2001年-2010年宇宙の旅 公演情報 東京デスロック「2001年-2010年宇宙の旅」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    2010年の夏目慎也は、スターチャイルドになったのか?
    やっぱり東京デスロックは面白いじゃないか!
    富士見まで行ったかいがあるってものだ。

    野外の使い方と取り込み方が、物語においても秀逸。

    ネタバレBOX

    富士見市民文化会館キラリ☆ふじみの池の中に設置された舞台で行われた。
    野外であるということをうまく活かし、さらにそれらの要素の取り入れ方も見事だ。
    演出で時々打ち上げられる花火(音だけでなく火薬の香りも人類の歴史にとって不可欠)や車のエンジン音、そして野外の空気感までも舞台装置として取り込んでいた。
    台詞によって、その状況を逐一取り込むというのも面白い。

    ヒトザルから人類への数百万年の歴史と、2001年から2010年までの歴史。人類の歴史の中で、象徴的に「コトバ」にしてすくい上げられた「歴史」と、個人の「歴史」のパースペクティブ感が素晴らしい。

    改めて「歴史」は「コトバ」にして切り取る以外、手にすることができないものであると感じる。歴史として残るのは、コトバにして加工された事実と言われるものでしかない。その曖昧さの上だけに歴史はあるのだ。だからいくらでも意識的、あるいは故意に歴史は刻むことができる。と言うより、意識的、あるいは故意にしか歴史と呼ばれものは存在することができない。

    その意味で、「ヒトザルは、コトバを手にして歴史を手に入れた」(概ねそんな意味の・笑)は名台詞。

    個人と世界の境界が曖昧になっていくのは、野外の劇場が劇場と世界との境界が曖昧になっていくのに等しく感じられ、まさにこのテーマとマッチした舞台がそこにあったと言っていい。

    個人の歴史はそこはかとなく、(小さな)哀しみがある。世界(社会)の歴史にも、(大きな)哀しみがある。哀しみに大小なんて実はなく、単にそれが「コトバ」によって連綿と連なっているだけ。

    夏目慎也の住む風呂なしの部屋の裏には、連なる世界の歴史が見え、人類の歴史も連なっている。当然と言えば、あまりにも当然な事実なのだが、それは。

    本日のゲストは、2001年に生まれた希宇(きう)くん。ちょっとあざとい(笑)ゲストの選定だが、これも見事。さすが!

    かくして、東京デスロック立ち上げから10年の重しを脱ぎ捨てた、2010年の夏目慎也は、下北沢風呂なしのアパートに住む、スターチャイルドになっていくのだった。ん? そうなのか?

    モノリスという存在がヒトザルから人類への橋渡しをしたのであれば、夏目慎也がスターチャイルドになっていくのための「モノリス」は、実は「東京デスロック」だったというオチでもあるのだ。
    モノリスで一瞬にして「試された」ヒトザルと同様に、「東京デスロック」というモノリスで10年かけて「試され」「変化」していった夏目慎也というヒトザルの物語でもあった。「演劇」という「道具」を手に入れたヒトザル(たち)なのだ。

    それはまた、私たちも同様で、宇宙の歴史からは、ほんの一瞬の時間という曖昧な軸の中にあって、何らかの「道具」を手に入れ、宇宙にとって、あるいは人類にとっての「変容」を続けているにほかならないということなのだ。変容には大小の概念もなく。

    うんと未来に、われわれが肉体を脱ぎ捨て、感情だけの存在になったとしても、たぶん「演劇」という概念は存在し得るというメッセージも込められていたようにとらえた。スターチャイルドがいるし(笑)。

    ラストで全員が池の向こうへ遠ざかり、その後の静寂は、なんて美しいんだろうと感嘆した。野外の空気も味方にした一瞬でもあった。

    そして、2010年以降の夏目さんは、犬を2回飼うらしいのだが、その歴史の中に、「風呂付きの部屋に引っ越した」と「青年団に受かった」の2つは入れてほしかったと思うのだった。

    それにつけても、多田淳之介さんは、夏目慎也さんLOVEなんだなぁ(笑)。
    確かに、夏目さんいいよなぁ。

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    2010/08/09 08:27

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