今、出来る、精一杯。 公演情報 月刊「根本宗子」「今、出来る、精一杯。」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    精一杯生きているあなたに贈るお芝居
     「今だから、私だから」。根本宗子が演劇を作る際のこだわりだ。
    この作品は特に「私だから」書ける、いや「私にしか」書けないという
    執念が全面に押し出されている。
     約2年半前に上演されたものの再演だが、「今だから」という要素も
    盛り込まれている。
     自意識過剰で、コミュニケーションが苦手な現代人がわんさか
    出てくる。超面倒臭い人間たちのバトルロワイヤル。
    各々のキャラの突拍子もない言動と、個性の強いキャラ同士が
    ぶつかって起こす熱く激しく面倒臭い化学反応に、
    観客は大いに笑わされる。
     
     物語の舞台は3箇所。スーパーの事務室兼店員の控え室と
    アパートの1室、そしてビルの屋上。
     スーパーには、優柔不断な店長・小笠原(オレノグラフティ)、
    店長と恋仲のななみ(長井短)、八方美人なバイトリーダー・
    西岡(片桐はづき)、チョーテキトーで口うるさい矢神(浅見紘至)、
    矢神の恋人・陽奈(大竹沙絵子)、酷いドモリで他の店員とは
    ほぼコミュニケーションがとれない金子(野田裕貴)、他人との
    距離感が全く掴めず自分の意見を絶対に言わない坂本(墨井鯨子)、
    店唯一の常識人で正義感が強い杏(福永マリカ)、
    そして、嵐をじゃんじゃん呼ぶ女・利根川(梨木智香)。
    この利根川の暴れっぷりが超強烈。その傍若無人さと、彼女に
    引っかき回される周囲のアタフタさに、観客は爆笑する。
     アパートの1室には、OLのはな(あやか)と、その彼氏で仕事が
    長続きせず生活力がなく彼女無くしては生きていけない安藤
    (宮下雄也)。
     スーパーとアパート両方に登場する、車椅子に乗り、
    スーパーに弁当を強引にねだりにくる謎の女・長谷川(根本宗子)。
    ビルの屋上は、序盤は何も動きはない。
     話が進むにつれ、金子がドモる理由、坂本が自分の意見を主張しない
    訳、そして長谷川が車椅子生活になった謎が明かされていく。
     
     繰り返すが、2年半前に上演されたものの再演である。
    なぜ、今この作品をやるのか?ほとんど当時の脚本には手を加えて
    いないと根本は言う。8日間の上演の後、たった1日空けただけで、
    何と新作を披露する。当然、稽古の量も演出を考える量も、精神的にも
    肉体的にも何もかもが倍ほどの負担となる。初演時、膨大な不安を抱え
    精神的にいっぱいいっぱいで精一杯作り上げたこの作品と、
    今の精一杯で挑む新作を「戦わせてみよう」(演劇サイト「コリッチ」
    より抜粋)と考えたからだそうだ。
     
     もっと突き詰めて考えて、なぜこの作品なのか?彼女曰く、この作品は
    「私にとって大きな転機になった作品」(コリッチより抜粋)であり、
    精一杯になって作り出した「私にとって大事な作品」(挨拶より抜粋)
    だからなのだろう。
    それだけなのか?いや違うと拙者は断言する。もう一つ付け加えるなら
    彼女がこだわる「私にしか」書けない演劇の現時点での最高峰だからだと
    拙者は推測する。その根拠は、彼女が演じる長谷川である。
    長谷川が車椅子生活を余儀なくされるきっかけは、脚色されて
    いるものの、モロ、根本本人の実体験だ。根本も、多感な
    中学・高校時代の大部分を怪我のため車椅子で過ごした。夢であった
    モーグル選手を諦めざるを得なくなる。その時に感じた絶望、悔しさ、
    惨めさ、コンプレックス等のマイナスの感情は我々の想像を絶する
    ものだったに違いない。その負の感情の発露が半端ない。
    そこから生まれたであろう、強烈で圧倒的な台詞、
    いや叫びの数々。「みんな、私の事を分かってくれない。
    みんなにとって現実味がないからだ!」「人から強いねって
    言われるけど、いつも強くはいられない」「私の面倒臭さを引き受ける
    覚悟はあるのか!」、「でも、諦めきれない!!」「自分の中の正しいと
    思う事を守るので精一杯!!」一つ一つが、心に深く鋭く突き刺さる。
     「芝居でただ憂さ晴らししてるんじゃないのか?」と突っ込んだ人も
    いるかもしれない。だが、そんな表層的なものを遥かに越えた、
    血と汗と涙がたっぷりつまった生命力が舞台上からビンビン伝わってくる。
    その生命力は観る者に勇気を与えてくれる。まるで、心身ともに苦しくて
    希望を失い歩みを止めそうになった時、自分よりボロボロになった大切な
    人が傍らで希望を捨てず全力で応援してくれているかのように。
    この芝居全体が、観る者にとっての大切な人であり、精一杯生きる者たちの
    背中を強く押してくれているのだと感じられる。

     長谷川とは、テレビやネットで見せる明るい笑顔の裏に隠された根本自身の
    負の過去や側面そのものだ。この作品は特にそれが際立っている。
    やはり「私にしか」書けない。
     
     色々述べてきたが、本当に「今」観れて良かったと思える作品であった。

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    2015/10/29 02:33

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