役の川本、小沢、猪股が順に演じてきたミチコ。その遺影が
根本だった事は、血の繋がりはもちろん、外見だけではなく内面も似ているという事の
象徴だったのかもしれない。
 人間の心の奥に潜む醜い深層心理を笑い・エンタメ要素たっぷりに描いているのも
このお芝居の魅力なのだ。

 この劇の魅力はこれだけか。いや、まだある。拙者が感じたこの演劇の最大の
魅力は、何事にもすがらずに生きていく自由を勝ち取った咲良の姿だ。
 このお芝居に登場する人間は、咲良以外、何かにすがって生きている。
 母にすがって生きている息子たちと太一。母が死んだら、今度は咲良にすがろうとする。
 息子たちや太一より立場が上のように見えて、実は彼らに寄りかかって生きているミチコ。
 息子の妻たちはどうか?
 ミチコから不条理な仕打ちを受ける彼女たち。いつもの月刊「根本宗子」なら、
自分の運命に嘆き悲しんだり、怒り狂ったりして、咲良の側に立つはずである。
だが、今回はそうならなかった。結局はミチコ側に立ったのだ。これが大人の対応、
現実に近い選択で、この劇に説得力を持たせるのに効果的だった。加えて、
彼女たちも、何やかや言いながら安曇野家にしがみついている事がはっきりする。
何かにすがって生きている人々の可笑しさや哀れさが凄く表現されていた。
何かに依存して生きているのは安曇野家の面々だけではない。私たち一般人だって
そう。だから、必死に生きようとする彼らに観客は親近感を抱く。
 咲良も太一や妻たちに頼りたかったが、結局は頼れなかった。
 それが逆に咲良を成長させた。家を捨て家族を捨て、先生を捨て、自由に生きて
みせるという何者にもすがらない彼女の力強い姿に、大いなる勇気と爽快さを感じた。
何かに必死ですがる事しか出来ない我々の理想を、咲良は最後の最後で見事に叶えて
くれたのだ。
 『忍者、女子高生(仮)』。このタイトルが意味するものを考えた。もちろん、
歴史に出てくる忍者という意味もある。あと、何かにすがり生きるために
耐え忍ぶ者、という意味もあったのでは、と拙者は推測する。何かに依存する限り、
仮の姿のままだ。忍ぶ者が、成長し、自由を奪い取り、本来の姿を手に入れた。その姿に、
観客は心を激しく揺さぶられるのだ。

 「忍者」とタイトルが付いているのだから、もう少し忍者らしい事をやって欲しかった、
忍者部について語って欲しかったというのが正直なところ。最後の殺陣の場面、
忍者部での鍛錬のおかげで咲良が一番剣術が強かったってオチも有りだと思った。

 根本宗子のモットーは、「今しか、私しか」作れないお芝居を作る事。最後の
咲良の何者にも頼らないという強烈な宣言は、根本自身の、演劇に対する信念を
貫き何者にも寄りかからず独自の道を歩んでいこうという熱烈な思いも
込められていると拙者は確信する。

超、今、出来る、精一杯。

超、今、出来る、精一杯。

月刊「根本宗子」

テアトルBONBON(東京都)

2015/11/01 (日) ~ 2015/11/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

アイドルは生き様見せてナンボなんじゃい!
 アイドルは生き様見せつけてナンボなんじゃい!
思わず手拍子してしまった。パフォーマンスはもちろんだが
その生き様に。ちょいヲタ芸してる観客も
いた。その気持ち分かる!ペンライト有ったら振ってた。
小心者なのでこっそりだけど。それくらい楽しかった。
当然だがめっちゃ笑えた。
 アイドル超大好きの根本宗子「にしか」書けない
「今しか」出来ない、超こだわりのお芝居。
 
 この演劇を強引に一言で表すと
「アイドルの実態に迫ったドキュメンタリー映画風
コメディ」だと思う。
 舞台は、埼玉県のとあるスーパー。
「自分ウケる」が口癖の超軽いスーパーの店長・篠田
(加藤啓)は店の売上をアップするため妙案を
思いつく。それは「スーパーマーケットアイドル」。
客寄せにアイドルとして店の屋上で歌ったり
ファンと写真撮ったりイベントを開催しながら、
普段は店員として働かせるというもの。
 彼の部下で性欲が強いがびびりの下島
(サゲジマ・宮下雄也)はその計画に賛同。
アイドルの募集をかける。
 選ばれたのは7人。
下島の彼女で7人の中で自分が一番可愛いと
思い込んでいる果鈴(尾崎桃子)、
どこにでもいる平凡な25歳の小夏(石橋穂乃香)、
個性が無い事を悩んだ末ギャルの道を選んだ志歩(あやか)、
最年少の19歳・いつもテンションが高く
バラエティタレントを目指しているハーフのジュリア(長井短)、
商売上手な仕切り屋の恵理子(梨木智香)、
元地下アイドル・一見メンヘラ
キャラだが意外としたたかで過激な策士の由梨(根本宗子)、
最年長39歳、アイドルになる夢を叶えるため家族を
捨ててきた崖っぷち感がプンプン漂う静香(新谷真弓)。
この7人でアイドル活動をスタートさせた。
 目指すは日本武道館。だが、現実は厳しくスーパーの屋上も
満席にできない。こんなどうしようもない
アイドルですら、センター争いが勃発。解散の危機に
直面する。果たして、夢の武道館に辿りつく事が出来るのか?
 ただでさえ、どのキャラクターも個性がきつくて非常に
笑えるのに、その彼女らが超真剣に凄まじいバトルを繰り
広げるのだから、笑いはますます増幅していく。
 
