ハッピーケーキ・イン・ザ・スカイ 公演情報 あまい洋々「ハッピーケーキ・イン・ザ・スカイ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    高校時代に行方不明になり、その数年後に白骨死体で見つかった「ちぃちゃん」を巡って、卒業後はそれぞれの道を歩んでいる同級生や友人などが各々の立場から「ちぃちゃん」とその人生に起きた虐待の被害や凄惨な結末、そして、されども彼女が生きていた「生」とそんな彼女と過ごした「時間」を見つめる、見つめようとする群像劇。

    ネタバレBOX

    「見つめようとする」とわざわざ言い換えたのは、本作の伝えたいことがそこにこそ詰まっている気がしたからである。その点においてキーとなっているのは、「ちぃちゃん」と彼女を巡る事件を取り巻いているのが直接的に関わりのある知人や友人のみではない点にある。

    「ちいちゃん」の事件は一部マスコミにも注目され、ライターの高務(櫻井竜)が読者の好奇心をそそるような文体で記事化しており、その取材活動をきっかけに散らばったかつての同級生が数年ぶりに繋がる、という流れがあった。さらに、時を同じくして同級生の一人で映像作家として活動する乙倉(松村ひらり)は、「ちぃちゃん」を題材に自身の監督作品を撮ろうとしており、同級生たちに聞き取りを行っていた。
    この二つの出来事を巡って、“取材”に協力的である人間と反発を覚える人間に分かれ、それがそのまま「ちぃちゃん」との関係の深さを意味するところとなっている。

    こうした場合、上記に挙げた2名のような人物は分かりやすく悪人のように扱われることが多いように思うが、私が本作で心を打たれたのは、その存在が複雑ながらも一つの希望や祈りとして描かれていたことである。無論、当初はその取材や映像化に異論や反発が飛び交い、「当事者でない人間が当事者の人生を消費すること」についての会話や議論が交わされていた。しかし、結果的に本作は「当事者でなくてもできること」に手先を伸ばし、やがて「当事者でないからこそできること」までを手繰り寄せようとしていたように思う。その過程の時間は、不在である/不在とならざるを得なかった「ちぃちゃん」という一人の人間を、人生を、そしてその消費を見つめようとする行為に他ならないのではないだろうか
    作・演出、そして、ちぃちゃん役として出演した主宰の結城真央さんはご自身が虐待サバイバー当事者であることを開示した上で本作の創作に取り組んでいる。この事実が作品に与える、それこそある種のインパクトのようなものは大きいかもしれない。しかし本作はその経験をただ生々しく描くのではなく、もう一歩先の景色を掴もうとされていたように思う。
    あらゆる作品の題材として、虐待やその被害が時に“甘いケーキ”のように“おいしく”消費されてしまうこと。その暴力性に抵抗を示すと同時に、虐待サバイバー当事者でありながら同時に表現者の一人でもある自身が今見つめるべきことに手を伸ばされているように感じた。
    「当事者じゃないからわからない」と言って黙ることで傷つけずに済む人がいることも確かだろう。しかし、「当事者じゃないからわかりたい」と声を重ねることに救われる人もいるかもしれない。そういった物語や人物の眼差しに観客として気付かされることも多かった。

    ちぃちゃんと同じ境遇であった仁子(チカナガチサト)の痛みが同期したかのような表情、同じくらいちぃちゃんと交流が深く、現在は児童養護施設で働く綾瀬(松﨑義邦)の戸惑いを隠せぬ振る舞い、そしてちぃちゃんが夢中になったアイドル、レモンキャンディ(前田晴香)の極めて解像度の高いアイドルパフォーマンスなど、俳優陣の表現力も高く、かつ随所に散りばめられたギャグや小ネタも観客がシリアスな題材を受け取る上で効果的に機能していた。一方で、全員が一堂に会すシーンでは観客を引き込むのにやや苦戦している印象を受け、個人としての技術が高い一方で、集合した際の場の説得力のようなものにもう一歩不足が感じられた。そのあたりに今後飛躍する可能性と期待を寄せつつ、開示と思考の痛みを伴う創作にカンパニー一丸となって乗り出されたことに、一人の観客として敬意を示したいと思った。

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    2025/06/15 01:35

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