舞台芸術まつり!2022春

OrganWorks

OrganWorks(東京都)

作品タイトル「ひび割れの鼓動-hidden world code-

平均合計点:23.6
大川智史
河野桃子
鈴木理映子
關智子
深沢祐一

大川智史

満足度★★★★

 2021年12月の神奈川芸術劇場(KAAT)での初演後、本来は広島と愛知でのツアー公演を予定していたそうですが、残念ながら感染症拡大の影響で中止に。おそらく東京・シアタートラムでの公演がツアー4ヶ所目ということになる予定だったと思うのですが、新作初演の作品のツアーで、しかも商業ベースではないインディペンデントのダンスカンパニーの主催公演としては、KAATとシアタートラムの両方をこの短いスパンの間で回るというのは結構珍しいと思います。しかもどちらも劇場の提携公演になっています。公演情報を最初に目にした時は結構驚きました。

 企画段階でこのツアーを成立させたことはすごいなと思いますし、現在の日本コンテンポラリーダンス界におけるOrganWorksのプレゼンスの高さを感じます。

ネタバレBOX

 作品についても、チャレンジ精神と完成度の高さを両立していることは、さすがOrganWorksと思わせてくれるものでした。平原慎太郎さんの振付・演出作品らしい隅々まで思考が張り巡らされた理知的な作品づくりは、本作ではより徹底されているように感じました。

 作品のテーマがコロスであることは発表されており、また、当日パンフレットで章立てが紹介されていたため、作品の大枠は比較的掴みやすかったです。本公演では、イキウメの前川知大さんがテキストとドラマターグでクリエーションに参加しているということで、ギリシア悲劇を下敷きにした、ファンタジックな世界観が来るかと思いきや、もっと直球でギリシア悲劇の形式に取り組もうとしていたことに驚かされました。

 この企みはぜひ今回限りと言わず、次回以降の更なる進化に期待したいと思います。ギリシア悲劇をもとに、OrganWorksらしい壮大な世界観を持った作品が観られるかと思うとワクワクします。

河野桃子

満足度★★★

 ギリシア悲劇の「コロス」という存在に着目し、かつて祭りのコロスから俳優が生まれ、時代とともに演劇、俳優、コロスが変容していく──その壮大な人類史と舞台芸術史を見たようでした。

 舞台芸術がまだ今の形ではまったく無かった頃、人間たちの営みの背後に広がる大地、古代ギリシアの野外劇場の周囲に広がる町々、ステージという舞台にあがる人びと……そのような光景が見えるようでした。緻密で静謐。美しくも、なにか覗き込んだら食われるような深淵がある。タイトルは『ひび割れの鼓動』。そこに書かれた英字の『HIDDEN WORLD CODE』をまさに探すような、壮大な時空の旅でした。

ネタバレBOX

 ギリシア悲劇を丁寧に考察/構築されていて、さらにそれを技術力のある俳優と、身体性の洗練されたダンサーとともに舞台にて表現しようという大胆さと的確さに驚きます。舞台芸術の本質が積み上げられるような、なんと貴重な第一歩だろう、と思います。

 丁寧に組み立てられている反面、同時に、枠組みが際立つような気もしました。その構成が知的好奇心を刺激し、考察が優れているからこそ、頭で見てしまったかもしれません。そこに生身のカラダが躍動する身体表現による爆発力や空間の揺れのようなものを、感じたかったといえば望みすぎかもしれませんが……頭だけでなく五感への刺激がもう少し強ければ、さらに大きな高揚感があっただろうなと思います。

 テキスト・ドラマターグは前川知大さん(イキウメ)。独自の世界観と言葉を持っている方なので、その特色をもう少し感じられたらコラボレーションとして現代的な面白さがあったかなと思いつつ、ダンスと演劇の背景を持つアーティストたちが共に古代ギリシアまで遡り、同じく舞台芸術に携わる者としてその歴史を立ち上げていく壮大な試みには興奮がやみません。

鈴木理映子

満足度★★★

 「表現」の源泉を求めた、古代ギリシャへの旅。
白い布をかけ、色をなくしたシンプルな舞台は儀礼の場のよう。
その周囲を「俳優」が歩き、時間の旅を始める冒頭から、深い時間の奥行きを感じました。「俳優」と「コロス(ダンサー)」が対置されながら進行する展開のなか、印象に残ったのは、ディデュランボスの祭礼の場面です。その踊りの輪には、盆踊りにも通じる、死者や過ぎ去った時間への思いが表れていました。

 舞台構成、ダンサーたちのキレのある身体……頭脳と視覚を刺激する作品です。断片的で抽象的ながら、不思議なニュアンスを感じさせるイキウメの前川知大さんが執筆したテキストとのコラボレーションも含め、「ダンス」でもない「演劇」でもない、「パフォーミングアーツ」を開発する意欲、意思がそこにはありましたし、その地盤はすでに十分に固められつつあるとも感じます。この魅力的な場が、時には逸脱や混沌も含みつつさらにオーラ、熱量を放つ展開をみたいと思います。