 「女の子はたくさんの夢を背負い、追いかけ、信じて生きて
いるんだと思います」(「ご挨拶」より抜粋)。根本はこう語る。
そんな女の子たちの夢の中で今最も多いのが「アイドル」
なのだろう。家柄や才能が無い何者でもない普通の女の子が、
他の誰でもない唯一無二の光り輝く何者かになれるのが
人気の理由なのかもしれない。
 だからアイドルの夢を一途に必死で追いかける一人一人に
激しく燃え盛る「ドラマ」が生まれるのだ。それは一人一人が
主役のドラマ。どんなに小さく世間に全く知られていない
アイドルにも紛れもなくドラマがある。ドラマある
ところに生き様あり。ドラマが激しければ激しいほど生き様も
強烈さを増す。
 根本が大好きな前田敦子がAKB時代、過呼吸で意識が朦朧と
しながらも舞台に立ち続けたのも、前田敦子の生き様。
 嗣永桃子が男の芸人にボコボコにされても「許してにゃん」と
ぶりっ子キャラを貫き通したのも彼女の生き様。両者とも
生き様、自分なりの筋を通している。そんなもの
見せつけられたら、アイドルに詳しくない拙者ですら
「あんたすげーよ。凄すぎるよ」と言うほかない。
 一方、ちっぽけでどうしようもない
スーパーマーケットアイドルの7人。7人の言動は、
他人からは滅茶苦茶で常識外れだとレッテルを貼られる
かもしれないが、各々の心の中ではちゃんと筋が
通っていて、真っ直ぐで、己の信念を貫いている。
生き様をこれでもか!と見せつけている。
それが超カッコイイんだ!やっぱこの7人も
「あんたすげーよ。凄すぎるよ」と
叫びたくなるのだ。叫ぶ代わりに手拍子しちまったよ。

 拙者が観た回は、高校生ぐらいの女の子の客が結構いた。
彼女たちはこの劇を見てどう感じたのか?「面白い」
「共感できる」って他に「根本さんのお芝居に出たい」とか
「根本さんのように演劇を作りたい」と夢を抱く人も
いたのではなかろうか。「根本さんは私のアイドルです」。
そう思った人がいても全然不思議じゃないほどのお芝居だった。

 根本は言う「私に私以上に面白い企画を持って来てくれる人に
出会うまで、私は自分の演劇にすべてを捧げ続けます」(演劇サイト
「コリッチ」より抜粋)と。この作品は観客に、当分の間
そんな人間には出会えそうにないと思わせるほどの快作だった。
超カッコイイ。これが彼女が今、
背負い、追いかけ、信じている夢そのもののような気がする。
この言葉に裏づけされた彼女の生き様に、
「あんたすげーよ。超超凄すぎるよ」と叫びたくなるんじゃい!

今、出来る、精一杯。

今、出来る、精一杯。

月刊「根本宗子」

テアトルBONBON(東京都)

2015/10/23 (金) ~ 2015/10/30 (金)公演終了

満足度★★★★★

精一杯生きているあなたに贈るお芝居
 「今だから、私だから」。根本宗子が演劇を作る際のこだわりだ。
この作品は特に「私だから」書ける、いや「私にしか」書けないという
執念が全面に押し出されている。
 約2年半前に上演されたものの再演だが、「今だから」という要素も
盛り込まれている。
 自意識過剰で、コミュニケーションが苦手な現代人がわんさか
出てくる。超面倒臭い人間たちのバトルロワイヤル。
各々のキャラの突拍子もない言動と、個性の強いキャラ同士が
ぶつかって起こす熱く激しく面倒臭い化学反応に、
観客は大いに笑わされる。
 
 物語の舞台は3箇所。スーパーの事務室兼店員の控え室と
アパートの1室、そしてビルの屋上。
 スーパーには、優柔不断な店長・小笠原(オレノグラフティ)、
店長と恋仲のななみ(長井短)、八方美人なバイトリーダー・
西岡(片桐はづき)、チョーテキトーで口うるさい矢神(浅見紘至)、
矢神の恋人・陽奈(大竹沙絵子)、酷いドモリで他の店員とは
ほぼコミュニケーションがとれない金子(野田裕貴)、他人との
距離感が全く掴めず自分の意見を絶対に言わない坂本(墨井鯨子)、
店唯一の常識人で正義感が強い杏(福永マリカ)、
そして、嵐をじゃんじゃん呼ぶ女・利根川(梨木智香)。
この利根川の暴れっぷりが超強烈。その傍若無人さと、彼女に
引っかき回される周囲のアタフタさに、観客は爆笑する。
 アパートの1室には、OLのはな(あやか)と、その彼氏で仕事が
長続きせず生活力がなく彼女無くしては生きていけない安藤
(宮下雄也)。
 スーパーとアパート両方に登場する、車椅子に乗り、
スーパーに弁当を強引にねだりにくる謎の女・長谷川(根本宗子)。
ビルの屋上は、序盤は何も動きはない。
 話が進むにつれ、金子がドモる理由、坂本が自分の意見を主張しない
訳、そして長谷川が車椅子生活になった謎が明かされていく。
 
 繰り返すが、2年半前に上演されたものの再演である。
なぜ、今この作品をやるのか?ほとんど当時の脚本には手を加えて
いないと根本は言う。8日間の上演の後、たった1日空けただけで、
何と新作を披露する。当然、稽古の量も演出を考える量も、精神的にも
肉体的にも何もかもが倍ほどの負担となる。初演時、膨大な不安を抱え
精神的にいっぱいいっぱいで精一杯作り上げたこの作品と、
今の精一杯で挑む新作を「戦わせてみよう」(演劇サイト「コリッチ」
より抜粋)と考えたからだそうだ。
 
