父と暮せば 公演情報 独歩「父と暮せば」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    感動的な最終公演でした
    独歩プロデュースは麦人、てらだかずえのご夫婦2人だけの演劇企画・制作事務所で7年間続けられ、今回が最後のプロデュース公演だそうです。井上ひさし氏の「父と暮らせば」は、麦人氏が惚れ抜いた作品でありながら、こまつ座初演のトラウマから長く手をつけられずにいたという。ようやく最終公演として企画を決めた後、井上氏の訃報が届いたとのこと。
    原作が素晴らしいことは言うまでもないが、本公演のすべてが素晴らしく、大変感動した。会場スタッフの皆さんの心からの笑顔と誠実な応対も忘れられない。そして、あえて終演後に手渡されたパンフレット。出演者、スタッフたちのこの作品への思いがしたためられているが、どの文章にも胸を打たれた。特に、麦人氏と共に演出を担当された伊藤勝昭氏の文章には涙を禁じえなかった。伊藤氏はこの芝居のヒロインと同じような辛い体験をされている。65年たっても死者の叫びはいつまでも心の奥底に残っているのだということ。

    ネタバレBOX

    MOMOでこんなに本格的で凝った舞台美術を見たのは初めてで、会場に入るなり、席を決めるのも忘れて見入ってしまった。担当したのは加藤ちかさん。第三エロチカ出身で井上作品に触れる機会がなかったというが、渾身で取り組んだという言葉どおり、素晴らしい舞台美術だった。赤錆びたトタン屋根の下、美津江の愛着ある台所が見事に再現されていた。
    映画や舞台でこの作品をご覧になったかたも多いと思うのでストーリーについては詳しくは触れない。
    娘の美津江(安藤みどり)が勤務先の図書館で出会った、原爆史料を収集している木下青年へのほのかな恋心を知り、原爆で亡くなった父親の竹造(麦人)が美津江の目前に現れる。美津江の恋を応援したいと言うのだ。しかし、原爆で父を失い、同級生のくれた手紙を拾おうとして灯篭の蔭にかがんだため、九死に一生を得た美津江はショックから抜け出せず、自分には幸せになる資格などないと頑なに思い込んでいる。美津江の野菜を刻む包丁の響き、竹造が擂鉢で作るじゃこみそなどに温かな家庭の雰囲気が伝わり、2人の会話から何ともほほえましい生前の親子関係が伺える。井上氏のことばの響きの美しさに圧倒された。美津江は女学校で昔噺研究会を作っていたが、いまも図書館で子どもたちに昔噺を読み聞かせ、昔噺はできるだけ伝えられているものを忠実に話すことを旨としている。朗読の稽古をしている美津江に、竹造が美津江が木下から預かっている原爆の遺物、熱で溶けたガラス瓶や原爆瓦などを小道具に使い、「広島の一寸法師」を勇ましく脚色して話そうとする場面は、美津江の心情を思うと胸をえぐられるようだった。いまも後遺症と爆弾投下のトラウマにおびえる美津江に、竹造は「ヒロシマの人にはどんなことを言っても・・・」と肩を落とし、美津江に謝る。このあたりに「芸術表現において原爆をいかに扱うべきか」という作家としての井上氏自身の真摯な思いがみてとれ、考えさせられた。直接被爆した世代の人々がこの世を去った時代となったら、はたしてこの真摯な思いは演劇表現の分野においてもどれほど理解されるのかを私は危惧する。「原爆をタブー視してはいけない」という考えだけが独り歩きしない保障があるだろうか。
    同級生は惨い姿で亡くなっており、その母から生き残ったことを責められたとき、美津江はどんなに辛かったろう。木下から預かっている部屋の時計や瓶などの原爆の遺物、庭の焼け爛れた石地蔵の頭も、我々は「そういうものか」と思って見るかもしれないが、美津江にとっては辛い記憶そのものなのだ。自分も現地の平和資料館で遺物の現物を見ているが、「物」が伝える力というのは凄い。
    親子の別れは普通でも辛いものだが、「こうような別れが末代まで二度とあっちゃいけん」と言う竹造の台詞にテーマが集約されている。父との対話を重ね、美津江は明日に向かって歩き出すことを決意する。史料を運んできた木下のトラックの響きに心に灯がともるような明るさがあった。
    安藤さんの美津江役がとにかく素晴らしい。俳優座にこういう若手女優が育っていることが嬉しくなった。若い頃の有森也美に似た雰囲気で、本当に戦時中の娘さんに見えた。中学のとき広島に住んで原爆について話を聞いた経験があるそうで、やはりそういう経験は役を演じるにあたって重要だと思った。竹造を熱演した麦人さんは、生前そうであったと思わせるひょうきんさや洒脱味がよい。
    <世界五十四億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふりをする」ことは、なににもまして罪深い。>という井上氏のメッセージを重く受け止めて、この作品に全力で取り組んだという麦人さんに大きな拍手を贈りたい。もちろん、公演にかかわったすべての人に。とても小規模な公演だけれど、観終わって心から「ありがとう」と言える公演でした。

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    2010/08/09 23:17

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