公演情報
パルコ・プロデュース「蒙古が襲来」の観てきた!クチコミとコメント
実演鑑賞
満足度★★★
鑑賞日2025/04/28 (月)
■『東京サンシャインボーイズ』、充電30年で予告通りに復活 三谷幸喜氏「冗談が本当になってしまった」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=8198375
■朝青龍が三谷幸喜氏舞台「蒙古が襲来」にブチギレ「蒙古NO モンゴルYES!」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=8232421
舞台の話をする以前に、朝青龍がとんだ難癖をつけてくれたものだが、結果は大山鳴動して鼠一匹どころかゴキブリも出ない静けさで、朝青龍の完全勇み足で終わったようである。
『蒙古が襲来』のタイトルは全く取り下げられることもなく、全国ツアーを完遂した。「蒙古NO」何も、当時のモンゴル帝国は「大元」を正式名称とし、対外的には「蒙古」を自ら名乗っていたのだから、朝青龍は自国の歴史にも疎いことを露呈してしまっているのである。
舞台は鎌倉時代の九州・対馬。物語は「文永の役」における元軍の対馬侵略・日本人虐殺を描いている。喜劇ではあるが、何も考えずに笑っていられるほのぼのとした作品ではない。
劇中では蒙古のことは当時の俗語で「ムクリ」と呼ばれているが、これは現代でも壱岐・対馬に「ムクリコクリ(蒙古高句麗)」という「恐ろしいもの」の例えとして残っている。時代考証に基づくなら、それ以外の呼称を使用するほうがおかしいのだ。日本でモンゴルをモンゴルと呼ぶようになったのは戦後のことなのだから、ここははっきりと「モンゴルNO」と言うべきだろう。これは単なる歴史的事実に過ぎないのであって、モンゴルへの差別意識などは全く介在していない。安易に「Jap」などと呟く朝青龍の方がよっぽど日本への差別意識で感情を爆発させている。この人にはモンゴルの国政に関わってほしくないって本気で思うね。
さて、外野の言いがかりは一蹴した上で、15年ぶりの復活公演には大いに期待して臨んだのだが、正直な話、映画も舞台も、三谷喜劇にはもはや往年の切れ味は見られない。
充電に入る前の劇団員陣・客演陣はみな二十代〜三十代前半だった。現在、彼らはみな還暦を迎えている。往年の溌剌とした演技を期待するのは酷だというのは分かる。しかし、充電に入る前の東京サンシャインボーイズの舞台は、ほぼ西村まさ彦を主役にして、彼の暴力的な、あるいは高圧的な演技が周囲を振り回し、それが爆笑を生んでいた。
しかし、見た目にもすっかりパワーが落ちてしまって、群像劇の中の一役に過ぎない老人を演じざるを得なくなっている西村まさ彦を見ていると、たいした笑いが起きないのも致し方がない。
前回『Returns』から、吉田羊が「研究生」の肩書で参加するようになった。しかし彼女には悪いが、彼女の加入が逼塞した劇団へのカンフル剤になっているかというと、必ずしもそうはなっていない。それぞれの演技に幅が出たとか円熟味を増したとか、そんな印象は微塵もない。みんな「単に歳を取った」、それだけである。
彼女自身も、15年に2回参加しただけでは、自身の演技の糧になったとは言えないのではないか。
実際、「演技者」を目指すタイプの役者にとっては、東京サンシャインボーイズは「物足りない」ことこの上ないだろう。三谷幸喜は基本、劇のためには役者をただの「道具」として使うことしか考えない冷徹な演出家である。普通の役者なら、早々に愛想を尽かして三谷から離れていってもおかしくない。
実際、今回の復活公演でも、東京サンシャインボーイズの旗揚げ第一回公演から残っている劇団員は一人もいない。一番の古株が松重豊であることはつとに知られているが、彼ははっきりと三谷幸喜に見切りをつけて退団したのだ。
要するに、三谷幸喜に最も欠けているのは、「後進を育てるスキル」だ。ワークショップを行う演出家は数多いが、三谷幸喜は一切俳優の育成を行わない。いや、行えないのである。はっきり言うなら、三谷幸喜は「演技指導」がろくにできないから、脚本も俳優に当て書きして書くしかないのである。
もはや東京サンシャインボーイズに「新陳代謝」を求めても仕方がないということなのだろう。
再度の充電期間入り、80年後の復活の時には劇団員はおおよそ140歳になっているが、そうアナウンスされてもつまりはやる気がないってことなんじゃん、「つまんないよ、そのジョーク」と言うしかない。