 もっと突き詰めて考えて、なぜこの作品なのか?彼女曰く、この作品は
「私にとって大きな転機になった作品」(コリッチより抜粋)であり、
精一杯になって作り出した「私にとって大事な作品」(挨拶より抜粋)
だからなのだろう。
それだけなのか?いや違うと拙者は断言する。もう一つ付け加えるなら
彼女がこだわる「私にしか」書けない演劇の現時点での最高峰だからだと
拙者は推測する。その根拠は、彼女が演じる長谷川である。
長谷川が車椅子生活を余儀なくされるきっかけは、脚色されて
いるものの、モロ、根本本人の実体験だ。根本も、多感な
中学・高校時代の大部分を怪我のため車椅子で過ごした。夢であった
モーグル選手を諦めざるを得なくなる。その時に感じた絶望、悔しさ、
惨めさ、コンプレックス等のマイナスの感情は我々の想像を絶する
ものだったに違いない。その負の感情の発露が半端ない。
そこから生まれたであろう、強烈で圧倒的な台詞、
いや叫びの数々。「みんな、私の事を分かってくれない。
みんなにとって現実味がないからだ!」「人から強いねって
言われるけど、いつも強くはいられない」「私の面倒臭さを引き受ける
覚悟はあるのか!」、「でも、諦めきれない!!」「自分の中の正しいと
思う事を守るので精一杯!!」一つ一つが、心に深く鋭く突き刺さる。
 「芝居でただ憂さ晴らししてるんじゃないのか?」と突っ込んだ人も
いるかもしれない。だが、そんな表層的なものを遥かに越えた、
血と汗と涙がたっぷりつまった生命力が舞台上からビンビン伝わってくる。
その生命力は観る者に勇気を与えてくれる。まるで、心身ともに苦しくて
希望を失い歩みを止めそうになった時、自分よりボロボロになった大切な
人が傍らで希望を捨てず全力で応援してくれているかのように。
この芝居全体が、観る者にとっての大切な人であり、精一杯生きる者たちの
背中を強く押してくれているのだと感じられる。

 長谷川とは、テレビやネットで見せる明るい笑顔の裏に隠された根本自身の
負の過去や側面そのものだ。この作品は特にそれが際立っている。
やはり「私にしか」書けない。
 
 色々述べてきたが、本当に「今」観れて良かったと思える作品であった。

わが娘

わが娘

月刊「根本宗子」

BAR 夢(東京都)

2015/08/12 (水) ~ 2015/08/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

「学芸会」万歳!
月刊「根本宗子」のバー公演・舞台「わが娘」見てきました。
立ち見含め25人程の観客。若い女性もいましたが、
かなりの割合、根本さんが言う「演劇オヤジ」でした。
まあ自分もその一人ですが(笑)。根本作品らしく、
個々のキャラでも笑わせ、ストーリーでも笑わせ、
しかもストーリー(というか登場人物間の人間関係というべきか)が
二転三転し先の読めない展開に、40分という上演時間が
短く感じられるほど、凄く楽しめました。
根本さんがチラシに書いていた「学芸会」要素も面白さを加速
させていたように思います。
月刊「根本宗子」初登場の13歳・甘南備由香ちゃんも良い味出してました。
それだけ根本さんの当て書き(今回も当て書きような気がします)が
良かったのでしょう。個人的には、梨木さんの
「前進あるのみ。邪魔する奴はぶっ倒す」的な演技が今回も
見れて良かったです。

夏果て幸せの果て

夏果て幸せの果て

ねもしゅー企画

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2015/06/03 (水) ~ 2015/06/09 (火)公演終了

満足度★★★★

幸せの果てに連れていってくれる演劇
 この作品、もはや演劇ではない。じゃあ何なんだ。
演劇なんだけど、ただものではない。ただものではない
ところにヒロイン・ヒーローショーまでぶっ込んでいる。
 悪ばかりがのさばり、正義なんてこれっぽっちも
僕たちを救ってくれないこのご時世。ヒロイン・
ヒーローなんてテレビの中のただの気休めにしかならない。
 だが彼女・彼らには他に大事な存在価値がある。
「現実を忘れさせてくれる」存在。「束の間の現実逃避を
手伝ってくれる」存在。このお芝居自体が、他の
どんな演劇やテレビ・映画よりも、壮大かつ
僕たちに凄く身近で、大人が使うような難しい単語も
全く登場せず、まるで自分自身の隠れた別の姿を見ているような
錯覚を与えてくれる「現実を忘れさせてくれる」存在なのだ。
僕たちの束の間の現実逃避を歌と笑いで手伝ってくれる。

 季節はうだるような暑さの夏。舞台上では2つの物語が
文字通り同時進行している。主人公・オオモリセイコ(根本宗子)の
部屋で繰り広げられるお話と、彼女のバイト先のコンビニで
展開されるお話
 セイコは、彼氏・ドウジョウジマモル(鳥肌実)の浮気が
心配で心配で、とてもバイトに行ける状態ではない。
マモルが女子高生・ホシノイズミ(城川もね)と楽しげな時間を
過ごしていると勝手な妄想を膨らまし、自らを苦しめている。
妄想の中で、大森靖子(本人が本人役で登場)にギターの弾き語りで
励ましてもらったり、相談に乗ってもらったりしているが、
発狂寸前。次から次へと繰り出される被害妄想と、セイコと靖子の
やりとりが観客の爆笑を誘う。靖子が連れてきた生活保護の女
(梨木智香)が、セイコの胸騒ぎを増大させ、笑いが加速していく。
さらに靖子の歌が、人を好きでいる事の幸せと、それとは裏腹に
不安でどうしようもなく切羽詰ったセイコの感情に見事に
マッチしていて、とても切ない。
 その頃、コンビニでは、私生活で諸々問題を抱えた
今岡(大竹沙絵子)、野崎(あやか)、宇佐美(相楽樹)が
それらを忘れて一念発起し、大きな仕事に取り掛かっていた。
彼女らの悩みや仕事のやり様が大袈裟すぎてめちゃくちゃ笑える。
 セイコを含め彼女たちのオーバーな心配っぷり・取り乱しっぷりが
自分のようないかにも小市民らしくて共感が持てた。
小市民万歳。
 
