TIME 公演情報 (株)パルコ、朝日新聞社、集英社-T JAPAN「TIME」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    我が音楽脳に小さからぬ刻印を残した存在である故、「最後」ならば観て置こうとこれも迷わずチケット購入した。(見れば割安チケットであったらしい。)Corichに書き込むとは思わなかったが折角なので。
    とは言えこの度も、普段の観劇同様チラシの雰囲気に惹かれた。モノクロの静謐に褐色系が微かな熱(情)といった色彩感は先日観た「船を待つ」の大阪バージョンの照明、東京バージョンの音が融合した感じ。過去の二人のワークを精査する事なく漠然と期待を抱えて新国立中劇場の一階席に座った。(実は一階席は初めて)

    ネタバレBOX

    既に亡くなった坂本龍一の音源を活用したインスタレーション的な何かであろうかと、高谷氏の「本業」も知らず見始めたが、音、照明、映像いずれも精緻に作られ、観客は遠くからその様子が見て取れるよう正確な設えである。
    トーンを落とした声も、落としたニュアンスのまま、観客の耳に届くな・・と感心しつつ観ていたが、確かこの声は田中泯、と言う事は・・舞台上に居る胴衣姿の白髪混じりの男は、そうだ田中泯の立ち姿だ。
    始まりは、客電が点いた時点から流れている、何かを作る工房で金製の何かを投げたチャリッという音や、自然音。これが心地よく聞こえていて、やがて笙の音が聞こえて来る。その楽器っぽい物を両手で持って口に当て、巫女風の和衣裳の女性が能に近い速度で、中央に湛えた四角く水を張った池にも足を入れ、横切って行く。
    女性が倒れている、という夢の一場面が語られるが、笙の女性はここでも舞台上で横たわる(それでこの女性は女優であり笙の音は録音であろうかと推測したのだったが、本人であったらしい)。
    やがて男が、荷物から何かを取り出して何か作業をする。悠久の時をさまようイメージの中で、男の「する事」とは当然原初的なのであるが、どうやら目の前に現われた河を渡るため、石や枯木を投げ入れている。舞台中央に置かれた池は、7、8メートル四方位。その向こうのワイドスクリーンに映る映像を反射させている。

    (この続きを書いていたのが例によって消えてしまい、再度書き留める気力が起きなかったが、今少し書いておこう。)
    調べてみれば、この舞台の初演はコロナ前、海外であった。日本初演では坂本氏は故人であったので、私はてっきり高谷氏が坂本氏の音楽をベースにパフォーマンスのステージを作り上げた物、と想像したが、実はステージ細部にも坂本氏が製作上の関与をしていた(使われた三つのテキストも坂本氏のチョイス)。主に用いられた楽曲は「async」というアルバムから。オープニングの自然音の出所は不明だがこれもどうやら坂本氏が晩年の一時期「音」の採取に取り組んだ時のもののよう。そして笙の生演奏、これもBGM的に場面を彩った後、asyncの楽曲が使われて行く。これがチェロ等の低い弦楽器を用いたリフレインを基調とした楽曲で、かつてYMO時代の「BGM」や「テクノデリック」、またソロアルバム(「B2ユニット」だったか)に収録していた一定の小節の繰り返しで最後はフェードアウトして行くタイプの楽曲に通じる。作曲家坂本龍一はストーリー性のある大曲を作るが、ミニマルな断片のリフレインで作られる曲の方が、かつて私の耳に刺激的に残った。考えてみればそういう楽曲を「音楽」として聴く初めての体験だった。昔のそれはテクノな音であったがasyncのは生楽器の音で深淵なイメージへ誘う。バックの巨大スクリーンにも絶えずイメージ画像が流れ、数学的図像から、終盤では巨大な瀑布が音と共に圧倒する。「胡蝶の夢」「邯鄲」「夢十夜」が、時間(歳月)をテーマに坂本氏が選んだテキスト。「TIME」というタイトルも忘れ、没頭して行く中で感覚させられたのは悠久の時間と、瞬間的な時間の揺らぎ、その中に置かれた己の人生の時間だった。
    やがて笙が再び逆方向に横切り、自然音が鳴り始め、客電が点く。終りだと分っても暫くは誰も立ち上がらない。心地よい椅子の中で「時間を忘れた」症状そのままに、放心している。と、漸く高谷氏が客席から前方へ駆けつけて現われ、礼をした。拍手が起き、客席が動き始めた。

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    2024/04/10 07:30

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