恋する、プライオリティシート 公演情報 コメディユニット磯川家「恋する、プライオリティシート」の観てきた!クチコミとコメント

  • 「良いお話」ではない。
    コメディユニット磯川家は団体としてとても好きなので、こんなこと書くのは気が重いのだが、この作品は果たして「良いお話」なのだろうか。自分は決してそう思えなかった。
    障害をテーマにコメディをつくっているのに、障害やそれに伴う差別に対する視点に配慮が欠けているのではないだろうか。

    公開されているあらすじや作品の冒頭を観るに、「障害を持ったことにより我侭で、意地を張っている主人公が、恋を出来るのか」または「恋によってどうかわるのか」が主題になっているのは明白だ。
    しかし、主人公の女性と王子様である男性との恋が本筋にない。

    また、最後に主人公の決心を変える展開が論理的にも「それ解決になってないじゃん」と納得がいかなかったと同時に、倫理的にも「それこそが差別の構造じゃん」と思い、乗れなかった。
    そもそもこの作品、「下半身不随」と、他のマイノリティとで、描かれ方に差別が存在していなかっただろうか。車椅子のお姫様だけが最後まで「お姫様」として甘やかされていなかっただろうか。
    そしてそれを「良い話」として多幸感っぽく描いて、勢いと豪華さと出演者の魅力によってこんなに皆が「良い話でした!」と評価している様に問題を感じざるを得ない。

    自分は磯川家「ティーチャー!!」の、コメディをただコメディとしてやりきる姿勢に感動したし、一切切実なことを語らないことによって「笑わせる」「盛り上げる」という“コメディであること”に切実な様が格好良いと思っている。
    ピアノ生演奏の「What's a wonderfull world」の美しい旋律より、「ティーチャー!!」の爆音の「学園天国」の中出てきたカーテンコールのほうが、自分には美しくうつった。

    (表現の平易さとして“害”の字で表記しています、あしからず)

    ネタバレBOX

    理香が終盤に決断したTV出演という「自分の身を晒して、金を稼ぐ」という行為は100%悪しき、哀しき行為なのだろうか。

    確かに、それは哀しい側面があるけれど、「自分の障害のせいで他人に迷惑をかけたくない」という理香にとって、「自分で稼いで生きていく」ことこそ、矜持を保つ上で必要だったのではないだろうか。
    それを、一方的な「甘えていい」という説によって、理香の決意を聞く間もなくドッキリ的な展開で、大人数で、仕組んだ作戦によって有無を言わせず頷かせる様を「良い話」だとは思えない。

    また、それの最後に明かされた、「歌手が実は男でゲイ」という展開。車椅子の女性が晒し者になるのは無理やりにでも止める展開で、ゲイで女装の歌手が晒し者になるのは万歳、というのはいかがなものか。
    また、EDで子供の出来ない男が「インポ」とネタにされ続ける点。ネタにするのがいけないわけではない。しかし足の不自由な理香は笑いのタネになって
    いない。「インポ」や「ゲイ」は物語内で見せ物になってもネタとして扱われても良くて、足が不自由な主人公は晒し者になってはいけない、というふうにとれてしまう。

    そもそも、理香の序盤の男遊びに象徴される「障害によって調子乗っている我侭さ」と、障害によって迷惑かけたくないと「気を使って意地を張っている」という二点は、同じく障害によって確立された性格ではあるが、別の話なはず
    だ。
    しかし、序盤では「障害により我侭」という悪しき面が明かされるが、中盤以降は「障害により気を使っている」という良き面のみしか語られなくなっていないだろうか。
    そして「気を使っている」という点だけが取り上げられて周りの「甘えていいんだよ」という意見で解決したっぽくなる。

    「甘えていいんだよ」もなにも、最初っから最後まで、理香は甘えていないだろうか。
    ずっと気を張って一人で生きてきた人間に、「甘えることで社会とつながっていい」を提示しているのではなく、甘えて生きてきた人間が、自分を削って自活しようとするのを一方的な善意でとめてるのではないだろうか。
    それでは「障害者は、自活しようと思うな、ずっと甘やかされていろ」というメッセージになってしまう。

    そんな結論が前述の「ED」や「ゲイ」に対する視点とともに示されることによって、「そういう差別じゃん」と思われて仕方なかった。

    個人的には、良くも(障害によって周りに気を使う)悪くも(調子乗ってる、我侭)障害によって自己を確立して・特別視して・自己完結している女性に「お前特別じゃねーから」と突きつけることによって、対等な社会の一員となってほしかった。
    それを叶えるのが、「恋」という圧倒的なエネルギーであってほしかった。

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    2011/02/12 18:00

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  • >そしてそれを「良い話」として多幸感っぽく描いて、勢いと豪華さと出演者の魅力によってこんなに皆が「良い話でした!」と評価している様に問題を感じざるを得ない。

    書いてある内容もそうですが非常に正しいと思いました。立派だと思います。
    ただの通りすがりです。失礼しました。

    2011/02/14 07:20

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