關智子

満足度★★★★

 ダンスと演劇を同地平に併置することでその化学反応を見た実験的作品である。

ネタバレBOX

 ダンサーはダンサー、俳優は俳優として舞台上におり、それぞれの身体がダンス的空間、演劇的空間を担保していたので、両者が交錯した瞬間の舞台上の異質化が体感できて面白かった。アフタートークでも語られていたように、その際観客の目線は演劇とダンスの間で行き来する。舞台上のダンサーあるいは俳優の身体を見ることで、観客の身体にも変化が起こるのが体験として新しかった。何より、出演者の技術が圧倒的に優れていた。川合ロン、平原慎太郎を筆頭にダンサーたちの能力は言うまでもなく、佐藤真弓、薬丸翔もダンサーたちの身体と拮抗する空間を築けていた。この、やや歪でありながら調和を見せた空間は、美しい美術と照明、衣装と音響によって構築されており、スタッフワークの完成度が高かったと評価できる。

 他方で、ダンスと演劇の間を行き来する試みは既に歴史上にあり、この作品の独自性が見いだせたかは今ひとつだった。コロスを描くというテーマと、本作の実験的手法の有機的な結びつきが見えれば、それはダンスあるいは演劇を更新し得るのではないかという予感がした。

深沢祐一

満足度★★★★

異なる才能が問う俳優・ダンサー論

ネタバレBOX

 大きな白布で覆われた正方形に近い舞台は客席に向かい角が向き、背景には10本の棒が配置されている。舞台奥から布をかぶった演者たちが現れ、ゆったりと歩き回りどこかへと消えていく。不可思議な空間から女(佐藤真弓)と男(薬丸翔)が出てきて要領を得ない会話を始める。いわく「私たちはいま、こうして歩いている、普通に。いまさらよちよち歩きはできない」「お酒でも飲まない限り」「そう、お酒でも飲まない限り。よちよち歩きだった頃を覚えている?」「シラフで生きていくにはきびしい世の中になってしまった」。

 二人は、立ったまま不規則に手足を動かしては止める動作を繰り返すもの(川合ロン、東海林靖志、高橋真帆、平原慎太郎、町田妙子、渡辺はるか)の回りを歩いている。やがて舞台上にいる全員で円陣を組み、あたかも民族舞踊のように軽やかに舞いながら手を叩いてリズムを刻み始める。これは主神デュオニソスに捧げられた合唱抒情詩「デュドゥランボス」。現代に諦観する言葉と古代への憧憬を表すかのような動きを交えた重層的な幕開けは、古代ギリシャ劇に着想を得たという『ひび割れの鼓動』の作品世界を端的に示した。

 本作は振付・構成・演出の平原慎太郎とテキスト・ドラマターグの前川知大の共同作業によって生まれた。第一の魅力はコンテンポラリーダンス界と現代演劇界の才能が生み出す独特な作品世界である。稽古はまず平原の振付をもとにダンサーたちと動きを決め、それを確認した前川がテキストを書き、それをもとに新たな場面を創作するという流れで進められたという(3月26日夜公演のアフタートークより)。OrganWorksの先鋭的かつ静謐な作品世界と平易な言葉で超現実を描く前川の劇作が、古代ギリシャ劇という要でうまく合わさったものだと感心した。

 先述の通り本作では俳優とダンサーが同じ舞台に上がっている。そのため互いの方法論の差異が浮かびあがってきたところもまた興味深いと感じた。正確だが無機的な印象のするダンサーの身体に対し、運動能力では劣るものの持ち味で優れているのが俳優の身体だということがよく分かった。台詞を伝えるための俳優の発声はダンサーたちが時折発する唸り声とは明らかに異質なものであった。俳優とダンサーがもう少し大胆に絡んだり、ダンサーが積極的に台詞を発したり、俳優が踊ったりしても面白いかもとは思ったが、互いの領域に対する敬意には好感を持った。

 全6章で構成される本作では、冒頭のいずこかを歩き回る男女の対話や、「彼はボクです」とドッペルゲンガーを見た男の告白、死者を感じる女が「この世界は死にあふれているが、死人は口なし」とランプ片手に闇を彷徨する様子などを経て、冒頭のデュドゥランボスへと回帰する。中盤、舞台下で転げ回るようにして回転するダンサーのムーブメントには手に汗握った。

 個々には面白い場面はあったし目論見は興味深いが、観終えたあと「私はいまなにを観たのか、ダンスか、それとも演劇か」とポカンとした気持ちになった。とはいえ平原が『HOMO』で描いた「人類最後の日」のようなスケールの大きさを感じる歴史観に満足を覚えた。

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