 セイコの夢想の中の1シーン。マモルがイズミを監禁している。
けど、奇妙な事に彼女は彼をどこかヒーローのように
見ていて、彼も彼女をヒロインのように扱う。加害者・被害者という
現実を忘れて。2人の会話はいかにも幸せそうな雰囲気を醸し出す。
2人を見ていると、現実とは見えない監獄のようなものかもしれないと
思えてきた。通常は、囚われの身でありながらその事を忘れ享楽に
ふける者と、そこから必死に逃げようとする者とに分かれる。
セイコの場合はどちらでもない。自分の身を縛っている縄を自ら
もっときつく締めているようだ。セイコを苦しめるマモルの言動と、
そこから導かれる邪推。今岡たちを困らせるリアル。
今身の周りにある一見関係のない鶴瓶の麦茶やテレビでよく
見かける化粧品のCM、時給650円のバイト代、最高気温を
更新した夏の蒸し暑さ、800円のアイス、
ポカリにアクエリアスに東幹久さえも一々腹立たしく感じられる。
そんなものに身も心も縛られ身動きがとれずに、気持ちがすり
減っていく。そんな時こそ、ヒロイン・ヒーローの登場だ。やっと
出た。どうせなら、赤の他人より、自分がヒロイン・ヒーローに
なっちゃった方が断然現実から離れられ、しかも格段に楽しく
幸せだ。僕ら小市民を代表して、セイコが今岡たちが
ヒロインになっちゃいました。幸福そうな彼女らを見ていると
こちらまでハッピーな気持ちになってきた。
 言動や心持ちだけでなく、セイコに至っては衣装までもが
まさしくヒロインになった。欲深い拙者は、今岡たちにも
ヒロインの衣装を着させてほしかったなあ。
まあ、でも根本さんの役を越えて、素の幸せそうな顔を見ると
その欲を引っ込める事にした。
 
 スタッフいじりは、予定調和じゃない方が、そしてまだ経験の
浅いスタッフの方が、より素の部分が出て面白かったのでは?と
突っ込みたかったのも正直なところ。
 そしてこの舞台の目玉の大森靖子の音楽について。
彼女は「辛い現実をちょっと浮かせてマシにするのが音楽の役割だ」
(パンフレットより抜粋)と語っている。劇中の彼女の歌声は、
根本さん脚本・演出のこの舞台で、より一層その役割を果たす
事に成功している。
 「みんなを幸せの果てに連れていくにはまず私が
行かなきゃ」(公演の挨拶より抜粋)という根本さんの心意気と
試みが見事に結実した作品であった。

もっと超越した所へ。

もっと超越した所へ。

月刊「根本宗子」

ザ・スズナリ(東京都)

2015/05/09 (土) ~ 2015/05/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

超越した面白さとリアルさを併せ持つ演劇
 根本宗子が脚本を書き、演出し、出演しているお芝居は
今見なきゃいけない。後からじゃ駄目なんですか?はい、駄目です。
彼女は徹底して「今だから。私だから」(☆)書ける
作品にこだわっているから。
彼女が言う「今だから。私だから」書けるものとは
どんなものなのか?評論家さんの多くは彼女の作品を
「リアル女子演劇」と語っている。まあ、的を得ている
言葉だと思う。今を生きる女性たちの可愛い部分だけで
なく醜い部分も合わせ、リアルに描いているから。
でも、まだ言葉が足りない。リアルなのは女性だけではない。
男性もなのだ。
 
 この作品は男性側のリアル、俗に言う「ダメンズ」のリアルが
半端無い。劇中には、4種類・4人のダメンズが登場する。
プライドが異常に高いダメンズ、ナルシストダメンズ、
小心者ダメンズ、相手を傷つけたくないと思えば思うほど
傷つけてしまう、他人と深く付き合えないダメンズ。
笑ってしまうほど「こんな奴いるいる!」と凄く納得してしまう。
4人を一言で片付けてしまったが、各々には、
経済力の皆無、強烈な卑屈精神など駄目っぷりが十重二十重に
てんこ盛りされている。なのに誇張だとは思わない。
何をやっても駄目な男って周囲に結構いるという現実を
根本に再認識させられたからだろう。
 その4人にはそれぞれ彼女や女友達がいる。
彼女たちは皆、しっかり者で真面目で働き者で、
経済的に自立しているという、今時の女性だ。
登場人物全てが根本が言う「今だから」を体現している。
彼女たちは真剣に男の事を思い、現状の改善や将来の事について
真面目に考えているのに、ダメンズたちはその場限りの言い訳や、
責任回避などに明け暮れ、彼女たちの足を引っ張ってばかり。
空回りするやりとりが、幾度となく観客の爆笑を誘う。
当然、彼女たちはキレる。相手を傷つけたくないと思えば思うほど
相手を傷つけてしまう男が言う感情のこもっていない奇麗事に、
女性は泣きながら怒りをぶつける。「自分だけ良いカッコしないで」と。
拙者、こういう事、言われた事あります(笑)。いや笑っちゃ
いけないな、真剣に怒られたのだから。彼女たちが言う
男たちを非難する言葉、男性の観客なら、少なくともどれか一つは
自分にも身に覚えがあるはずだ。逆に言えば、女性の観客なら、
そういう言葉を実際に男に浴びせた記憶があるのではないか。
それだけ、男女問わず幅広く多くの共感を得られるという事だ。
 
 この4組の男女のお話が、文字通り「同時」進行
するという、今までに見た事がない構成だ。これが凄く面白い!
「どこでも観たことがないものをやり続けたい」(☆)という
彼女の決意が見事に反映されている。
それぞれの舞台は、主に女性の部屋。そこには、彼氏が好きな
ファンタオレンジの空きペットボトルがたくさん入ったゴミ袋や、
ジャニーズの顔写真が写ったウチワ、ピカチュウやキティちゃんの
ぬいぐるみなどがあり、舞台装置のリアルさにも抜かりがない。
それらが、根本作品の「私だから」を強烈に感じさせる。

