公演情報
燐光群「OIL」の観たい!クチコミとコメント
期待度♪♪♪♪♪
過去二作に続いて本作も「環境モンダイ」に斬り込む作品らしい。海外戯曲(KYOTO)、坂手新作(高知パルプ生コン事件)と来て今回また翻訳物、期待大。「翻訳は?」と見れば、おや一川華の名が...(さらに期待大)。
二公演はイイ感じで展開したが、「環境問題」と一括りで捉えることにはもちろん抵抗がある。Co2排出問題、所謂公害、エネルギー問題いずれも文明・工業化=資本主義の根本に繋がるが、あるものは技術による解決が可能かも知れず、あるものは人間の知見の進歩により理解が変わるかも知れない、という事もそうだが、太古から続く人間の「業」を問う問題が通底する。
人類が利便を求める代わりに、その報復をも甘受するという選択も「人類の責任において」が成立するなら存在する。だがその場合、先進国が利便を享受し途上国がそのしわ寄せを甘受する構図であってはならず、等しく不便を分け合う覚悟がなければならない・・といった事は常に問われている。
規定ラインを超えてCo2を排出する国を非難するのは先進国だが、どの口が言うかという話でもある。
南北問題は解決したわけでもないのにこの語は日本でも使われなくなった。先進国の住人は「地球に住むみんなの問題だね~考えていこうね~」と言いながら現在進行形で他国を搾取する構図は温存したまま。「全体の問題」にしてごまかしている。
日本のメディアが貧困問題を積極的に取り上げないのにも通じる(自分らが上級クラスにいるので耳が痛いのである)。
後進の国は遅ればせの工業化を、例えば旧西側陣営でない国の援助を受けながら遂げ、あるいは第三極の陣営を形成して経済圏と為す動きがある。これは工業化しない国は脱落して行く新自由主義に抗い、新たな国際分業関係を作ろうとするもの、と解釈できなくもない。
日本の地方都市が「工場や企業誘致」によってしか経済再生ができないと、土地を整備して同じ風景になっていく愚かさ(箱物を立てれば人が集まるという想定を全員がしたら、がらんどうの箱が増えるだけである・・これを調整するのが上に立つ国であるが国は自由放任の方針。責任は各自治体が取るべしという態度)に似て、世界各国でも「うちも」と工業化が目指される。アマゾンの森林はどんどん減っている(これはまた別の要因だが)。
20世紀を戦争の世紀にした石油資源は、今も皆が求めてやまない代物。原発もそこから派生した二十世紀型の動力である事を、まだやめていない(科学の進歩がその概念を塗り替えるに至っていない)。環境問題とは「人類全体が蟻地獄にはまる」問題である前に、「利害調整機能が不全で弱肉強食状態にある世界」の問題。つまりは人間存在のあり方の問題。そこを押さえないと環境問題は欺瞞のワードになりかねない。・・一説ぶってしまった。