ドードーの旗のもとに 公演情報 劇団ガソリーナ「ドードーの旗のもとに」の観てきた!クチコミとコメント

  • 特別公演との事。
    パンフレットの『やってみたかったことをみんな詰め込んだ』という挨拶が、どの立場からの言葉なのか気に掛かった。代表もしくは脚本家としてであれば分かる。しかし演出家としてであれば、むしろ何もしていなかったと感じました。
    演出がされていないと感じたのは主に演技面において。本職声優やそれに順ずる役者が多かった印象ですが、演技の質も声優寄りだった。それぞれが自身のキャラクターを明確に主張するので人物同士の遣り取りが生まれない。台詞上では会話をしているけれど、胸中の変化を与えるという意味での遣り取りがなかった。アニメや洋画の吹き替えであれば映像があるから視覚での説得力がある。しかし朗読劇ではそれがない。観客の想像力に任せる意図があったとしても、舞台上で成立させるべき事項はまだまだあった様に思います。
    壮大な物語であり、確かに演劇化するには困難な部分が数多い。だからこそ演劇化してこそ意義があったのではないか。「通常の演劇≧朗読劇」では決してない。しかし今回はそれを思わせてしまう内容だった。朗読劇ならではの表現もなかった。技量のある役者がやれば必ずしも作品の質が上がる訳ではない。勿体無さ過ぎる。
    これがプロデュース公演だったら色んな事情を鑑みて目を瞑る気も起きたかもしれない。しかし特別公演とは言っても劇団名を提示した上で行なった公演なのだから、もっと結束したものを見せて欲しかった。
    伊藤英次さんの声は男でも惚れる。

    ネタバレBOX

    だからこそ、何故彼にしっかり演技をさせなかったのか。監督の台詞が明らかな台本読み状態。ブースで台本をめくる姿も見えた。とちりもあった。「いや、まさかこれだけの人にそんな迂闊な事はさせまい。もしやこのプレレコの場面自体が劇中劇だったとか、どんでん返しがあるに違いない」と期待しただけに、非常に残念な気持ちに。
    集められた役者達が割と簡単に『やりましょう!』と言ってしまうのが違和感。作者が早く劇中劇に進ませたいから手早く済ませたのだとしか思えず。客席にいる側としては冒頭でまずしっかり見せてくれないと先を見る意欲が沸かない。やるからにはやるんだという覚悟を決めるまでの経緯をもっと見せてくれないと。それがないなら最初から劇中劇だけやってくれたほうが観やすかった。どう考えてもメインは劇中劇のほうにあったし、プレレコであるという設定は後から付け足されたのか? 第三章まで観ると劇中劇とプレレコ部分がリンクしたりするのだろうか? 少なくとも第一章だけ観た時点ではプレレコ部分が軽過ぎる。まず100年後に完成する映画がアニメなのか実写なのか、劇中では説明がない。冒頭に監督があれだけの長台詞を言ってるのに概念の話ばかりで状況を指す言葉が出て来ない。作家のHPではボリュームのあるあらすじでその事が書かれていたと、観終えて数日してから知りました。少なくとも当日パンフレットには載っていなかったし、前知識がなかった自分には意味が分かりませんでした。
    そして録音監督がト書きを力強く読み上げる意味が分からない。ト書きは状況を指す為の説明文。本来これは読み上げない部分だし、劇中がどんな状況にあるかは役者の演技から読み取らせるべき。盛り上がりを迎えるからとそのまま力強く読み上げてしまうのは、強制的に『ここは物語が盛り上がってますよ!』と言っている様なもの。物語が盛り上がっているのかどうかは観客に勝手に受け取らせて欲しい。見入っていればちゃんと分かるものだし、見入っていない時に押し付けられるのは不快。
    久木田佳那子さんが元AKB小野恵令奈さんに見えた。遠目だったから。でも声も似てる気がして、「ドードー」言ってるのが可愛いなぁと。逆にドードーが喋ってしまうとなんだか残念な気分に。デジモンのアニメでタケルが成長しちゃった時の心境に似ていました。分かる人だけ分かってくれればいいです。

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    2011/01/18 18:38

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