-作品№7 改訂再演- 資本主義崩壊のレクイエム 公演情報 OM-2「-作品№7 改訂再演- 資本主義崩壊のレクイエム」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    追求するもの
    当日配布されたパンフに「前半は抑圧された個の人間から資本主義の崩壊の芽が現われ、街が崩壊し廃墟となっていき、後半では雪のような黒い灰が降る廃墟の中で、生死を繰り返しながらレクイエムを奏で続けるというシンプルなものになっています。」という真壁茂夫の書き下ろしが掲載されている。全体的な描写は演劇というよりも総合芸術という感覚。だから感覚で感じる舞台だと思う。

    ネタバレBOX

    会場に入ると客席より舞台を広くとったスペースがある。やがて自転車を走らせる男、ベッドでなかなか寝付けない黒い服の女、部屋で雑誌や新聞から女の顔を切り取って机に広げる太った男が現われる。

    3人は特に繋がることもなく個々の空間に存在しているところをみるとどうやら街の一角の風景だと察する。その中で太った男が顔に血糊を塗りつけて何かに苦悩するように絶望と恐怖と屈辱の混じった表情を見せながら咆哮する。まるで何かの怪獣がただ行くあてもなく虚ろにうろつき回って滅んでいく断末魔のようだ。

    どこにも届かない叫び。誰の為でもない、ただ苦しみから発せられる切り裂くような叫び。ウゥオーン・・その雄叫びは高く透き通り、しかしどこか悲しげな声が会場を渡っていった。渾身の力を込め声の限りに叫び、静寂な空気を揺るがすように、その声は響き渡っていった。

    たぶんこれが抑圧された個の人間の表現なのだろう。太った男がその抑圧から開放されたいと、もがくように紙片を投げるシーンでは飛び散った幾千もの紙片が空中を彷徨い、ひらひらと降りてくるさまは圧巻で美しい光景だった。

    そして後半は舞台セットを高く積み上げての芝居があったが下からは見えにくい。セリフも良く聞こえなかった。その後、セットは下げられチェロキー族の祭りのようにドンドコドドド・・ドンドコドドド・・とドラムをパーカッションする。インディアン嘘つかない。」みたいな響きが欲しかったのでワタクシ的には太鼓のほうが良かったのだが・・。笑


    真壁は「演劇は人気を得ることでもなく、あるいは金儲けの価値に縛られることでもなく、ましてや権力を得ようとすることではありません。人間がまっとうに生きようとする行為をひたすら行うことなのです。」とあり、ワタクシも大いに同感だが、文章の全体を熟読すると、真壁自身が哲学的でひじょうに真面目な人だというのは理解できる。しかし、すこぅし異議がある。
    こういった公演を打つにはそれなりの金もかかるということで資本がなかったら公演も打てないのが現状だ。そうして集客力があり観客の支持を得るということは演劇の質も良いということになりはしないか、また成功を夢見るから人は向上するのではないか、とも思う。だから資本主義の半分は良いことと考えて受け入れているのだが。

    全体的に芸術的な作品だと思う。演出の技巧には圧倒さた。力強く破壊力もある好みの作品だった。次回も観たいと思う。



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    2010/12/18 12:52

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