実演鑑賞
満足度★★★★★
青年団で「今的にgood」という意味で評価したのは、いずれも新作の「ニッポン・サポート・センター」「日本文学盛衰史」で、他の旧作再演は興味深くは観たが淡泊さが勝ち、ぐぐっと差し込んで来るものが無かった。
だが今回は(本演目は二度は観ているが)意固地に淡泊、と以前見えた印象がなくなり、実にハマった俳優とその演技が最大の貢献であるが、刺さって来た。何度か観た演目だから、確かこの人はこの先痛い目に遭うのだっけ、とか、先を楽しみに観られた面もあるし、アゴラでの最後(大規模なのは)のステージという事が俳優もそうだろうが自分も喰い気味な眼差しを送っていたかも知れぬ。
が、やはり、「死」と直面している場所である事と、その事実を踏まえての敢えての「意識してなさ」という微妙な線が、微妙に絶妙に出ていたから、と思う。
最も印象的であったのは、「死」に近いだろう存在として、中藤奨演じる福島が、友達三人(内一人が恋人、他二人が別のカップル)の訪問を受けて対応するエピソード。他の訪問者や入院者のエピソードの合間に、観客は断片を眺める事になるが、彼らは散歩から戻った所での会話で、じゃテニスをやろうとなり、福島当人は医者からストップが掛かっているので「見てるよ」と言い、皆が一旦部屋のほうに下がって後の展開。
どうやら当人は眠くなって暫く部屋で寝ちゃってた、と後で分かる。その前に三人組の一人の男が先にラケットを持って降りて来て暫~く滞在し、お喋りに参加するのだが、「見て来る」と絶妙に去る。やがて降りてきた福島と、三人が又喋ってる間、福島はまたソファに横になり、「すぐ行くから」と追いやる。恋人が気にして「寝れば」と告げ、他の二人(カップル)は先に行く、と去る。和田華子演じるその恋人も絶妙な距離感を出す。彼女も去り、その後他の人物が登場したり、最後は医師と連れだった看護師が、ある話の続きを「ここでいいから」と話して聞かせるも呆れられる、というくだりを二人は福島の様子を見ながらやるのだが、まだ起きない福島に部屋で休むようたしなめる。スタッフもこの場所が「死」と隣り合わせである事を一切おくびに出さないよう慣らされているらしい節度で、入院者に対している。その眼差しの奥を、観客は想像するしかない。
相変わらず寝ている福島。先の別のメンバーとの場面でも、話しかけられて返事をせず、寝ていると思わせて肝心な所では「違うぞ」と口を挟む。顔の前で腕を乗せて休んでいて、顔は見えない。
観劇中の居眠りに掛けては人後に落ちぬ自分だが、体内のコンディションによって睡眠量にかかわらず「どうしたって眠くなる」事は、それなりの歳になれば心当たりがある。福島の様子は、「横になる」という控えめな行為によって内臓がそれなりにやられてるだろう事をリアルに告げており、にも関わらず、認知的不協和を嫌う空気感も手伝って、あたかも何も起きていないかのよう。音楽もなければ劇的に不安を煽るような台詞もない。だが・・一つの肉体が滅びようとする時も、多くの人たちの生活の時間は刻まれ、淡々と流れて行く。
他の主なエピソードとして、恋人が訪ねて来たと喜んだのもつかの間、同伴したという友人から別れの通告を代弁された青年の背中が語るダメージも、かつての婚約者の訪問を受けた青年画家の語らない内面と表面的な対応の「大人」感も、味わい深かった。
平田オリザ氏が(恐らくは新劇や過剰なアングラへの「アンチ」として)日常性、現代口語へのこだわりをもって演劇を始めた事を、いつも念頭に青年団を観劇して来たんであるが、いつもそれを裏切って非日常が高揚をもたらす瞬間こそ面白いと感じ、感動を覚えてきた。
さて今後青年団はどういう変遷を辿るのか、未知数だけに楽しみである。