 なぜこれほどまでにリアルなのか?出演者の小沢道成は
根本宗子について「とにかく見てるんです。人を。(中略)
観察力のずば抜けた人。まじビビる」(※)と述べている。
同じく出演者の大竹沙絵子も同様の意見である。
彼らが語る、根本のずば抜けた観察力が、彼女の作品の
凄まじいほどのリアルを支えているのだ。
彼女は自身の作品を「私は人を描くことで動く物語が
多い」(※)と分析している。ストーリーが登場人物たちを
動かしていくのではない。ずば抜けた観察力で描いた
今を生きるリアルな人間たちが、ストーリーを動かしていくのが
根本作品の特徴なのだ。だから、登場人物たちの発言や行動が
自然で、それがストーリーの自然さ・リアルさ、面白さに
繋がっている。その特徴は、このお芝居で一際際立っている。
他の作家が書く演劇では、それらがここまで突き抜けた
ものはなかなか見られない。
 最後の最後まで、「ありきたりなものなんていらないし、
もっと超越した感情が私はほしい」(*)という彼女の強い
意志に貫かれたこの作品。ラストのラストまで目が離せない。
面白かったの一言では済まされない、それよりはるかに
超越した感情を、観る者全てに与えた事は
紛れもない事実だ。

(終わり)

☆「ご挨拶」より抜粋
※パンフレットより抜粋
*月刊「根本宗子」のブログより抜粋

ジャンヌ・ダルク

ジャンヌ・ダルク

TBS

赤坂ACTシアター(東京都)

2014/10/07 (火) ~ 2014/10/24 (金)公演終了

満足度★★★★★

カリスマ演じる有村架純に注目の演劇
 有村架純演じるジャンヌ・ダルクは圧倒的な
カリスマだ。フランス軍の
兵士達が、彼女の叱咤激励に戦意を高揚し、
敵軍に勇敢に立ち向かっていく。
 舞台は15世紀のフランス。イングランドとの
百年戦争の真っ只中。フランス劣勢の時代に
田舎で羊飼いをやっていた彼女は、ある時
神から啓示を受ける。
「フランスを救え。王太子シャルル7世を王にせよ」と。
厳しい戦況ゆえに、シャルル7世(東山紀之)は
正式な王になれずにいたのだ。
 神の啓示を説くジャンヌは周囲から奇怪の目で
見られる。だが、彼女が起こす数々の奇跡や
純粋で力強い言葉は多くの者の愛国心を掻き立て、
勇気を奮い起こさせた。激闘の末、ついに
シャルル7世は正式な王位に就く。
 しかし、喜びも束の間。自分の知らぬ間に
フランス王宮内での醜い派閥争いに巻き込まれた彼女は、
敵軍に囚われてしまう。彼女を待ち受けて
いたのは宗教裁判。いわゆる魔女狩りだ。法廷では御方が
誰一人いないという絶体絶命な状況の中、彼女は一人
「言葉」だけで敵と堂々と闘っていく。

 今でもフランスでは祖国を救った英雄として敬われている
ジャンヌ・ダルク。彼女が特異なのは女性兵士という
だけではない。職業軍人だけで戦争する時代にあって
彼女は民衆の出であった事。王宮や貴族・軍人内での権力・
名誉・財産争いの延長上で敵国と戦っていた時勢に、
初めて「挙国一致の祖国防衛」という概念を持ち込んだ事。
彼女は時の慣例に縛られない、純粋な思いを持つ革命児
だったのだ。ゆえにカリスマたりえた。
 権力争いを繰り広げる筆頭侍従官(西岡徳馬)や
宗教裁判で自身の権威を誇示する神官(田山涼成)など
彼女の周りは自分の都合のいいように慣例を利用する
腹黒い人間だらけ。逆にそれが彼女のピュアさを際立たせる。
 ジャンヌの純真さを有村架純が見事に体現している。
汚れ役のベテランに混じり、初舞台の彼女の演技が初々しい。
金属製の甲冑の衣装を着て、身体の2倍程もある旗を
振りかざしながら、今まで聞かせた事がないような
低く力強い口調で、自身の危険を顧みず兵士達を鼓舞する。
こんな女性が戦場にいたら、こんな女性が舞台に一緒に
立っていたら燃えない者なんて誰もいない。
約600年前に生きたジャンヌも有村と同じような思いで
見られていたに違いないと思った。

舞台『奇跡の人』

舞台『奇跡の人』

ホリプロ

天王洲 銀河劇場(東京都)

2014/10/09 (木) ~ 2014/10/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

格闘技のような演劇
 この舞台はまるで格闘技だ。
 
 生後間もなく、視覚と聴覚、そして言葉さえも
失ったヘレン・ケラー(高畑充希)。家族は腫れ物に
触るかのようにヘレンを躾けず甘やかして育てたため、
彼女は家中を獣のように暴れまわっていた。
 そこに家庭教師としてアニー・サリヴァン
(木南晴夏)が招かれる。アニーはヘレンを
人間らしく振舞うよう躾けるだけでなく、指文字を使って
「言葉」を教えようとした。閉ざされたヘレンの心を
開くには、他の人間と意思の疎通ができ、外界と己とを
結びつけてくれる「言葉」が必要と考えたからだ。
 頑なに他人を拒絶するヘレンに手を焼くアニー。
静かに座って食事をする事を教える時でさえ、2人は
取っ組み合いの喧嘩になってしまう。2人が相手の
顔をぶったり、身体を倒したりした時の「ビシッ」や
「ドスッ」という音が劇場中に響き渡り、
その迫力に観客は圧倒される。
 それだけではない。何かとヘレンをかばう
彼女の家族を論破し、躾と教育の重要性を説く
アニーの言葉からも熱烈さが伝わってくる。
その迫力や熱烈さが観る者の心を大いに震わせる。
 
