実演鑑賞
ほぼ諦めていたが、何とか客席に滑り込む事ができた。
どこから吟味すべきか・・。
本戯曲、初演は1976年。状況劇場時代の演目であった(場面転換が少なく登場人物の人数の大きく変化する場面も少ないこの類型は唐の後期戯曲と勝手に決めつけていた)。
この演目を知ったのはSPACが珍しく唐作品を取り上げた事(2020コロナ中止、2021年上演。未見)によってであったが、2022年唐組で上演したのを観た(他の上演記録がないのでここで観た事になる)。梁山泊では初である。
何と言っても話題は今回の俳優の布陣に集まるが、劇場公演で金守珍が著名俳優の座組を演出する事はあっても、今回は花園神社・紫テントである。サプライズ感の大きい豊悦と勘九郎、今回の舞台のレベルは両名無しには達せられなかった事を認ざるを得ない。作品本位での配役である。一つ付け加えれば、(御大の死を金守珍が予感したのかは知らないが)状況劇場が当時具現していたテントの熱気を今ここに彷彿させようとしたのではないか、とも。そんな思いが過ぎったのは寺島しのぶ演じるヒロインが李麗仙に見え、相対する白スーツの豊悦が唐十郎に重なるような幻視の瞬間がふと訪れた時。(もっとも私は最晩年の李麗仙が梁山泊「少女仮面」に客演したのを観たのみで、唐十郎は短い映像でしか見ていない。)アングラ前の時代を知る人に、当時アングラは何だったのかと訊いたら、言葉を探しながら「(あれは別カテゴリー、というニュアンスで)有名人が出たりしてね」の言葉でまとめていたのを印象深く覚えているが、私なりの解釈を重ねると、スター性を帯びた特権的肉体が、一身に視線を受け止める事で成立する観客との交歓がテント公演の熱気であった・・となる。私の想像の届かなかった「時代の中のアングラ」の一側面を感覚的になぞる(追体験する)観劇となった。
世界に憧憬し悩む無垢な青年と、曰くある過去を持つ大人(男そして女)の構図はやはり唐十郎世界に欠かせないなと改めて思った次第だが、その青年役を勘九郎が担い、冒頭から喋り倒す。見事である。感想はまた改めて。
残す所1ステージ、完売。ネットでの当日券抽選も前日に終えている。
ただ一点、当日になって空席が生じる可能性はゼロでなく、テント公演の寛容さは「前日抽選の当選者か」を問う管理的目線より「観たい」情熱を受け止めてくれそうな現場での心証ではあった。「外で声を聴いて想像するだけでも良い」と腹を括れる熱量の方には、足を運ぶ事をお勧めする。