ゴツプロ!第九回公演『無頼の女房』 公演情報 ゴツプロ!「ゴツプロ!第九回公演『無頼の女房』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ゴツプロ!二度目。中島淳彦作品も実質二作目。先般拝見した中島作品と同じく、歴史人物を題材に物した脚本。その前作(昭和の女性漫画家たちの群像劇)がかなり上出来であったので比べてしまうが、中島淳彦世界を堪能。良い。
    スズナリ10回行ってやっと1回程度(いやもっと少ないか)の本多劇場。余裕あるステージには日本家屋の広い居間(美術:田中敏恵)が古い木造家屋の濃い茶系で落ち着きがある。最奥に廊下がわたっているらしく、全面窓から緑の庭が見え、その上手寄りに庭へ出る扉、さらに上手袖はその先に部屋々々があるらしい。上手側面の壁には戸付きの棚、それを正面に見た右側(舞台前面)へ消える通路もはけ道。下手手前から袖へ玄関、そこからまっすぐ舞台奥の上方へ、二階へ上がる階段。作家の書斎に至る。
    五つの出入り通路を頻繁に行き交う動的な舞台である。見れば演出が青山勝。道学先生の作・演コンビの舞台は拝めないと思っていた(故人の作を再び青山氏が演出する事もあり得た訳だ)。その主要メンバー・かんのひとみの水を得た魚の如き存在感も初めて目にした。一挙手一投足が、美味しい。
    他俳優も特色ある存在感で役柄を演じ分け、質が高い。改めて見たゴツプロのサイトにて、所属俳優がある旨を知り、この劇団のネームが入った公演チラシを目にする頻度が高い理由も理解。
    ゴツプロ!を初めて観た舞台も別の作・演出だったが、所謂<レベル高め>?な俳優集団が傾きがちな甘めウェルメイドに堕ちず、味付け辛めで好感触。その線は今回も裏切らずであった。

    無頼派、と言えば二名の小説家を知るのみだが、事実は小説より○○の世界がそこにあり、作者が魅惑され、見つめたのだろうその眼差しに同期し、なぞって行く舞台。

    ネタバレBOX

    坂口安吾をもじった塚口圭吾をゴツプロ主宰の塚原氏が演じるが、豪胆、繊細、純な気質と、既に病魔に冒され狂気と背中合せの奇人振りをボサボサ髪で好演(ちょっと二枚目過ぎで時折「地」が出てしまうのは言っても仕方の無い所)。
    前回の作と同様、坂口安吾という人の実体と本作とのディテールの差(史実をどう「翻案」したのか)への関心から少し調べてみて、自分の知らなかったこの文学者への興味を焚き付けられた。劇中「豊臣」(おさむ)として登場する人物が太宰治であるのは説明不要であったが、後一名「谷」として登場する面倒見の良い文学者、一文字なら「檀一雄」?と当て推量したが、史実でも深い交流があったらしい(逼迫した晩年は宅へ身を寄せている)。三名の編集者たち、出入りする女中の旦那(軍隊帰り)、面倒を見ている遠縁の変わり者の男をゴツプロ俳優が固め、他に書生、豊臣、彼が連れて来るかつて坂口、というか塚口が「純愛」の相手と自分の小説にも書いて憚らなかった女性、そして主役の塚口の妻が客演。史実上の人物と符合するのがこの女性と、太宰(豊臣)、他の人物らは不明(調べれば出て来るかもだが)。塚口の「奇行」としてドラマを彩っているのが「二階から飛び降りる」、その度に女中(かんの)と書生が布団を出して庭へ飛び出す。必ず「宣言」してから飛ぶ。煮詰まった時ばかりでなく、喜ばしい出来事があったと聞いても、飛ぶ。これが作者の「翻案」だとすれば、よく発案したものだ。
    一点、物語の核である妻(史実では三千代)の描写が、前宣伝の文句から期待されるものとは違う。(妻がある時思い定めて態度を変えてから夫=塚口の生き方も変って行く、的な説明書きがあり、どう見てもこれは不要であった。いつその「瞬間」が来るのかと、私は待ちながら観ていた。まあ芝居は面白かったから良いが、核である妻はタイトルにはなっているものの、舞台から受け止めたのは一文学者と結ばれるも孤独にさいなまれる事となった彼女は、夫へを「眼差す人」であり、それ以上ではない。作者はもっと踏み込んだ人物像を想定して書いたのだろうか。(そうかも知れない。)
    もっと的確な表現がありそうだが、まだ不分明でこういう言葉にしかならない。

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    2024/06/09 08:47

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