 では、なぜアニーはここまでしてヘレンを教え
導こうとするのか?物語はアニーが背負い込んで
いるものを全てさらけ出す。彼女が若い女性である事、
障害者だった事、アイルランド移民の子孫である事、
救貧院出身者である事などの激しい差別にさらされ
この仕事しか与えられなかった生い立ち。そして、
ヘレンと同い年ほどの身内と不本意な別れをした
無念な過去。それらを全て一身に担わなければ
ならない彼女には、前に進むしか道はないのだ。
 ただならぬ覚悟を内に秘めたアニーと、常人には
想像できない光の届かない絶望の世界に生きる
ヘレンとの魂のぶつかり合いは、観客の心を
鷲づかみにする。
 物語が進むにつれ、他人を拒絶する
ヘレンや、先入観に囚われている彼女の家族は
観ている私達そのもののように思えてくる。
アニーがヘレンや家族の心中の闇をこじ開けた事により、
観客自らも心が解放されたような気持ちになり、
一層感情を高ぶらせる。
 まさに身体と魂の全てを懸けて演じ切った
木南と高畑に、カーテンコールが鳴り止まなかった。
客席から「ブラボー」という声が上がった
演劇を久しぶりに見て、拙者もそう思わずには
いられなかった。

ミュージカル『ファントム』もう一つの“オペラ座の怪人”

ミュージカル『ファントム』もう一つの“オペラ座の怪人”

梅田芸術劇場

赤坂ACTシアター(東京都)

2014/09/13 (土) ~ 2014/09/29 (月)公演終了

満足度★★★★

運命に翻弄された才能あふれる者たち
 この物語は、運命に翻弄される才能あふれる
者たちの悲劇である。
 原作は「オペラ座の怪人」。幾度となく
映画や舞台、ミュージカル化された作品だが、
他とは違う今作の大きな特徴は2つ。
1つ目はファントム(怪人)ことエリックが
等身大の若者として描かれている事。
2つ目は、彼の出生の秘密が語られている事である。
 
 舞台は19世紀後半のパリ。一介の庶民に
過ぎなかったクリスティーヌ(山下リオ)は
「天使の歌声」と賞されるほどの美声の持ち主。
幸運にも彼女はその美声のおかげで、上流階級の
人間しか入れないオペラ座で、その才能を伸ばすべく
レッスンを受ける事になった。
 そのオペラ座では、時折奇怪な事件が起きていた。
犯人は全く判明されず、人々はそれをファントムの
仕業と噂していた。
 ある日クリスティーヌは、オペラ座で天の声を
聞く。聞けば、彼女に歌のレッスンを施してくれる
という。ただし、声の主を詮索しないという条件で。
その声の主こそ誰あろうファントムこと
エリック(城田優)であった。
 彼は音楽の才能の持ち主。ピアノの演奏はもちろん、
歌唱力も並々ならぬ実力。彼女の歌の才能と
美貌に惚れた彼だったが、醜い容姿のせいで
彼女の前に現れる事が出来ない。コンプレックスで
人との交わりを一切絶っていたのだ。その彼に導かれ、
クリスティーヌは才能を開花させ、ついに
オペラ座の舞台で歌声を披露するチャンスを得る。
 
 やがて、クリスティーヌもエリックに
恋心を抱くようになる。
 彼女の想いに、凍った心も徐々に解けていった
エリックは、自身の出生の秘密を語り出す。
 彼の母はオペラ座の人気歌手だった
ベラドーヴァ(山下リオ、二役)。彼女は
運悪く、オペラ座を去らなければならなくなった。
放浪の末、エリックを産む。美しき母に似ず
醜悪な風貌で生まれてきた彼だったが、
彼女はありったけの愛情を息子に注いだ。
息子に大好きな音楽を教えた。母の愛に応え、
彼もまた音楽が好きになった。
 しかし幸せはそう長くは続かない。母が死に、
自分の容貌の醜さに気付いた彼は、
絶望し心を閉ざすようになる。
 その彼が見出した唯一の希望が
クリスティーヌだったのだ。
  果たして、クリスティーヌはチャンスを活かし、
一流オペラ歌手への夢に踏み出す事が出来るのか?
 2人の想いは結ばれるのか?

 世間から隠れ、ベラドーヴァが赤ん坊の
エリックをあやしながら子守唄を聴かせる
シーンが凄く切ない。
あふれんばかりの優しさの中にどこか悲しみを
帯びた表情で子供を見つめる山下リオの演技が
切なさを増幅させる。その悲しみは、
母親の自分以外に彼が生まれてきた事を祝う人間が
いないという悲運を息子に背負わせてしまったと
いう自責の念から生じたものではないかと推測した。
決して彼女は悪くないのに。
物語前半で憧れの的というべきオペラ座の華やかさが
描かれているだけに、余計に心が痛む。
 山下リオは21歳。この若さでその絶妙な
表情が出来るとは驚きだ。
 
 母の悲運をも受け継いだエリック。好きな音楽を
語ったり奏でたりする時の無邪気さ・純粋さ、
愛する人に自分の気持ちを上手く伝え
られないもどかしさ、好きな事を邪魔する者への
敵意・憎悪、自分の気持ちに正直に
生きる姿はまさに子供そのもの。彼はまさに
今を生きる若者の象徴、大人たちの
過去そのものと言える。純粋で不器用で
弱い。だから観客の心を捉える。
エリックの激しく揺れ動く感情と子供っぽい
純真さを城田優は見事に体現していた。

 2人の才能と夢を引き継ぐ役が
クリスティーヌだ。
 彼女の歌への真っ直ぐな愛情、オペラ
歌手への純粋な夢、エリックを音楽の師匠として
また一人の人間として尊敬する眼差し。
観る者はそんな彼女を応援したくなる。
夢を託したくなる。
そう思わせるクリスティーヌを山下リオは
見事に演じていた。
 洋服が映える長身に長い髪、凛としたオーラが
漂う華麗な姿勢、夢への情熱やひたむきさ、
エリックに向ける純真で温かい視線、
そして美しい歌声。強いて言うなら、
その歌声にもう少し力強さが加われば、
より一層良くなると感じた。

