JTANフェスティバル2010 公演情報 JTAN(ジャパン・シアターアーツ・ネットワーク)「JTANフェスティバル2010」の観てきた!クチコミとコメント

  • 逃げ場のないどこかで語られた何か。
    『素舞台において、身体のみで舞台に立ち、表現の意義を問うこと』
    を目的とした試みに興味を持ち拝見させて頂きました。
    以下、ネタばれにて各団体の感想を。

    ネタバレBOX

    ■aji 「one  mile」
    とある一組のカップルの別離の時を、記憶の反復や気持ちの齟齬など意識下レベルから洗い直していく、ディスコミュニケーションをテーマにした作品だったように思えました。

    彼が彼女を、本当はまだ好きであることを伝えられないもどかしさを表現する手段として彼の意識下に潜むヘッドフォンをつけた風変りの男が立ち現れて、
    『言葉にならない』レベルにまで言葉を砕いたそれがDJのスクラッチ風にリヴァースするのを必死に阻止しようとする場面や、懐中電灯を『眼』に見立てて、あの頃の思い出や残像をモノローグするなど、実験的な試みも多数見受けられ、全体的にアナーキーな印象でした。
    あと光、の使い方が美しかったです。

    ■さのともみ 「ろうのどく」
    小学生の頃に冬になるときまって鼻水を垂らしていた『わたし』に鼻の通りがよくなるようにと鼻の下にリップクリームを塗ってくれた母。
    しかし『わたし』に使用する銘柄を選ぶ余地はなく、辛くかなしい思いをしたのでもしも自分に子どもができたなら、子どもに銘柄を選ばせてあげたいと思う・・・という内容の、まるで私小説的を朗読しているような、ノスタルジー漂う素朴な一人芝居。

    淡々とした語り口のさのさんと、二胡奏者の柳 静さんのアップテンポでのびやかな演奏とがきれいなコントラストをなしていました。
    『わたし』をとりまく家族も気になり、長編で観てみたい欲が生まれる世界観をもった作品でした。

    ■浅見入江門馬+(武藤) 「きょうのからだ」
    ビッグバンから進化論、胎内記憶を辿り生誕した人間のダイナミズムのようなものを中盤までは感じたのですが、後半は出口のない真っ暗な闇に閉じ込められた『現代人』が意志を持てぬまま、機械仕掛けに時間に毒されていくような無機質なイメージから都会的な印象を受けました。
    しなやかに空間を動き回る浅見さん、マニッシュな雰囲気の入江さん、コケティッシュな門馬さん、それぞれの個性が光っていました。

    ■長堀博士+奥村拓 舟橋聖一『華燭』
    学生時代つるんでいた仲間同士の結婚式でスピーチをする男の一人芝居。
    新郎とは恋敵だったこともあって、嫉妬や羨望、絶望、失意・・・あらゆる気持ちが渦巻く複雑な心境で、とても素直に喜べない。そんな気持ちが、男と新婦とが出会った経緯を詳細に、だらだらと未練がましくモノローグする場面で、色濃くなって。それでも新郎新婦には男がもはや立ち入ることのできない強固な絆があって、新郎に自分は勝つことは出来ないと悟ると気持ちはふっきれて、最後は全力でふたりを祝福するに至る。

    スピーチ原稿を読む。というシンプルな行為のなかから、ジェットコースターのように変化する男の心境を、シリアスすぎず、コミカルすぎない絶妙なバランスで、声のトーンと表情で見せる奥村拓氏が熱演。

    どの作品も、張り詰めた緊張感のなか、逃げ場のないどこかで語られた何かだったように感じました。

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    2010/09/28 01:24

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