アンドーラ 公演情報 文学座「アンドーラ 」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    あまりにも恐ろしく、わが身を振り返らずにはいられないが、それをすれば身の置き場がない。

    舞台は敬虔なキリスト教国「アンドーラ」。隣り合う「黒い国」でのユダヤ人虐殺から救い出されたアンドリは、救い主の教師夫妻とその娘、バブリーナと家族同然の暮らしをしていた。だが、密かに愛を育んだアンドリとバブリーナが結婚を申し出ると、父は決してそれをゆるそうとしない。おりしもアンドーラ国内には「黒い国」が侵略してくるとの噂が流れており……。

    ネタバレBOX

    悲劇的な結末は、登場人物たちの回想(証言)によって序盤から示されており、
    観客は、どのようにしてそれが起こってしまうのか、その時人々が何をし、何をしなかったかを注視することになる。

    アンドーラの人々は、平和を愛する唯一無二の国の市民を自認しているが、「黒い国」からアンドリの実母だという女が訪ねてくると、雪崩をうつように疑心暗鬼に陥り、結果として、女とアンドリは殺されてしまう。一人ひとりが手をくだしたのではなくても、誰もがこの顛末を後押しし、あるいは見過ごしたことが証言によって浮き彫りになっていくのは、辛いものだ。誰もが(特に序盤)まるで「気のいい市民」のようにふるまっていたのだから、なおさら。彼らの姿はもちろん、善良さや良識を持ち合わせていると自認する観客(私)にも重なる。(俳優たちは皆、こういう「市民」の善良さといやらしさをまとう好演だった)

    結婚を否定される理由を「ユダヤ人であること」に求めたアンドリは、これまでに過ごした「ユダヤ人」としての立場とも相まって、実際には教師の子であることが判明してもなお自らのアイデンティティ=ユダヤ人であることを捨てようとしない。アンドリは、そして人々はなぜ民族に根拠を求めることをやめられないのか——。
    この上演において、悲劇の青年を演じる俳優は女性(小石川桃子)である。このことは、人種や民族にかかわる問題だけでなく、たとえば、現代において、どのように「女性性/男性性」がつくられるかといった問いにまで視野を広げさせる。

    発狂したバブリーナが、アンドーラの祭りの日のように塗料を手に「街を白く塗らなくちゃ……」と現れるところで幕は降りる。個人的な趣味として、舞台のクライマックスとしての”狂乱”には、鼻じらんでしまうことも多いのだが、これはただ慄然と見守るほかなかった。それはこの劇世界で、バブリーナの狂乱こそが、しごく真っ当な反応のように思えたからかもしれない。

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    2024/04/10 23:59

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