チェーホフ in やしゃご 短編集 公演情報 やしゃご「チェーホフ in やしゃご 短編集」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    観てきました。

    役者が違うと描き方も違う。凄い面白いです。

    チェーホフというと大昔の戯曲家で、古いと思われがちですが、全く違います。

    最近ラミン・ヤマルとチェーホフは非常によく似ていると思うようになりました。

    現代サッカーが極めてシステマチックになり、高速トランジションの応酬になることで心理学をピッチにマッピングしたような形になり、アートよりはむしろ戯曲に近づいていると感じるからです。

    現代の高度なサッカーは戯曲という骨格から浮き上がった心理部分を抜き出したものを、視覚的にピッチ上にマッピングした様相を呈しています。

    チェーホフは市井の市民のちょっとしたアクシデントから生み出される微妙な認知の歪みから、人間の温かさが滲む様子を描写しました。

    ラミン・ヤマルは機械化したシステム(4-4-2などのシステム)のなかを、高速で多数の選択肢を示しながら移動(要は色んな選手へのパスやシュートの可能性を示唆しながらドリブルで高速移動したりする)し、チームのシステムの磁場を歪ませる(気づくと画面の端になぜかノーマークの選手が高頻度で出現する…要はディフェンスする相手チーム全員が高速で相手側の意図を取捨選択しなければいけないため、認知のズレが起きて見落としが出るということ)という意味で、チェーホフの戯曲を視覚化したような選手で極めて稀です。なお、現代サッカーでこのタイプの選手はほとんどいません。

    今まではハロルド・ピンターや三谷幸喜みたいなメッシタイプ(職人芸で最短距離をきり裂くタイプ)が全盛でしたが、現代で実際のところ待望されているのはチェーホフタイプのように思います。フランスなどの戯曲では高速トランジションを応酬しながら物語が歪んでいくみたいな戯曲は試行錯誤されている感じはあります。

    極めて分析的な言語体系のフランスらしいとも言えます。でも、日本の観客がそうしたものを求めているのかは自分には確信持てませんが…。自分の感覚では現代のSNS的なスピード感に乗せて高速トランジションを繰り返しながら、登場人物それぞれの認知のズレが物語全体を歪ませるタイプの物語は消費され、数十年後に残るのはチェーホフだけなんじゃないかとさえ思います。

    それほどまでに、彼の物語に登場する人たちはみな愛らしく痛ましく、切実なため、消費しにくいからとも言えます。というのも当たり前で、チェーホフの時代はゴッホの時代で、その時代の感性が受け取った光や水を、今でも多くの人が浴びるために美術館に並びます。かく言う僕もその一人ですが。そうした輝かしい苦悩の時代に立ち尽くす人たちが戯曲のなかにいるわけですから、現代芸術を愛する自分もまた愛さずには居られないわけです。それが物乞いできずに若くして死んだ情けない男であったとしても。

    これらは僕のチェーホフに対する最大の賛辞です。

    日本でチェーホフに憧れた人はいましたが、岸田國士は直線的すぎますし、ケラは憧れつつも不穏さに逃げた感じはあります。そういう意味では世界的にも無二です。

    こうした素晴らしい芸術家を生んだ国がまだ戦争しているのは哀しむべきことですが。

    やしゃごが面白いな、と思うのは、なんというかストロークス的というのか、ストロークスは言うまでもないと言っていいかはわかりませんが、『ベルベットアンダーグラウンドらを都市型に洗練させ抽出した』バンドです。そういう意味ではやしゃごはチェーホフをストロークス的に都市的に抽出したとも言える気がします。

    舞台についてはあとでもう少し具体的に書きます。

    ネタバレBOX

    ストロークスと言うと、なんで急に音楽?みたくなりそうですが、別に狂ってないんです(苦笑

    ストロークスを見るとわかるんですが、彼らは単にカッコよくてコーチェラやサマソニに出るんじゃないんです。

    彼らはベルベットアンダーグラウンドのミニマルさや都市の乾きを、ガレージやパンクの文脈を通して再配置したから、みんなから讃えられたんです。『これだよ』と。才能を目新しさよりは過去のものへの再評価に振り向けたというのか。

    これは才能の浪費ではなく愛です。

    自分が言いたいのは『骨組を再びリスペクトしながら使うのは、盗作ではなく、愛』だと。

    身体に染み込んだ愛すべきものが漏れ出しまくることを盗作癖とは呼びません。

    アメリカ的な価値観からすると地球上にかつて存在しなかったものをうみだしたら最高で、それ以外は凡庸だと。それを否定はしませんが、愛ゆえに過去の最高すぎるものをマッシュアップして控えめに再配置することを悪とは言えないはずです。

    自分がこのことをあえて言うのは、ストロークスが過去の遺産のマッシュアップの成功の最高峰のように見えるからです。

    チェーホフをマッシュアップして身体に染み込ませた役者には自信になるはずです。 

    例えば牡蠣ですよね。

    凄くストロークス的です。
    イメージで言うと、

    「牡蠣」 = 薄暗い路地で一瞬だけ光る場面

    ストロークス = 夜の街で断続的に点滅するネオン

    どちらも長々と照らさない。でも一瞬で全体の空気を感じさせる。

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    2026/04/25 20:23

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