ノートルダム・ド・パリ ストレートプレイ 公演情報 GROUP THEATRE「ノートルダム・ド・パリ ストレートプレイ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2025/03/06 (木) 18:30

     ストレートプレイ劇として、かの有名なヴィクトル·ユゴー原作の『ノートルダム·ド·パリ』を観たが、通常一般的に、休憩含め3時間超というのは、オペラやバレエ、ミュージカル、シェイクスピア劇等を除いてあまりないはず。
     しかし、ストレートプレイ劇という、あんまり歌わず、過度に動かず、セリフや独白にかなり力を入れた言うなれば役者の演技力が試される劇だったので、役者も所謂現代劇やオペラやミュージカルよりもそのハードルたるや大変なものだったと思う。
     勿論ヴィクトル·ユゴーの『ノートルダム·ド·パリ』はオペラやミュージカルとして有名で、映画化も幾度かされ、ディズニーのアニメ映画『ノートルダムの鐘』としても有名で、日本でも児童劇団によって演られる演目の中にも入るほど有名で好評だが、それより何よりも、今回の劇が3時間超な上、内容が内容なこともあり、終始緊迫した感じで、一時たりとも、気が休まらなかったが、その疲れが吹き飛ぶかと思うぐらい、当時のジプシー(ロマ)に対する尋常じゃない差別や偏見、不具者で醜いカジモドに対する尋常じゃない差別や偏見が丁寧かつ克明に、残酷に描かれていて、その当時の常識や時代背景を描くためと思われるが、差別的蔑視的用語が役者の口からとめどなく溢れており、今の時代だったらこれはヘイトスピーチになるレベルの聞くも耐えない罵詈雑言だったりが平気で飛び出てきて、その当時の一般人の感覚を視覚的にも理解することができ、時に心根は優しく実直なカジモドや色んな人を翻弄しつつ、自分では翻弄している自覚なしのエスメラルダに感情移入したりして、気付くと終わっていたので、意外と時間感覚を忘れるぐらい感情移入し、物語世界に浸っていた。

     ヴィクトル·ユゴーの『ノートルダム·ド·パリ』は世界的にも有名な作品だが、シェイクスピア劇の『ロミオとジュリエット』、『美女と野獣』を足して2で割った作品だと感じた。
     但し、『ロミオとジュリエット』では、お互いの勘違い、すれ違いにより、または早合点により自殺していき、2人が自分の命を絶ったことをきっかけに、激しく対立していた2つの一族が仲直りするという結果的には、悲劇でもあるが喜劇でもあるという結果、『美女と野獣』の場合は末娘の野獣に対する無償の愛によって、野獣の閉ざされていた心が少しずつ開いていき、結果として魔法が解け、野獣が王子の姿になるといった感じのハッピーエンドだったりする。
     それに対して、『ノートルダム·ド·パリ』は『ロミオとジュリエット』と『美女と野獣』を足して2で割った世界のはずだが、最後の最後まで一切の救いがないところに、妙な現実の残酷さ、中身がいくら清らかだとしても見た目が醜いカジモドと見た目が美しいエスメラルダだとは簡単には同じ土台に立って恋愛ができる確率は低いのかと考えると、感慨深く、現実はなんと厳しいことかと思った。
     まぁ、しかし少なくとも、現代においては、見た目や格好が醜かったり、障害や知的障害を持っていても忌み嫌われ、罵られ、嘲られ、挙げ句の果てに例えば、軽犯罪を起こすと、実際の罪より、明らかに理不尽な罪が課されたりといった露骨な事はないだろうと感じた。
     だがしかし、軽犯罪を起こすと、実際の罪より、明らかに理不尽な罪が課されたりといったことや障害や知的障害を持っていたり、自分たちと違う文化、色の民族といっただけで差別的蔑視的、侮蔑的、言動や行動に出たりといった露骨な形では出ないものの、今の時代本人に直接言うことこそあまりなくなったものの、スマホのSNSやパソコン等で匿名でいくらでも誹謗中傷があり、差別的蔑視的、侮蔑的発言が書かれていることからも、今でも品を変え形を変えて、続いていると思うと、更に某大国同士レベルでの関税を巡っての煽り合戦で、国同士の紛争や戦争がある現代世界を考えると、程度こそ違えど、いつの時代も差別や偏見ってあるものだと考えると、何とも割り切れない想いに駆られた。

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