母アンナの子連れ従軍記 公演情報 サラダボール「母アンナの子連れ従軍記」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    それでも私は生きていく
    ある観劇記を読んで、どうしても観ておきたくなった舞台。
    当日券で観に行く。

    『肝っ玉おっ母とその子どもたち』という訳が定着しているブレヒトの作品。
    サラダボールは最近出た新訳で、『母アンナの子連れ従軍記』(光文社古典新訳文庫)を使っている。
    「肝っ玉おっ母」から「母アンナ」への変化は意外と大きい。
    個人的なイメージだが、
    「肝っ玉おっ母」からは生命力の強い鬼ババア、
    対して「母アンナ」からは、一人の母を、女性を連想させられる。

    この公演には確実に、「母アンナ」がしっくりくる。

    力強さと美しさを併せ持つ、長野海の演ずる、女盛りの母アンナが、ドイツ三十年戦争の中で幌車を引きながら、それぞれ父親の違う息子二人、娘一人と共に商売を続ける物語。

    新教軍・旧教軍の戦火に呑まれ、息子を失い、娘を失いながらも幌車を引き続ける母アンナ。
    その力強さ、美しさ、そして、愚かさ。
    ブレヒトの描き出した母アンナは、時に身を守るため、息子を他人よばわりし、その亡骸を見ても涙を流さない。
    その愚かさ。その愛の深さ。
    完全に同情出来る訳ではない。
    かといって、誰も彼女を責める事も出来ない。
    ただそこには、事実がある。

    ブレヒトの芝居は感情移入を拒絶する、なんて言葉をよく耳にする。

    息子を失い、娘を失い、それでも生きるため、幌車を引き続ける一人の女がいる。

    この事実が、空気感が、とても良く出ていた芝居だった。

    ネタバレBOX

    衣裳も装置も、無理に時代感を出す事は狙っておらず、時には吉野家の制服までもが登場する。
    ケンタッキーのチキンが出たかと思えば、カップラーメンをすする者がいる。
    しかし、物がすりかわっただけで、本質は何も変わっていない。
    時にレディガガの曲が流れたりもするが、空気は一層引き締まる。
    一歩間違えれば壮絶に、痛々しく破綻してしまいそうな要素を、実にうまく、効果的に使っていて、めちゃめちゃセンスがいい。

    演技も、いかにも「古典」って感じの仰々しさ、暑苦しさが微塵もない。
    簡素で、日常的な演技の方向性が、劇自体のダイナミックさを強調している。

    スクリーンの使い方も嫌味がない。効果的。

    観てると、生命の力強さが、躍動が、ビリビリとくる。
    生きていく事への執着が。
    とりわけ、母アンナ、長女カトリン(レシャード真す美)、娼婦イヴェット(ほりゆり)という、三人の女の力強さが。
    男は結構、しょうもないやつが多い。
    女が、生きるという言葉を体現している。

    金持ってそうな男を巧みに利用するイヴェット、
    戦争の恐怖で、幼い頃から口がきけないながらも、ここぞの時に底抜けの勇気を発揮するカトリン(カトリンが鐘鳴らすシーンが、まじに、絶品だった。台詞っぽい台詞の無い役だが、鮮烈に印象に残る。)、
    そしてなにより、生きるため幌車を引き続けるアンナ。

    ラスト、アンナの姿には、ふりかかる運命の火の粉に身を焼かれながらも、なお前に進み続ける、生きていく、気迫が満ち満ちていた。

    演出家が、稽古に入る前に考えたという作品のキャッチコピー。

    「それでも私は生きていく」

    まさに、この一言が塊となってぶつかってくる。

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    2011/03/28 02:13

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