荒野に咲け 公演情報 劇団桟敷童子「荒野に咲け」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    25周年記念作は劇団員のみで公演。これは本当に凄い作品なんだがどうにも伝えようがない。どんなに言葉を選んで積み重ねてみても大して伝わらないだろう。何だろうな、この感覚。気になった人全員に観に行って欲しいがチケットはもうあるのかないのか。このクラスの作品を年末にガツンとぶつけられて頭はクラクラ。次の桟敷童子の新作まではどうにか生きていたいと思った。

    客入れのもりちえさんは見る度にどんどん痩せていく。
    井上莉沙さんは可愛いが役柄が・・・。

    ワンツーワークスのようにスローモーションで皆が駆けるオープニング。構成が映画的で時間軸が次々と飛んでいく。それを無理矢理成立させる役者陣。メイクと衣装と表情とでこの無茶を成り立たせる腕力。何度も強調して使用される対位法。象徴的なものはどうしようもなく不幸な場面に流れる「ラジオ体操第一」の明るいメロディー。黒澤明の好んだ演出で世界と自分とのズレを浮き上がらせる。今回は演出がかなり凝っており、バラバラにばら撒かれたシーンや夢、妄想や記憶が一枚のモザイクアートのように収斂されていく。

    主演の大手忍さんは主演女優賞もの。中村玉緒みたいな嗄れ声で猫背の病んだ女性役。軽い障害のある人の受け答えそのもの。ここまで作り込んだか。
    彼女の母親役、板垣桃子さんは助演女優賞だろう。確かにそういう女性が舞台上にいた。直視したくないものを直視させる演技の凄味。この表情。
    彼女の弟役、加村啓(ひろ)氏が劇団員になっていた。押尾学みたいなふてぶてしい面構え。
    彼女の父親役、三村晃弘氏の元気ハツラツとした健康的な笑顔。山登りとラジオ体操が大好き。とにかく身体を動かしてこそ人間だ。

    従姉妹にあたる増田薫さんの表すリアルな痛み。誠実に生きているが故に誠実に我慢ならない怒り。

    妹方の叔母にあたるもりちえさんの佇まい。再婚した家庭で会得したのは何も感じない“無”。そしてそれは当たり前の生活の一頁。誰にとっても特別なことではない。
    彼女の義理の母親、鈴木めぐみさんが重要なパーツ。独り暮らしの老いぼれた交通誘導警備員だがSNSで動画を投稿していいねを稼ぐ。全く腐っちゃいない。今の時代を楽しみまくっている老婆の強さ。

    大手忍さんのキャラはギリギリなところを突いている。観客の感情移入と生理的嫌悪のギリギリ。しかもユーモラス。こんな鬱話の中、観客が笑いでホッとする。そこのサーヴィス精神こそが数十年続く劇団の持つ地力。こんな話に和む笑いを入れる余裕。幾つもの修羅場を潜り抜けて来たタフなベテランの持つ味。

    作家が10年以上前から着手していた実際の知人をモデルにした物語だそう。現実では彼女に何もしてやれなかった。せめて虚構(嘘話)ならどうにか出来るのだろうか?納得出来る救済のカタルシスを用意出来るのだろうか?だがそんな嘘話を騙ったところで一体何になる?
    こんな負け戦の作品に心底取り組んだ作家の魂にRespect。
    「一体どうしたらあんたを救えるんだろうか?」
    「それは私が知りたいよ!どうしたら私は救われるのか!」
    答えのない世界にただ問いだけが舞っている。

    主人公(大手忍さん)の一生絶対に関わるつもりがなかった母親(板垣桃子さん)との電話のシーンでは泣いた。はらわたから振り絞る声、互いに何一つ嘘が存在しない。作家の安易なヒューマニズムに逃げない姿勢を支持。嘘臭い話で器用にまとめるのは簡単だがそんなものは現実と乖離し過ぎていて無意味。今作は虚構から現実を撃たねばならないのだ。嘘話で現実の人間を救う?笑止千万。だがやるのだ。

    哀しみが嫌いだったら気のぐれた振りをすればいいし
    別に悪い事じゃないさ ねえあんた少し変だよ
    BLANKEY JET CITY 「ロメオ」

    ネタバレBOX

    「荒野に咲け」と題された二本の向日葵の絵。小さな時からいつか自分が咲くべき荒野に辿り着けると夢想した。ここではない何処か。そこに行けさえすればこんな惨めな自分ではなくなる。そこは一体何処なんだ?
    いつも耐え切れない受け止め切れない現実を前に「これが私の運命なんだ」と心を押し殺し我慢して生きてきた。どんな残酷で不条理な出来事さえも。誰のせいにすればいい?母親が狂っていたから家族が崩壊したんだ。父親が自殺したんだ。自分も弟も病んだ母親の犠牲者なんだ。決して私のせいではない。私は逃れられない運命を強要されて苦しんでいるだけだ。何一つ選べなかった。

    タイトルにもなっている向日葵の絵は琳派の日本画のようでもあり、エゴン・シーレ調にも見える。北九州の学校教師が描き廃線になった炭鉱町の駅舎に飾られていたという。地域の小学校ではそれにちなみ皆で向日葵の絵を描くカリキュラムがあったらしい。
    今では全てが郷土資料館入り。しかもそれすら壊される予定。IKIRUと名付けられた小さな炭鉱蒸気機関車、かつてそこで働いた全ての労働者達の死への恐怖を払拭した。何が何でも「生きる」んだ。その老残した冷たい姿に寄り添う主人公。それに敗残した自らの存在を重ね合わせる。

    もう駄目だ、何処に行っても人に迷惑をかける。嫌われていく。傷つけてしまう。何処か遠くに逃げよう。それは例え死後の世界でもいい。主人公は全てを諦める。

    夜中に家出して郷土資料館に潜んでいる。ここで主人公は巨大な蒸気機関車に襲われる。(人力で動かしているであろう巨大な作り物が突如背面の壁が開いて出現)。「ああ、ここで死ぬんだ」と観念する。そこにIKIRUが突進して主人公を守る。小さなIKIRUが何倍もの大きな機関車にぶつかっていく。だが全く相手にならない。ボロボロにされていく。「ああ、もう駄目だ」と思った刹那、主人公を乗っけてIKIRUは走り出す。倒せなけりゃ逃げればいい。「私を荒野にまで連れてって!」と叫ぶ。空から降りしきる向日葵の雨。黄色い紙吹雪が無限に降り出して視界は全く見えなくなる。ファンタジーだが絵に力がある。ラストの昂揚には唐十郎への追悼をも感じた。

    目を覚ますとそれは夢で警備員の鈴木めぐみさんがカフェオレの缶コーヒーを奢ってくれる。「不幸でなければ幸せだ」と。
    プラスを求める価値観でなくマイナスを忌避する価値観。生きてさえいりゃどうにかなる。ろくな欲望さえ持たなけりゃ無理に苦しむこともない。幸せは他人が判定するもんじゃない。結局は自分自身が決めるもの。

    ああもう少しだけここでの暮らしを続けてみようかな、と思う主人公。従姉妹に電話して謝る。失くしたもの手に入れられなかったものをいつまでも悔やむのではなく、今自分にあるささやかなものを確かめてみよう。多分きっと大丈夫だろう、自分をほんの少しだけあてにしてみる。ここが私の咲くべき荒野だ。ここでもう少しだけ生きてみる。もう少しだけ。

    どんな場所でもいいのさ 自分の足で立ってりゃ全然
    LAUGHIN' NOSE 「WILD」

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    2024/12/22 08:30

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