公演情報
やしゃご「「驟雨」「屋上庭園Ⅱ」」の観てきた!クチコミとコメント
実演鑑賞
満足度★★★★★
観てきました。
岸田國士戯曲。
実験室。
これだけで高齢の演劇好きが来る要素は十分すぎるかも。
岸田國士は、僕の中では日本の劇作家のなかでほかに比べることの難しい全能感のあるバランサー型の天才で、他の芸術家で例えるなら、メビウス(BD)、シューベルト、プルーストなどが近い気がします。
若手にとって極めて危険な作家であることは間違いなく、普通に上演するだけでなんとなく舞台上で成り立ってしまうが、何も考えないとジャングルジムになってしまう危険で神聖な鳥居。
このような作家はほかに思いつくものはなく、ケラ…寺山…?誰とも違う。
フランス語の分析的な手法はあるがフランス演劇とは全く違い、どちらかというと登場人物のほとんどは平安貴族を昭和初期の山の手にそのまま持ってきたようでもある。(正直言うとフランス演劇よりずっとフランス的。フランス演劇よりむしろモンテスキューに近い)
極めて形而上学的だが、台詞のなかに完全にとけこんでおり、ゴドーより声高でない。構造自体が極めて反戦的だが、同時代の芸術人以外で気づくのは困難であり、何よりGHQですらおそらく全く気づかなかった。
シンプルだが、戦前の近代芸術のなかで最後に出現した世界水準の芸術の天才であることはおそらく疑いようもなく、いまだ日本演劇にとっては越えるのが極めて困難な壁であり、謎のエベレストにたとえても良い…つまり若手が遊びで登ると大怪我をするが、ためしに一度登ってみないと頂すら見えず(山だが巨大過ぎて壁そのものであることすら気づかない)、年寄り(過去に軽い気持ちで上演した経験があり、当然大怪我したが、意外と観客には好評で、おかしいな…と思いつつ自分の黒歴史になってる経緯あり)に止められ上演を諦めるとなんとなく『…なんだかよくわからない街外れにある謎の鳥居のまま』で、なんか演劇村のひとたちみんなありがたがってるけど、自分自身はよくわからないままこうべだけたれてる、それこそ謎の存在になりがち。
戦後は一瞬で過去の人になり、佐分利信のような人生そのものが岸田國士作品?みたいな奇特な人が残した映画…『慟哭』(1952)(ほぼ岸田國士の断末魔にも見える生々しい影響あり)とか成瀬とか、映画にうっすらと影響が残るのみで、戦後の敵味方プロレス政治の時代には生き残れなかった…かのように見えたが、バブルという不動産屋の祝祭ではなく中間層の発狂の時代(戦前と同じ社会病理)に、森田芳光の家族ゲームで再生を果たした。演劇ではなく映画に魂を持っていかれて演劇には名のみ残った…どうやら当時は演劇より映画人に岸田國士を熱愛する人が多かったのだと思う、大政翼賛会だったけども禁書を読むが如く。つまり恐ろしいことに後の演劇人は岸田國士作品を勉強するには演劇作品というよりかは慟哭や家族ゲームを見ないとその後の岸田國士の影響を受けた日本文化人の足跡を認識できない状態になったように自分には見えた…。
※岸田國士→佐分利の慟哭→森田芳光の家族ゲーム
上記は、日本の社会病理などを扱った文化表現の直系。なぜどの批評家も明確に指摘しないのか不思議なくらいはっきりしていると思う。続けて見て分析すれば、現在ならかなりの人がわかると思う。
いつも思うのだけれど、本来なら普通にノーベル賞取れたはずなのに惜しい…というのも岸田國士は戦争に向かって爆走する日本人のために、目の前の罪もない人を殺すのは空気がお前を駆り立てるのではない、と言わんばかりにノーリターンの素晴らしい戯曲を書いたが、それは日本人のためというより全人類のためだったこともあり、ナショナリズムの香りが劇作からあんまり漏れなかったからでもある…。(むしろノーベル賞より素晴らしい位置)
そんなイメージなので、岸田國士で実験します!とか言うと高齢の演劇好きが『また命知らずの若者が…』と思いながらもなぜかウキウキして集まってくる地元の公民館ぽくなる流れ。
そしてもちろん自分もその一人、という塩梅です。
前置き長くなったが、こらから書き出し足します、
(あとで書き足す予定…)