漸近線、重なれ 公演情報 EPOCH MAN〈エポックマン〉「漸近線、重なれ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    一色洋平×小沢道成『漸近線、重なれ』(作:須貝英 音楽:オレノグラフィティ)観劇。
    住人たちが入れ替わるアパートを舞台に「僕」と他者との付かず離れずの交流、人と人との出会いと別れが描かれていく。そんな日々の風景にカットインする「僕」と「君」の往復書簡。互いに宛てた手紙に紡がれた思い、また紡げないままの葛藤が過去と現在が観客を物語の深いところへと誘っていく。
    と、このあらすじの時点でまず驚きなのが、これが二人芝居ということです。アパートの住人たちや大家さん、母や地元の幼馴染も出てくるけれど、演じる俳優は舞台にたった二人。人々の温度や息づかいの交錯するこの物語が一体どういう形で表現されているのか。その方法を是非劇場で目撃してほしい。
    どこを切り取っても人の温もりに触れることのできる、人の営みがすぐそばに見える風景に胸がギュッとなりました。大家さん、愛らしくて、愛おしくて。だけど、たしかにそこには、始まり、続き、そして終わる人生があって、「生きている時間」があった。人間の身体ができること、そしてこの身体が知っていることを慈しみながら見つめていました。舞台美術もまた驚き。劇場に入ってまず率直に思ったのは「ここでどうやってお芝居するの?」ということでした。

    ネタバレBOX

    正方形、長方形、円、八角形もあったでしょうか。視界が捉えるのは形のさまざまな窓、窓、窓。同じ屋根の下とはいえども、人々の暮らしにはそれぞれの形や在り方がある。そんなことを一目で伝えるような美術でした。人々を見守る屋根であり、人々の違いを彩る窓であり、そして、それは時に、世界にたった一人である「僕」が同じく世界でたった一人である「君」に向かう文字をしたためる便箋でもあって…。EPOCHMAN『我ら宇宙の塵』の星々の演出の素晴らしさ同様今回もまた小沢さんの斬新なアイデアがギュッと詰まった作品でした。なんというか演劇に魅せられた瞬間の原体験を追体験するような手触りがありました。
    全てを説明はしない台本というのは確かに素晴らしく、そういった本に出会う度、想像という喜びに心を震わせます。でも、本作は「作者が説明しないこと」よりも「人物が説明できないこと」に寄り添われていた気がして、私はそこにすごく惹かれました。言葉が追い付かなかったり、または言葉を追い抜いてしまうその心がそのまま音になっているような劇中音楽は、正に心がふと立てる音のようで。そんな言葉を越えた心を全身に背負い、纏い、体現する一色さんの繊細な横顔。花の咲くような笑みの端で本当は人知れずこぼれ落ちている涙。そんな瞬間をも見せてもらえたような気持ちでした。観終わってからずっと、言葉と文字の違いについて考えていました。「言葉にしたい」と思う気持ちと「文字にしたい」と思う気持ちは似て非なるものなんじゃないだろうか。「言葉にできない」と「文字にできない」もまた少し違う気がする。そんなことを考えながら、遠くに住む大切な友人に手紙を出したくなっていました。なんでそんな気持ちになったのか、それもまた言葉にはできない。だけど、便箋に向かえば、文字となって現れるかもしれない。そんなことを考えていました。劇中で一つどうしても好きなシーンがありました。妊娠中の幼馴染みが電話越しの「僕」に胎動を聞かせるシーンです。同じことを自分もしたことがあって、その記憶の来訪に思わずお腹を撫でてしまって、あの音はどんな風に聞こえたのだろうとしみじみ考えました。自分の顔を自分の目で見ることができないように、自分の(子どもの)胎動って自分の耳で聞くことはできないんですよね。でも、人は聞くことができる。それが少なくとも私にとっては、他者と出会うこと、他者がいることでこそ叶う喜びがある、というこの物語に通底する温もりを伝えるようなシーンに思えたのです。長くなってしまったけれど、大切な人にほど是非出会って欲しいと思った演劇でした。

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    2024/04/05 17:50

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