デカローグ5・6 公演情報 新国立劇場「デカローグ5・6 」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    5話と6話は映画化された2作に当たり、本シリーズの中核になるのかな?とぼんやり想像しつつ楽日を訪れた。(なおパンフによるとキェシロフスキ監督に「十戒」をモチーフにしたシリーズドラマの企画がもたらされた時、テレビドラマ撮影の資金がないがために興行収入を当てに映画を撮ったのだとか。自分は大昔観たが「殺人」の方は面白かった記憶のみ、「愛」の方は「殺人..の方が面白い」と感想を持った微かな記憶。で、舞台を観て思い出したかと言えば「殺人」はどことなく、「愛」の方は微かに「あったかな」と推察した程度。)

    現代の神話である「デカローグ」。「ある殺人に関する物語」(演出=小川)は、都会にやって来た寄る辺ない若者と、司法修習生を終え晴れて弁護士となった死刑廃止論者の青年にフォーカスし、その動線を淡々と描いた最後、訴訟において出会う。若者はあるタクシー運転手を殺した。白髪混じりの運転手は乗せてほしいと言う客をいつも無下に断っている。一度は妻を病院に連れて行きたいという男に、食事中だと待たせ、パンを食い終えてエンジンを掛けたと思うと、走り去ってしまう。ある日の事。若者はあるカフェで紅茶を注文して断られ、ミルクをと注文し、荷物を確かめる。ロープがある。例のタクシーが停まっている。若者が近づき、「○○まで」と言うと男は暫く相手を値踏みするように凝視した後、ドアを開ける。表通りから裏路地に入れと指示し、停まった直後事に及ぶ。縄だけでは殺せず、若者は道端の石を男の頭部に振り下ろす・・。
    死刑判決が出たらしい法廷を、警備に付添われて去る被告に、若き弁護士が思わず声を掛ける。自分の名前を呼んだ方角を驚いたように探す若者。死刑執行の日、若い死刑囚が初めて信用できる人と会ったと言い、呼び出された弁護士に自分の田舎での事などを話す。学校帰りに遊びが高じて友人が運転したトラクターで自分の妹を轢き殺してしまった事、家にいられなくなって都会に出てきた事・・あの事がなければ、きっとこんな事になっていなかった、と若者は言う。長官からの催促の内線を伝える担当官、今初めて人生を語ろうとしている死刑囚を前に、弁護士は何度目かの催促に対し苛立ち紛れにいっそ無期限の猶予を乞うといった趣旨を伝え、やがて役人達が物々しく入って来る。死にたくないと叫ぶ青年は引きはがされ、舞台装置の上方に先程から据えられた縄を首に回され、刑に処せられる。

    デカローグにおいて観客は人間の時に滑稽で残酷で、運命や他者や己自身に翻弄される姿を、俯瞰で見る。音楽は如何にもな、というか、通り一遍な「寄り添い方」をする。神の視線の神とは無感情に人間を突き放す存在でなく(聖書の神は自分をかたどって人間を作ったとあり、慈しみ要求し罰する神である)、人間的眼差しがあるものの、しかしどこか距離がある。

