満足度★★★
演出の勝利
今回は今まで私が観た(数少ない)リーディング作品のなかでも成功例だと思う。
普通のリーディングではなく、「合唱」としたところがその勝因の大きな要素だったろう。
8つの役をパート分けし、1人~4人の役者によって演じられる。
当然初演では1役1人だった。
1つの役を数人で演じることにより、個性の分散化・平均化が行われたように感じた。
1人の役者が演じては、どんなに上手い役者だろうと、やはり観客によってはしっくりこないことがある。
それが、複数になる事で、観客は役者の中で好きな部分を取捨選択できる。若しくは、自分の身近な人を想像しそこに当てはめることができる。
観客は、役者のいいとこ取りをして楽しめるのだ。
この作品は、もともとの台本のつくりが上手いため、誰が演じても見られるものになっている。
ラップとしてセリフを喋るのではなく、「歌う」ことで、役者の上手い下手にこだわる必要がなくなるのだ。
初演版を映像で見た時も思ったが、役者が下手でも面白いのだ。
そして、題材も上手い。
誰もが昔の自分を思いおこせる「家庭」というワード、そして、広大な宇宙の中の地球を擬人化し、広い宇宙の中の孤独を重ねる。
しかし、不満がないわけではない。
その最たるものは、仕方がないこととはいえ、練習不足によるものだ。
このリーディング自体が、限られた練習時間でどう表現するか、というものではあるが、作品が面白かっただけに、もっといい役者が使えたならどんなに面白くなったかと思わずにいられない。
また、リーディングになった事で、初演版にあった感動が失われたところもやはりある。
それは主に役者の動きだったと思う。
実際のところは、効果的な動きをつけるまでの時間がとれなかったというところかも、と思うが。
それから、後半で役者たちがリズムに乗り歌うところで、思い思いに楽しく歌って見えたが、それぞれの目線の計算が成されていたら素晴らしいものになったのではなかろうかと思う。各々別の方向を見ながら、それでいて全体ではひとつのものをあらわしている、というような。
最近気づいたことではあるが、この視線の計算をしていない演出は多いような気がする。
動き方、しゃべり方は演出しても、視線や他のもっと大きな計算がされている舞台はほとんどない。
計算という言葉を嫌う人もいるようだが、計算された機能美というのもひとつの芸術だろうと思う。
話が逸れたが、先ほど書いたように、初演版も今回も役者に上手い人はいなかった。
もしかしたらそれは演出家がわざとやったのかも知れない。
これを見ると、もっと面白いバージョンが見たい。と思ってしまうのだ。
それに、逆説的ではあるが、いびつな人間の方が「合唱」という形式をとる上では正解なのかもしれない。
実は今回の舞台を見ている間、どうしても1人の役者さんばかり見てしまっていた。
他の人を見てもいつのまにか彼女で目が止まってしまう。
彼女は舞台上で自然な笑顔で自然な喋りで、ただ1人舞台上で生きている人間だと思わせた。
だが、ごく普通、平均としか映らない彼女が、自然だということで却って浮いて見えた。(後でパンフを見てみたら、彼女はナイロン100℃に所属していた。)
だがこれも演出の術中だという気がする。
芝居の最中から、面白いと思いながら何かが違うと違和感を感じていた。
そのモヤモヤはまだ解決出来ていないのだが、多分これは物足りなさなのだろうと思う。
芸術劇場で今度本公演があるそうなので、その時に正体を確かめようと思う。