HAVE A GOOD DAY! 公演情報 ロームシアター京都(公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団)、穂の国とよはし芸術劇場PLAT(公益財団法人豊橋文化振興財団)「HAVE A GOOD DAY!」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    観てきた。面白かった。以下ネタバレへ。

    ネタバレBOX

    見る前は、イタリアの前衛音楽家ルイジ・ノーノや、ドイツのスーパーで交わされる「Schönen Tag noch!(よい一日を)」のようなものを想像していた。

    ところが劇場に「入店」した瞬間、もうピッ、ピッというスキャナーの音がしている。舞台を見ると、10人の女性が並んでいる。

    「クラフトワーク始まるんじゃないか祭」である♨️

    クラフトワークって今10人だったっけ…?(んなわけない)ドイツのスーパーの掛け声から取ったとか言ってたな…オマージュ?…しかも、さっきまで会場を整理していた警備員だと思っていた人が、いつの間にか舞台上のピアノに座っている。ストリートピアノに人がふっと座るような自然さでピアノを弾き始める♫

    そして、さらに驚く。

    これはクラフトワークではなく、オペラだった。…まぁ、これもチラシ見てたから当たり前だけど♪
    ただし、見た目はかなりクラフトワーク的だ。

    10人の女性が同じ空間に並び、同じような労働動作を繰り返し、スキャナーの電子音が反復する。スーパーという具体的な場所を再現するのではなく、レジという労働システムそのものを舞台上に抽象化している💱

    資本主義社会の中で、レジ係はある意味では代替可能なパーツとして匿名化される。同じ制服、同じレジ、同じ挨拶、同じ「Have a good day!」。

    ところが、この作品はそこから反対方向へ進む。
    機械のように並んでいた女性が、突然、自分の心の中を歌い始める。

    つまり「女性版クラフトワーク」というのは、案外おかしくない。ただし、クラフトワークのように人間が機械へ近づいていくのではなく、機械のように見える人間の内部から、逆に「私はこう思う」という声が立ち上がってくる。

    しかも、その声は必ずしもオペラらしい大事件ではない。
    「あのおっさんキモい」とか、疲れたとか、恋愛がどうしたとか、子供がどうしたとか。

    現代の女性同士の会話では、こういう日常的な出来事の処理は珍しくない。男から向けられた嫌な視線を「恋」や「誘惑」として壮大な物語にするのではなく、「あのおっさんキモい」で処理してしまう。

    ここでAdoのような現代の歌い手文化を思い出すと、少し面白い。
    Adoの歌が代表するような現代の女性の一人称には、「私はこう思う」という強さだけでなく、怒り、拒絶、苛立ち、面倒くささまで、そのまま歌にしてしまうところがある。

    もちろん『HAVE A GOOD DAY!』はAdoのような歌い手文化から出てきた作品ではない。むしろ出発点は、1960年代イタリアの前衛音楽や、労働者の声、機械音を音楽化する系譜にある。

    そこにクラフトワーク的な反復と、現代社会のシステムを抽象化する視覚が重なる。
    ところが最終的に出てくるのは、ものすごく人間的な「私」なのである。

    だから、古典オペラ(ラ・ボエーム)のミミも思い出す。
    ミミのようなオペラヒロインは、普通の女性の人生を一人の主人公に凝縮することで、その人生をオペラにする。
    しかし『HAVE A GOOD DAY!』にはミミがいない。
    その代わり、ミミにならなくても歌える女性が10人いる。
    「ミミの10人の分身」というより、「ミミになる必要のない10人」と言った方が近いのかもしれない。
    Ado的な現代の女性の一人称と、ミミのような古典オペラの女性主人公は、一見まったく違う。
    けれど、「これまでなら歌にする必要がないと思われていた女性の日常や感情を、歌の中心に置く」というところではつながってくる。

    『HAVE A GOOD DAY!』は、それをさらに奇妙な方法でやっている。
    個人をスターにするのではなく、10人のレジ係を並べる。
    匿名化された労働者を、まずクラフトワークのように見せる。
    そして、その一人ひとりから声を取り出す。

    ここが1960年代イタリアの前衛音楽ともつながって見えてくる。
    ルイジ・ノーノの『La fabbrica illuminata』では、工場の機械音や労働者の声が音楽の素材になった。

    そこから遠く離れたリトアニアのスーパーで、今度はレジのピッ、ピッという音と、そこで働く女性たちの声がオペラになる。

    クラフトワークなら、工場や機械、反復する労働、現代社会のシステムを音楽そのものにしてしまう。
    だから舞台を見た瞬間には「女性版クラフトワーク」に見える。
    ところが実際に起きるのは、その逆だ。

    クラフトワーク的な反復の中から、アリアが出てくる。
    機械の音に人間が飲み込まれるのではなく、機械のように反復する労働の中から、人間の心の声が漏れ出してくる。
    しかも、そのアリアを歌うのは特別なヒロインではない。

    スーパーのレジ係である。

    この構造を考えると、『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』との近さも面白い。
    『ヤニすう』では、スーパーの表側では「接客する店員」だった女性が、裏の喫煙所へ行くと別の人間として見えてくる。

    『HAVE A GOOD DAY!』では、スーパーの表側にいるレジ係が、そのまま舞台上で心の中を歌ってしまう。
    『ヤニすう』がスーパーの「裏」に人間を発見する作品だとすれば、『HAVE A GOOD DAY!』はスーパーの「表」そのものをオペラにしてしまった作品、とも言える。
    しかも『ヤニすう』が二人なら、こちらは10人。
    スーパーの人間関係を10人に増殖させ、クラフトワークのように並べ、最後にはオペラにしてしまったようにも見える。

    そして、この作品が成立する背景には、現代のスーパーそのものの変化もあるのだろう。
    昔のスーパーは、今ほど世界中どこへ行っても同じような制服、レジ、照明、POSシステム、接客文句が並ぶ場所ではなかった。

    チェーン小売の国際化によって、スーパーはますます標準化された空間になっている。リトアニアにもドイツ系のLidlなど国際チェーンが進出している。
    ただし、『HAVE A GOOD DAY!』が特定のドイツ系スーパーをモデルにしたということではない。
    むしろ、「どこに行っても似たようなスーパー」という時代になったからこそ、レジ係という匿名的な労働者を10人並べ、それぞれの内面を歌わせるという作品が成立する、と考えると面白い。

    そして警備員までピアノを弾き始める。

    観客を整理する人、レジで働く人、ピアノを弾く人、歌う人。
    本来なら別々の役割に分けられているはずの人間が、舞台上ではその境界を静かに越えていく。
    だから、この作品は「スーパーを舞台にしたオペラ」というだけではない。

    スーパーという巨大なシステムの中で匿名化されていく人間を、まずクラフトワークのように並べ、反復させ、そしてそこから一人ひとりの声を取り戻していく。
    ノーノが工場の音と労働者の声を音楽にしたように、ここではスーパーの音とレジ係の声がオペラになる。

    そしてAdoのような現代の歌い手文化が拾い上げてきた、「あのおっさんキモい」まで含めた現代の女性の一人称的な感情が、まったく別の系譜からやってきた作品の中にも現れてくる。
    ピッ、ピッ、ピッという機械音の中から、アリアが生まれる。

    クラフトワークに見えて、最後にはオペラだった。
    そしてそのオペラで歌われるのは、ミミのような特別な女性の悲劇だけではない。

    「あのおっさんキモい」まで含めた、現代の女性の、面倒くさくて、些細で、しかし確実に存在する日常そのものなのだと思う。

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    2026/09/26 15:34

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