デカローグ1~4 公演情報 新国立劇場「デカローグ1~4 」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    Bプログラム(2話・4話)の感想を書いていなかった。だいぶ記憶も薄れたが少しだけ。
    益岡徹、前田亜希、近藤芳正、夏子。夫でない男性との間の子どもが出来た女。夫は病床にあり、生還する見込みがあるか分からない。妻(前田)は医師に生還の可能性があるなら堕胎する、ないのなら産みたい、だから真実を告げてほしいと迫る。舞台下手のベッドにずっと横たわる夫の状態は明らかに良くないが、医師(益岡)は必ず死ぬとは言えず、恐らくは正直に「分からない」とだけ答える。だが血液を検査する中でその兆候から、患者にとって芳しくない診断材料が加わった事が分る(医師の部下とのやり取りが殆どがマイムに近い簡素な表現でなされる)。そして女性が堕胎を決断しようとした時、医師は女性も臨んだ「初めての子ども」の命が潰える事を怖れてだろうか、診断に確信を得たからだろうか、「あなたの夫は死ぬ。もう助からない。」と告げる。(この場面は雷雨、劇的場面となる。)そして数か月後、夫は生還し、命が拾われた事に加え、子が授かった喜びを医師に告げに来たところで幕が下りる。
    第四話は、母が居ない父子家庭で進路を決める時期に来た娘が、恋人を持ちながらもそれ以上親密になれず、やがて父への愛を告白し始める。それは、母が父でない男との間に子どもを作り、生んだという出生の秘密を知った、という背景から来る。そして一つ屋根の下で暮らしてきた娘は、父が自分を「一人の女性」として見てしまう事を怖れ、その反面内心では愛(異性への)を宿していた事を感じ取っていた・・そう娘は激白するのである。出生の秘密については、母が残した遺書、その中にあった「娘に当てた手紙」に、書かれていたらしい。そして父は、その存在を既に知っているだろう娘が、手にする事になるよう、ある時引出しのカギを開けたまま出かける。そうした行動線の意味が後の会話で明かされる事にもなる。父は内心の事実を娘に対して認める。しかし、娘を娘として愛したいのだと、その意志を通したいのだと最後には娘に告げる。
    ここが「収まる所に収まる印象」の理由なのだが、奇を衒うドラマ作家なら、「境界を踏み越える」道を選ばせるか、父の別の秘密を知って幻滅させて、といった展開にしそうなのだが、キェシロフスキーは奇抜さを狙ってドラマの深みを土砂で埋める事はしない。
    「女として意識した」時間があった(悶々としたか喜々としたか・・色々と想像させられるが)。その時間を経て父は、父親にならせてくれと娘に頼み、男女となる事によってでなく、その事によって愛を全うさせてほしいと願ったわけである。
    だがこれは「血が繋がった」通常の父娘関係においても、心理的には、起き得る事ではないか。そしてその事は険しい罪意識との相克を経ず、忘却によって、あるいは日々刻まれる時によって、埋もれて行くものなのかも。だがこの二人は娘からのアクションにより全て表に出し、求めあって良い間柄である条件において、ある選択をするに至った。「その方がよい」と思える着地点を、双方がそう思える結論を得た、と見えた事が劇的な感動。
    幻想かも知れないが、性愛のない愛の存在が仮想されている。近藤芳正の背中に少しだけぐっと来た。

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    2024/06/01 14:35

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