肝っ玉おっ母とその子供たち 公演情報 文学座「肝っ玉おっ母とその子供たち」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ドイツとポーランド中心にヨーロッパ強国が終わらないのではとさえ思える戦いを続けた
    三十年戦争(1618~1648)。その前半部分を舞台に、“肝っ玉母さん”ことアンネを
    主な登場人物に据えて描いた叙事詩。

    ブレヒトの提唱した「異化効果」が全面的に用いられた結果、ただ「お偉方は兵士が死んでるのに
    安全なとこでのうのうしてる」「弱い民衆から殺されていく」というステレオタイプ的な反戦演劇とは
    一線を画し、もっとより高度な視点から「戦争が何故終わらないのか」「本当に民衆は平和を望むだけの
    存在なのか」という問題を深掘りしている傑作かと思いました。

    ネタバレBOX

    この物語の巧みな点は、アイギフ、スイスチーズ、カトリンの子どもたちの「母」であると同時に、
    戦場で物資を売りまくってひと山儲けようといつも目論んでいる「従軍商人」というキャラ設定を
    主人公アンナに与えたこと。

    これによってアンナは、子どもたちが戦場で死んでいく姿に「戦争はキライだよ」と毒つきつつ、
    一方では「平和になったら破産さ!」と大乱を望む、一見矛盾した複雑かつ魅力的な人物になって
    いるんですよね。ただ単に好戦的だったり、ただ単に反戦をひたすら望む直線的な人間じゃない。

    よくよく観察していると、従軍牧師がいみじくも言い放ったように、「戦争はあらゆるものを内包
    している」んですね。酒も女もどんなぜいたく品でも飛び交い、だらだら続く戦局の合間には
    (一発の銃撃で消え去るにしても)チェスやったり歌うたって楽しむような「日常」だって存在する。

    そんな日常に慣らされていった結果、肝っ玉おっ母も他の人物も、上手く立ち回るために戦場にいるのか、
    戦いや戦場が“恋しく”なってしまってその場にいるのか、全然分からないようになってしまう。

    男に騙されて戦場を転々としたあげく高級将校の未亡人にまで成り上がった元娼婦のイヴェットや、
    子どもを結局全員失っても戦列に加わろうとする肝っ玉おっ母みたいなのはその典型で、殺しの場で
    いつも顔を合わせるような「おまいつ」人間と化しているわけです。もうそれって利益不利益の
    状況を超えて戦争から離れられなくなっているんですね。

    よくよく考えると、何でもあけすけで女たらしだけど、常識的な判断から戦線離脱してユトレヒトに
    帰って遺産の居酒屋でつつましく暮らそうとするラムはマトモなのかもしれない……。

    ※そういえば、たった1人遺されたにもかかわらず、ユトレヒトに行かずになおも従軍を続けようとする
    おっ母はすごく変だよな……。「娘がいるからアンタにはついていけない」って言ってたのに。

    その場におかれ続けた人間が「戦争の中毒状態」になってしまう、そしてそれが平穏な「日常」と
    すり替えられてしまう、いつの間にか人間がフツーの人間ではなくなってしまう。

    ブレヒトはストレートに「戦争反対!」と唱えて満足するだけでは結局形を変えての殺し合いに
    対応できない(当時ナチスが権力を握り、周辺諸国を次々と併合する状態を、強国は平和を
    望むあまり見過ごしていた)と悟って、こんなスケッチ風のエモくならない作品を書いたのでは。

    「戦争って人間がこんなにヘンになっちゃうんですよ」「これおかしくないですか? あなた
    耐えられますか?」という問いを投げかけられているような気がして、だからありふれた反戦劇と
    違って生命力を保ってるんだと思います。

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    2025/05/13 06:57

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