溢れる涙を空に返して 公演情報 一般社団法人グランツ「溢れる涙を空に返して」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    横浜桜座の公演を以前配信で(という事はコロナ期。大分昔な気がする)観て以来。グランツ・プロデュース名義の公演はその後見逃していて今回初観劇となった。主宰の飯田浩志氏が障害を持つ人で構成する桜座を立ち上げ、これを含む事業運営のためにグランツを立ち上げた、という理解でいたが合っているかどうか・・。この横浜桜座の舞台(配信で観た)は面白く、障害者の作業所を舞台に当事者も登場して芝居の一翼を担っていて(中で脳性麻痺か軽度知的っぽい人物がしっかり立ち回っていたので、巧い役者かな?と思ったが詳細は判らなかった)、障害者差別や家族の苦労などスタンダードで普遍的な問題を正面から描いた。それで「また観たい」と思っていたのだが、前段説明をすると、グランツ公演で併演する事のある「グレイテスト笑マン」シリーズが今回もあって、知人が出ているという事もありそちらを目当てにチケットを取ったものの、メンバーの体調で上演中止となった。それで本編を観た所、何と桜座メンバーも舞台に上っており、何となく安堵したという事があった。自分の中で勝手に「グランツ本公演は力のある役者が出演する「お金を取れる」公演、それとカップリングする事で桜座メンバーの出演機会を言わば確保しているのかな・・等と想像していたのであった。
    フタを開けてみれば例の配信で観たのに近い、フラットで風通しの良い劇の空気感であった。少々ご都合なストーリーもリアルな背景状況が断片的ながら真実味を帯びて濃い色彩を舞台上に作る。桜座の登場場面は「芝居の稽古」場面として、稽古なので多少たどたどしくても成立・・とは言うものの、明らかに当事者と判る外見と口調に関わらず(というのも変だが)芝居の趣旨を体得した中から出て来る「表現」となっていて、リップサービスでも何でもなく正直「凄いな・・」と内心感服していた。
    フラットな空気感と言えば、島の高齢者として登場する実際お歳を召したご老人方。発声も台詞もしっかりしているが何処となく素人感がある。否この場はこの芝居作り界隈に繋がる人たちを巻き込みながら作られている感、と言った方が空気感を表わているか。後で出演陣を見れば中々の手練俳優が名を連ねていて少々驚いた(白幡大介、小豆畑雅一、南保大樹、鯨エマ、観世葉子、吉本穂果、北澤小枝子...)。芝居の質感からか皆が同等に見えて来るというのが一つの発見であったのだが、大きくなった自閉症の息子役の「巧く立ち回ってる」人物は、上記の中の一人であった。

    ただ・・(最近他の芝居についても思う事だが)障害の当事者を自分がよく知る方である事は間違いなく、彼らや肉親の苦しさ辛さ、複雑な思いが判ることから場面の「背後」に広がるものが想像されてしまうという事がある。それゆえこみ上げて来るものがある、という訳である。
    他の問題にしても同様だ。深読みしてしまい、自分の良いように解釈する。作者はそこまでの思いで作っていなくても・・という事が多々ある。従って同じ芝居を観て「いやそこまで考えないっすよ」という多数意見に戸惑う自分の姿を想像したりもする。そしてそれは自分がもう少し若い時分に、年輩の方が何か芸術作品だったりテレビ番組、誰かの言葉に対して、世の中の矛盾であったり戦争の記憶であったりを呼び起こされ、通底するものを感じるのだ・・といった発言を聞いた時の違和感、「深読みしすぎでは?」とシラッとした記憶と重なるものだ。「自分もああなってるかも?」という焦りを抱かなくもない。
    年と共に「感動しい」になって行く、というのは一見良い事のように思えてそうでないような気がする。
    今書きながら判ったような気がするのは・・その種の感動とは、自分の考えや感性を作品に投影してしまう(投影できる対象を見出したという)現象であって、作品から新しい何かを得る、衝撃を食らう、違和感と格闘する・・といった芸術本来の機能から離れたものである・・。即ち「自分を投影する」鏡として利用している=ある種の我田引水なのでは、という背筋に冷たいものが走る考えがよぎる。だがそう考えてみて、そうかな?という気もする。だったらどうだ、と言われると次の句が出ないが・・。まァ考え続けるしかない。(今日はこれにて、という事で。)

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    2026/01/03 01:22

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