『ベイジルタウンの女神』 公演情報 キューブ「『ベイジルタウンの女神』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    時間とお金をかけるにふさわしい、むしろあの空間で得たものを思うと、人生スパンにおいてその支出は決して大きくないと思えるほどに、3時間半ずっと素晴らしい時間で体験だった。生まれ変わってもこの作品と出会う選択をしたいと心から思った。
    同時に、貧困によって行き場や居場所を失いかけている人々の物語をそれなりのお金を払って観に行く、という行為についても考え続けていかなくてはと思う。

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    ネタバレBOX

    当然それはこの作品に限ったことではなく、全ての物語や演劇や芸術に、いやむしろ国や時代そのものへの問題提起として言えることだ。2025年の今は人々が芸術を生活に取り込むことに全く寛容でない。それは「無事完遂できるか」という不安と隣り合わせの中、収支の見えぬ創作や表現に取り組む作り手にとってもまた然りなのだと思う。そこそこ頑張って働いても、その時間や労力に対して残るものは少なく、今を生きている人々は一部の人を除き、みんながとても苦しい。今日をなんとか生き抜いてやり込むので精一杯。まさにベイジルタウンに生きる人々のように。

    物理的にも精神的にも人と人の間に様々な隔たりが生じ、その距離が意図せぬ分断や軋轢を招き、他者を愛したり信じたりする力が底をついていた。『ベイジルタウンの女神』は、そんな2020年をまるごと抱擁する作品だった。時を経て生きて再演に立ち会えたこと、あの人々と互いに生きて再会できたことが本当に嬉しかった。
    再開発に揺れる街(杉並)で暮らしている実感をふと舞台上の人々の姿に重ねる瞬間もあったし、街に限らず、都を、国を、世界を見渡す心持ちにもなった。値上げやそれによる貧困は加速していくばかりで戦争も差別も偏見もなくならないし、世界が良くなっているとは到底思えない。
    だけど、そんな世界にも決して全部は奪えない。奪われてたまるかと思う。魂のそれぞれ違う人と人が思いがけず出会うこと、出会ってその違いを認め合ったり、同じ冗談に笑ったり、似た未来を夢見たり、それでも異なる心をめいっぱい寄せ合い生きていくこと。その幸福は何にも誰にも止められない。そして、その力は決して小さなものではない。あの物語は、そこで生きる人々は繰り返しそのことを伝えてくれた。見せてくれた。時間や日常に追われて、たとえそのことを忘れても、また思い出せるような温度と質感で。

    "忘れてしまっても、それがなくなったとは私は思わない"。
    あるシーンのそんな台詞に私は一際心が震えたのだった。
    私たちはどうしたって忘れて失って生きていくことしかできないけれど、だからこそ、"忘却と喪失は違うのだ"と、あんなに力強く明言してくれる人がいることに、忘れてしまった記憶ごと掬われ/救われる様な気持ちだった。忘れも失いもしたくない気持ちだった。同じ物語に5年分の世界の手触りが溶けていた。今観る意味を感じる物語だった。だからこそ、やっぱり世界なんかに私を奪われてたまるかと。心からそう思う。

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    2025/07/01 00:07

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