    「ある愛に関する物語」(演出=上村)は、十代の若者の独りよがりな「愛」の帰趨を描く。彼は団地の向かいのとある部屋に住む女性を望遠鏡で覗いている。郵便局で働く彼が窓口におり、彼女が「為替の通知が来た」と言って通知を差し出すと、リストを眺めて「無い」と答える、という場面が冒頭にあるのだが、後に同じやり取りが再現されその前段で彼が手紙を書いて彼女の部屋のポストに入れるという行動が置かれ、真相が分かる。彼は彼女が部屋に連れて来る男との逢瀬も目撃している。彼女が牛乳配達を頼んでいる事を知った彼は早朝の牛乳配達のバイトもこなす。彼と同居している年輩女性とは微妙な距離感があり、実は母ではなく、彼女の息子が不在のため、息子の友人であった身寄りのない彼を引き取っているのだと分かる。親代わりを自認する彼女は彼の引きこもりがちな質を心配しており、時々それとなく聞き出してみている。ただ、望遠鏡を通した恋がある、という事は感づいている。
    ある夜、望遠鏡越しに、男と彼女が事に及ぼうとするのを見た彼は咄嗟に、ガス漏れの通報をする。技師が彼女の家を訪ね、検査に立ち入り、男は気分が冷めて帰ってしまう。この場面でだったか、女は己の中に惨めな姿を見たように、嗚咽する。
    ドラマが動くのは、そうした諸々(無言電話も結構かけている)を奇妙に感じていた彼女に、青年はついにニアミスをし、己の存在を告白し「愛している」と告げる。笑うしかない彼女であったが、興味も湧いてカーテンを開けた窓の前で、彼にサインを送ったり悩殺ポーズを取ったりする。
    彼女との接近は、カフェでのデートの約束を取り付けるまでに発展し、その夜、一張羅を着こんだ彼を見て同居のおばさんは安心したように彼を送り出す。
    女は若い燕と遊びたい様子で、名乗り合った時点で相手の名前も覚えていない(と後で分かる)。彼は「覗き」をやるきっかけや、自分の思いを明け透けに語る。少年の憧れ以上のものを感じない彼女は、性愛には興味がないという彼の証言を聞き、帰り道、タクシーを見て「あのタクシーに間に合ったら私の部屋に来て。もし間に合わなかったらこれっきりね。」と彼を試し、後刻二人は部屋に居る。ここでの時間は破綻に行き着くが、その後の場面が本作の核になる。
    ・・部屋で彼女は若者からゆっくりと服を一枚ずつ剥がし、男女の関係は所詮物理的な結びつきに過ぎない、と告げる。彼女にとっては「誘導」であったようだが彼はその誘導を拒否し、部屋を飛び出す。彼が異性に寄せていたものの行き着く果てが残酷な「現実」だったに過ぎないのか、尊いものだと信じていた意志を彼女によって踏みにじられたという失望であったか・・
    その日の夜、彼は浴室でリストカットし、湯に浸す。一命をとりとめて病院に搬送されたが、若い男を傷つけた事を察した彼女は、青年を探し始める。郵便局も休んでおり、窓の方角から団地の部屋の位置を定めて、おばさんのいる部屋へ行き付く。問題の夜、実はおばさんは彼が望遠鏡で覗いている存在が相手だろうと踏み、頃合いにベランダに出て覗き始める、というくだりがある。そして破綻の瞬間までを見ている。女の来訪を受けた時、「もう関わらないでほしい」と告げる。行きかけた女は戻って「彼の名前だけ教えて下さい」と言い、おばさんは呼び名(ファーストネーム?)を答える。
    彼に会わなければならないと、急かれるように郵便局へ行き、彼の苗字を聞き出す。と、彼が退院したその足か、荷物を提げて職場に戻ってくる。対面する二人。照明は二人に絞られる。(このメロドラマチックな演出も好感)ここで青年が最後の台詞を言い、戸惑った彼女の表情を映して芝居は幕となる。
    このラストは映画ではどうだったろう。ラストのその先は未知数である。彼の台詞は、女性を見切ったとも取れる。が、自分のそれまでのあり方との訣別、即ち新たな関係を結びたい宣言とも解せる。前者だとすれば、あまりに移ろいやすい思春期の「風邪」が治った彼を前に、深刻に考え過ぎた(そして彼を思っている)己を自嘲する女の残像、という事になるが、後者ならば、突如対等な大人として現れた彼との未来に、戸惑う姿とも見える。
    純粋さと汚れとが入り混じる思春期の恋愛の心模様を思い出させるドラマであるが、思春期に限らず恋愛に付きまとうテーマでもある。

    「殺人」「愛」どちらにも、物語の前面には出ないが、客観的には境遇的に恵まれない若者という設定があり、裏テーマになっているようにも思う。いずれも筋書は「よくある話」の類であるがどこか真実味がある。(「愛」の方はガス会社の人間が強引に部屋に入って行って逢瀬の邪魔しいが成功したり、「偽の通知」の件で郵便局を訴えた女性に局長のプライドから逆に女性を追い払う、等は微笑ましいご都合主義。)

    殺される事になるタクシー運転手と、彼を殺す若者の接点については何も語られていないが、運転手の行動の幾つかは、衝動殺人なら特段必要な場面ではなく、計画殺人なら「殺してもいいやつ」と判断させる材料となった可能性を示唆する。
    私の説は・・、二人に過去に接点(あるいは若者が運転手を見て知っていた)は無く、鳩には餌をやるが「タクシーに乗らなくても余裕で暮らせる奴」と見れば乗せる気が失せる偏屈おやじが、どういう巡り合わせか、殺されてしまった・・である。些か深読みすれば、彼は偏屈親父の中に同類の匂いを嗅いだ。殺人は屈折した精神が必死で導き出した結論だったのかも知れない、作者はそう観客が考える事を歓迎しているようには思う。死刑廃止の本質的議論は、犯罪の責を個人のみに着せられない、との思想を背景にしており、若者の正義感に寄り添ったドラマになっている。ありきたりなドラマではあるが、大多数の国が死刑を廃止している論拠に拮抗するだけの議論を、日本の死刑制度擁護論が為し得ていない現実があるとすれば、この「ありきたりな」ドラマを日本人としてどう観るべきか、厳しく言えば問われざるを得ないし、物事の本質に切り込めない緩すぎな日本のドラマ事情は決して「笑える話」でもないとつい愚痴が出る。
    少々長過ぎたか。

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    2024/06/06 15:13

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