砂と兵隊/Sables & Soldats 公演情報 青年団「砂と兵隊/Sables & Soldats」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    さらさらと手から滑り落ちる不条理劇
    私の勝手な思い込みなのだが、青年団は「ある設定の中で、その世界をきれいに切り取り、洗練された台詞と演技でリアル風に描写する劇団」だと思っていたのだか、どうもここには、その「リアル感」があまり感じられなかった。
    そのリアル感を、この中で実感できれば、この不条理劇は、さらに深まり、心に刻み込まれたのだと思うのだ。

    ネタバレBOX

    劇場に入ると舞台が一面砂である。これはいい。
    最初と最後に上からさらさらと砂が流れ落ちる。そこはあたかも、砂時計の中のよう。時が刻まれるのだが、まったく進んではいない。
    時間があるようで、ない砂の中での物語。
    メビウスの輪のごとくねじれつながり、終わりのない物語の中にいる登場人物たちは、砂に足を取られつつも歩むだけ。

    そういう物語であれば、「本部の命令で目的地へ向かう兵隊たち」「母を捜す家族」「夫を訪ねてきた妻」の存在は、理解できる。彼らには、「目的(地)」があるのだ。
    ただし、「新婚旅行のカップル」と「敵」にはそれがない。
    そこがどうも全体のテーマから少々逸脱しているように感じてしまった。

    「続く」ことがテーマであるとするならば、「敵」は必要ないし、ましてや死人が出るドラマもいらないのではないかと思ったのだ。

    「生きる」ことは「続く」ことであり、ぼんやりした「目的」に向かって歩くことが我々の毎日なのだ。
    そして、戦う意味も理由も失ってしまうのが現代の戦い(戦争)でもある。それもまた我々の毎日でもある。
    「目的がない」ことも、見せたかったのならば、はっきりと「ない」ことを提示したほうがいいのではないか、とも思ったのだ。

    ただし、「生の継続」が「歩く」ことで表現されているのであれば、「死」が唯一の目的地でもあるわけで、我々は「死」に向かって歩いているわけでもある。
    したがって、撃たれて死んだ男だけで終止符を、まさに打たれた。

    それを観客に気づかせるために、そのエピソードを入れたのかもしれないが、そうであったとしても、それは余計で、語りすぎではないだろうか。
    とにかく「続く」ということがすべてなのだから。

    また、「敵」は、単に全体の(下手から上手への)動きを、「逆からの動き」(上手から下手へ)として、見せたかっただけに設定したのではないかと勘ぐってしまう。

    微妙に砂漠の場所を地名で明らかにするのだが、それはまったく必要なかったのではないかと思う。「砂漠」であることだけでよかったと思うのだ。
    もっとも、フランス人が演じるときには、その地名がノスタルジックな感じも持ちつつ効果はあると思うのだが。

    いつの間にか始まり、いつともしれぬエンディングを舞台に残しつつ、観客はそこを去る(私は最後の観客して、ずっとそれを眺めていたが)。
    そのエンディングは、とてもよかった。「これは元に戻るな」という予感が、後半になるに従って強くなってきたので、しっくりきたとも言える。

    兵士が持つ、明らかに携帯ゲームプレイヤーの、ピコピコ音がする、本部との連絡や検索をする携帯端末というのも、不条理で面白かった。そんなアイデアがもっといろいろあればさらに面白かったとも思った。

    この舞台は、『麦と兵隊』をモチーフしたらしい。てっきりその字面から、同じ作家の『土と兵隊』がモチーフなのかと思っていた。
    それは、横に置くとして、いつ終わるともしれない行軍の物語としては、先の戦中の小説とは別に、奥泉光氏の小説『浪漫的な行軍の記録』がある。この泥沼感はたまらなかった(怨念・執念のような意味も含めて)。しかし、この舞台には、実際は、砂の上ということだけでなく、そんな湿気や粘りけを感じなかった。生への執着が希薄なのだろうか。そこが現代(的)ということなのだろうか。


    どうでもいいことだが、兵士たちの銃の扱いがぞんざいすぎる。たとえ交戦しないつもりにしても、自分たちの命を守る銃に砂が入れば、命取りになるのだが、そのあたりをきちんとするだけで、リアル感は増したのではないだろうか。
    さらに言えば、匍匐前進には、用途別に何種類もある。兵士たちは、舞台の見栄えとして、2種類の匍匐前進をしていた。本来ならば1つにすべきでは。ま、これはホントにどうでもいいことですね(笑)。

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    2010/09/20 08:46

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