世界の果てからこんにちはⅢ 公演情報 SCOT「世界の果てからこんにちはⅢ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    勝手な先入観から糞つまらない演劇との偏見を持ち、吉田喜重、実相寺昭雄的なものを想像していた。観念だけで中身空っぽの評論家向けのお遊びを。自分でモノを考えられない連中は保証書付きのブランドに群がる。ステータスと肩書とに。だがそれはある意味とても健全なことだ。世界には秩序が必要。どれだけ自分でモノを考えなくていいかを競っているような世の中だ。それはそれでとても正しいことなのだろう。

    そんな気分でいざ観てみるとピスタチオの漫才のようなシュールなコント。金屏風をバックに下半身だけ下着姿(上半身と下半身とが別人格の表現)の登場人物達が車椅子で登場。真剣に日本論日本人論を語り合う。各自自らの足で車椅子を移動させるのだが舞台を踏みしめる足音に拘りを感じた。口を左側に歪めて伝統芸能(狂言)のような低い声色で全員が会話。「にっぽんJIN」とジンの部分に強いアクセント。どうやら近未来の日本は巨大な病院となっているらしい。

    平野雄一郎氏は中村獅童を老けさせた感じ。
    長渕剛っぽい人もいたが名前が判らない。

    女性6人組ダンサー・グループ「パンプキン」が大活躍。病院に慰問に来たような設定で見事な踊りを披露。女性の顔がプリントされた謎のうちわを右手に持ち、女版『純烈』のよう。ロリータ・ファッションの熟女達という出で立ちは現代日本への皮肉か?一番上手の女性が気になった。彼女達二曲のダンス場面が鮮烈。

    凄く高尚に下らないことをやっている。
    SCOT=Suzuki Company of Toga
    1976年、鈴木忠志氏率いる劇団「早稲田小劇場」は富山県東礪波(ひがしとなみ)郡利賀(とが)村に移住。(現在は合併して南砺〈なんと〉市利賀村に)。山間の過疎村に建てられた劇場、稽古場、宿舎は後に「演劇の聖地」として世界中の演劇人が訪れる巡礼の地となる。来年で50周年。俳優訓練法「スズキ・トレーニング・メソッド」は世界的評価を受ける。
    「利賀」と聞くと「三里塚」みたいに左翼の小難しい口うるさい老人のイメージを連想していたのだがどうやら全くの誤解だったようだ。
    勿論居眠り客は沢山いた。結構熱心そうなファン程眠りに就くのは永遠の謎。
    「これで吉祥寺で演るのはラストになるかも知れない」と鈴木忠志氏85歳。観るなら今回しかないかも。

    ネタバレBOX

    病院の院長は中国人で日本人に家賃を要求する。公共の病院で家賃なんて払うものかと反発する患者達。だが日本自体、中国に売り払われてしまったそうだ。由比正雪のようなドクトルが抵抗運動の組織化を熱弁する。凄く為になる空論だがそれを聞いたところで誰も何も出来やしない。ただぼんやりと日本は滅んでいく。

    60分の作品の後、休憩を挟んで鈴木忠志氏のトーク・ショー。45分くらい?こちらの方がお目当てだった人が多そう。話の取っ掛かりに観客からの質問を求める鈴木忠志氏。一人の観客が「今作は演出の表記しかないが作は鈴木忠志氏と考えていいのか?」と質問。そこから今作の作劇方法の開陳が始まる。冒頭の会話はチェーホフで、あそこはイプセンで・・・と自分の記憶からの引用から生まれたと。美空ひばりの「芸道一代」、平野國臣が桜島を詠んだ「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」は島村抱月と松井須磨子の取っ組み合いの喧嘩のもとともなった・・・などなど。
    面白かったのは彼が一番重要視している「偶然性」のことについて。利賀に移住した切っ掛けは東宝で舞台稽古をしていた際、終了の時間が来る。だがここでもう2、3時間詰めた方が絶対良い芝居になる。そこで劇場管理者と揉める。東宝のトップとも揉める。「偶然性」こそが芸術を自由足らしめる根幹なのにそれはシステムとして排除されていく。突発的偶然的なもの、管理出来ないものを忌み嫌う社会。この「偶然性」を許容する環境を自ら創る為に移住を決意。当初は奇妙な演劇集団が山奥で自給自足の生活を送っていることに連合赤軍のイメージを持たれ、公安がついて回ったそうだ。演劇を隠れ蓑にテロリストの武装訓練を行なっているのではないかと。
    もう今回だけで今後観る気はなかったが、彼のトークが非常に面白かったのでまた観たいなと思った。

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    2024/12/19 17:49

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