Downstate 公演情報 稲葉賀恵 一川華 ポウジュ「Downstate」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ポウジュ第二弾。期待を裏切らず、密度の濃い芝居。辛辣な描写が多いが人物造形の秀逸さ(の心地よさ)が観客をこのドラマ世界に巧みに誘い、かつてあって今もある厳しい問いを強烈なトーンで投げて来る。カタストロフに近い結末は、文字通り当事者にとってこの世の終わりにも等しい光景であると想像してみる。静かな夜は、終末を待つ時間のようである(地球の終わりを描いた映画、ラース・フォン・トリアーだったか?をふと..)。現代の病み=闇を見つめて行くと、このドラマにおいては悪役にも見える男の過去と現在の諸々が綯い交ぜの混沌とした憤りが漂白された現代社会と表裏の関係のものに思えて来なくもない。自分に与えられた天分と抗い、また後天的な性質、受動的(あるいは能動的)体験によっても規定される自己に抗って生きる人間が、浮かび上る。そこに単純な正邪、是非があり得るだろうか。
    ある置き換えによってこのドラマは日本そのものにも見える。LGBTや精神障害者への「理解」までは出来るが、性犯罪者、精神障害からの犯罪といったものに、理解は遠い。いじめの「加害者へのケア」は今言われ始めたばかり。カテゴライズされオーソライズされた「世間で認知された概念」を許容し、それ以外を冷酷に排除する傾向は世界共通のものだろうか。明治以来概念も模倣し輸入して来た日本では、外来の概念に特に許容力を発揮するが、一方で変化への懐疑は(健全に機能すれば正統保守だが)奇妙な形で合理性を拒否し閉塞に向かう(統一協会の影が賢慮な選択的夫婦別姓拒否やLGBT非寛容など)。三島由紀夫が絶望した日本の系譜は敗戦を機に一夜で態度を変えた日本人の系譜であり、裏付けのない(自分の考えでなく風に靡いただけの)思想的態度を取る、という態度と、「認められたカテゴリー」以外の人間を排除する態度は通底している、という事を言いたかった。

    ネタバレBOX

    この物語では平行線である事から簡単に逃れられない現実が描かれるが、一方の不遇は「ある一つの被害が一生の傷となり得る」事実とそれが理解され難い事、そして一方の不遇は加害を与えた(とされる)側が己の性質と社会(のルールや共通理解)との折り合いが付かない事(その意味では生涯「制裁」を加えられているに等しい事)。
    特に現今の日本の風潮の中では、前者へのシンパシーは作り易く、後者への理解が難しく、従って後者の「生きる権利、よすが」を考える事を余儀なくされた観劇体験であっただろう事を想像する(あくまで想像)。
    一点この芝居では、一人の「かき乱し野郎」が、その執拗な「過去へのこだわり」をもってする断罪の根拠を、書面にしてそれにサインをする事で認めさせようとする場面で、加害者がやらなかった事実をも認めさせようとしたらしい事を、一つの質問で露呈する。答えられず一旦引き下がった被害者が戻り、暴力沙汰に及ぶに至り、訴えた男の純粋さは消えている。だが、彼をそうさせた原因は30年前にあった出来事であった可能性は誰にも否定できない・・。

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    2025/12/18 08:38

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