 他にも、クリスティーヌへの嫉妬に狂う者、
地位と金にあぐらをかく強欲な者などなど
脇を固める登場人物たちも人間臭い
キャラクターだ。
だから、時代や国を越え、彼らが織り成す
悲劇が、今を生きる私達の心に深く刻まれるのであろう。

 この物語には、クリスティーヌの夢の果ては
描かれていない。しかし、様々な苦難を乗り越え
夢を叶えて欲しいと、エリックだけでなく
観ている者全てが願わずにはいられなくなる。
エリックとベラドーヴァの分まで夢に向かって
ひた走り、成就して欲しいと。

私の嫌いな女の名前、全部貴方に教えてあげる。

私の嫌いな女の名前、全部貴方に教えてあげる。

月刊「根本宗子」

テアトルBONBON(東京都)

2014/08/22 (金) ~ 2014/08/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

あなたの嫌いな女の名前、全部私に教えてくれてありがとう
 この舞台を見た女性の観客は、
ほぼ間違いなくスカッとするだろう。
女性が嫌いな様々な種類の自意識過剰の
自己中クソ女たち(プラス少数のクソ男)が
その欲の皮が突っ張ったがために、ドツボに
はまり酷い目に遭うストーリーだから。

 この舞台は、2つの場面が同時進行する
ところから始る。どうやって並行していくかは
観てのお楽しみ。
 1つ目の場面は、根本(根本宗子)の部屋。
そこに彼女1人。
 もう1つは、カラオケボックス。
男性有名人との出会いを求めて、
クソ女たちが合コンをしている。
一見大人しそうだが腹に一物ありげな笠島(早織)、
32歳にして全身キティだらけの超神経質女・
結衣子(墨井鯨子)、男が大好きなアホキャラ女子を
演じているように見える本木(あやか)、
ハーフでスタイル抜群、冷めた目で他の女を
見下している自信満々な深谷(長井短)、異常に
上昇志向が強くやたらと「女」をアピールする
遠藤(龍野りな)。
 彼女たちが狙っているのは、人気アイドルバンドの
カリスマイケメンボーカルの川西(土屋シオン)。
超自信過剰で、人目もはばからず平気で相手に
よって性格を変える。思わせぶりな態度を
とりつつ、女性たちを天秤にかけ、
一番の獲物に照準を定める。
川西の気持ちは、同性だから痛いほど分かる。
だからこそ、彼をボコボコにしてやりたくなる。
逆に、女性客からはカッコ良さが手伝い多少許される
かもしれない。
 そう、男性も同じ。どんなに性格が醜い女性でも
可愛ければ甘くなってしまうので、
クソ女たちさえも、心のどこかで
許してしまう。ゆえに女性客の方がクソ女たちの
不幸を見てスカッとするのだ。

 登場人物の人格設定や女性同士の駆け引き、
女性たちと川西とのやり取りが非常にリアルで、
それゆえに男女問わず観客の爆笑を誘う。
この徹底したリアリティが
脚本家兼演出家の根本宗子作品の魅力の一つ。
出てくる女性陣の少なくとも一人は、観客に
「こんなクソ女、実際に私の周りにいた(いる)」と
思わせる。
根本氏曰く「どの女優も芝居してなかったら
友達にならないタイプ」の役者を集め、
彼女らの個性に合わせ役を割り振ったそうだ。
偶然なのか意図的なのか、
根本氏が嫌いな女性と、世間の女性が
嫌いな女性が見事に一致したようだ。
演出家としてではなく一個人としての根本氏の
悪意が含まれているかもしれない
演出上のいたずらが面白さのもとに
なっているのは間違いない。

今作は20代の若い社会人の合コンが舞台だが、
実際に似たような事が中高生のクラスで起こったり
中高年の職場やご近所付き合いでも起こったりと、
世代を越え身近な至るところで起こっていそうだと
感じさせる。世の中にごまんといる
「半径1m程の超至近距離の人間関係で
延々と世界が周っている」女性たちを丁寧に描いた点が
この作品のリアリティを重厚なものにしている。

登場人物が好き勝手な事を一斉に言って場の収拾が
つかなくなる場面がよく芝居や映画には出てくる。
この作品にもそのような場面が出てくるが、今作の
特徴として、その発言の一つ一つが全く無意味で、
周囲の人間と何の繋がりも生じない。それが凄く
リアリティがあり、根本氏の拘りが感じられて心地良い。

彼女たちに振り回される
カラオケボックスの店員・矢敷(小西耕一)と
梨木(梨木智香)も良い味を出している。
そこに、川西の大ファンで彼を教祖のように
盲目的に慕うアンリ(石澤希代子)が登場し、
事態は一層混沌として、笑いが増幅する。
 そして、一見何の関係もなかったカラオケ
ボックスと根本の部屋との話が奇麗に繋がる。
その絶妙な構成に「うまい!」と心の中で
うなってしまった。
 そこからは第二幕。第一幕が「戦い」と
するならば、第二幕は「修羅場」。
更に「地獄」と呼べる第三幕へと、悲惨さと
面白さは加速していく。
 果たして、川西を射止めるのは誰なのか?
 どんな地獄が待っているのか?
 
