実演鑑賞
満足度★★★
わたしはあらんとしてあるもので、あるとはすべてであり、わたしはあらんとしてあるもの。
『シュヴァルの理想宮』と呼ばれる建造物がある。1879年、43歳のフランスの郵便配達夫ジョゼフ・フェルディナン・シュヴァルが奇妙な形をした石に蹴躓く。その形に魅了された彼は家に持ち帰り、その日から石の収集を始める。集めた石を庭先に積み上げ、33年掛けて理想の宮殿を独りで完成させた。周囲からキチガイ扱いされながらもその見事な城塞は、彼の死後1969年、フランスの歴史的建造物に指定され今ではれっきとした観光名所。彼の人生は映画化もされた。
1985年初演、何度もフォルムを変えながら流転し続け今回で9度目に。テーマは『距離』。シュヴァルが石を積み上げ始めた時に思い描いたものとの距離。それは掛かる時間か、物理的な作業としての労働量か、それに費やす己の忍耐力か。そしてそれを創り出したいと思った精神世界の欲望との距離。どうして創りたいのか?他のものじゃ駄目なのか?本当に創りたいものはこれなのか?
全ての実現は願うことから始まる。その願いと自分の立っている場所との距離。目に見えないそれを伝える装置としての演劇。皆ランドセルを背負っている。
舞台前には砂漠に見立てた砂場。ある一家の父親が行方知れず。代役業のヤドカリ・𫝆村博氏が父親役を契約。母親は森ようこさん、息子は髙橋優太氏。失踪した郵便配達夫(違ったかも知れない)・螺旋は髙田恵篤氏。カタツムリは小林桂太氏。
「一人は不在(不明)で一人は他人」
『シュヴァルの理想宮』を絶賛したアンドレ・ブルトンの自伝小説『ナジャ』。ナジャことレオーナ・デルクール役は山田桜子さん。ロシア語で「希望」の意味を持つナジェージダ 、その言葉を縮めてナジャ。
ラモーンズの『Pinhead』に似たリフの曲が流れて興奮した。
森ようこさんは流石。こういう女優を育てていかないと劇団は続いていかない。
日本のPUNK ROCK史を語る上でアングラ演劇の系譜は欠かせない。小林桂太氏の小柄な肉体美は遠藤ミチロウを彷彿とさせる。スターリンは寺山修司だったんだな。逆に「万有引力」にスターリンを感じた。
前売りで全席完売、グッズ売り場に長蛇の列。
わたしはあらんとしてあるもので、あるとはすべてであり、わたしはあらんとしてあるもの。