 欲を押し通そうとする女性陣と川西の姿に
滑稽さと同時に、誰にも理解されない孤独を感じる。
他人のために良かれと思って
やった事が、全然相手のためになっていなかった
という場面も爆笑してしまうが、ここにも孤独を
感じる。必死に不器用に生きる
彼女たちや川西に同情したくなるが、
根本氏は観客にそれを望んでいないはずだ。
拙者も望んでいない。特に川西。
根本氏が選んだ、世の中のクソ女たち。観客の多くは
現実世界でクソ女たち(プラス川西みたいな男)に
苦い思いをさせられた経験があるはず。
そんな彼女たちを、観客に代わって根本氏が退治して
くれているようで痛快だ。
それだけでは終わらない。最後に待ち受ける驚きの
展開に、ますます根本作品の中毒になってしまうのは
間違いない。

出発

出発

松竹

山梨県立県民文化ホール(山梨県)

2014/07/20 (日) ~ 2014/07/20 (日)公演終了

満足度★★★★

面倒臭い家族ほど愛おしい
 「家族ってホント煩わしい。
けどそれを含めて家族って愛おしい」と
再認識させてくれた演劇だった。
 
 舞台は、どこにでもあるような
庶民的な家庭の「岡山家」。
直接話せばいいものを、家族が居間に集まり
スマホでLINEを通じ会話をする今時の一家だ。
ただ一人、父の八太郎(石丸謙二郎)だけが
スマホを使えず、団欒に入れない。
その孤独感も手伝って、彼は家族に内緒で旅行に
出かけたが、帰るきっかけを失い、家に戻れない。
父が帰らない!と大騒ぎする岡山家の人々。
 次から次へと繰り広げられるテンヤワンヤが
かなり笑える。まさに「喜劇」と呼ぶに
相応しいほどだ。真剣な登場人物達にとっては
悲劇だが、その方が面白さが増幅する。
家族っていると安心するけど、「ああしろ」
「こうしろ」とやる事なす事に一々文句を
つけられ面倒臭いと思う時もある。
岡山家全員が個性が強いので
その面倒臭さが強調され、観客も凄く共感できると
ともに、笑いも倍増される。それゆえに、
観る者はますます岡山家の人々を好きになる。
自分の家族のように。
 やがて、父の不在が家族に思いもよらない結果を
もたらす。ミュージシャンをやりながら好き勝手
に生きてきた長男・一郎(戸塚祥太)は、
父の代わりに家族を引っ張っていこうと決意。
一郎の妻で、普段は気立てが良いがキレると下品な
関西弁でまくしたてる明子(村川絵梨)に妊娠が判明。
ちゃんと子育てできるか不安に思っている彼女を
一郎は全力で励ます。引き篭もりがちな次男・六助
(冨浦智嗣)も、自立を決意。沖縄弁まるだしで
沖縄舞踊がうまい薄幸な恋人・みどり
(蔵下穂波)との結婚を決心する。
 八太郎の妻・すみ子(芳本美代子)は、夫の
代わりに家を支えていかなくてはと
張り切っていたが、子供達の成長を目にし、
嬉しさを隠しきれない。
 はちゃめちゃながら、一郎達が成長する姿を見て、
観客は自らの家族との日頃のすったもんだを彼らが
吹き飛ばしてくれているかのような気持ちになってくる。
 まとまりかけた岡山家を、明子の父・留吉
(佐藤蛾次郎)がかき乱す場面も面白い。
 
 戸塚祥太は後述するとして
 石丸謙二郎演じる八太郎のダメ親父っぷりの安定感。
 芳本美代子や村川絵梨のカッコよさに惚れた。
 蔵下穂波のみどりは、沖縄弁といい不器用な
癒し系の役所といい、ドラマ「あまちゃん」の
喜屋武エレンそのもの。拙者含めあまちゃんファンなら
喜ぶ。
 何かと突っ込まれる六助役に冨浦智嗣は見事に
はまっていた。
 そして佐藤蛾次郎の破壊力。
 役者が全て個性派なのだ。 

 父がいなくなり、一郎は岡山家の「父親」という
役割を継承した。だが、それは八太郎のコピーでは
ない。一郎独自のアレンジを加えたものだ。
明子もまた、すみ子から「母親」役を受け継いだ。
明子らしさをふんだんに盛り込みながら。
 果たして、八太郎は岡山家に戻る事が出来るのか?
 
 笑いの構成は「くだらない事を徹底して真剣にやる」と
いうもの。くだらなくて、かつ有り得ないような
大げさな設定が出てきて、それを出演者が真剣な
眼差しで話を盛りに盛っていき、あまりの真剣さに
観客に「本当かな」と思わせた後に「んな訳ないだろ」と
落とすという構図が多かった。喜劇の王道だ。
 笑いのネタは、LINEや「アナと雪の女王」、
脱法ハーブ(鑑賞翌日に「危険ドラッグ」と改名)
といった今話題になっているものもあった。
同時に、布施明、藤山寛美、黒電話等、
戸塚君を目当てに来ているであろう
90%以上の若い女性にはピンと来ない、
古いものもあった。
(残り9%程の人生経験豊富そうな女性なら
分かるだろうが。残り1%程は男性客)

 でも、この古いネタや喜劇の王道的編成はこれはこれで
良いと思った。
 ジャニーズのコンサートでは、
かなり年上の先輩の若い頃の曲を若い後輩達が
歌っている姿をよく見かける。「古くても良いものは
伝承させていく」。これがジャニーズの伝統なら、
コンサートだけではなく、お芝居にだってその伝統は
適用されて当然なのだろう。
 演出は、少年隊の錦織一清氏。
 原作者のつかこうへい氏に師事。亡くなった師匠の
原作を、錦織氏独自の色に染め上げ引き継いだ。
それを今、戸塚君をはじめ若い役者達に継承させようと
考えているのだろう。
舞台上の父親役は石丸さんだが、影の父親役は
錦織氏で、祖父はつか氏だと言える。
戸塚君が持つ明るいオーラや器用さは若い頃の錦織氏に
似てるなあという印象を持ちつつ、戸塚君が持つ
真っ直ぐさや力強さは彼独特なものを感じた。
 今後の錦織氏演出のつか作品と、戸塚君を筆頭に
若い役者達の演技に大いなる可能性を感じた
お芝居だった。

このページのQRコードです。

拡大