実演鑑賞
満足度★★★★
コールの後にスタンディングの女子たちが見え、ああこういう公演だったのだな、と。初めて名を見た若手俳優(坂東龍汰、綱啓永)と名前だけは知っていた新納慎也あたりが、娘たちのお目当てだったか。安くない金を払い観劇「参加」した公演を「素晴らしいものだった」事にしたいのは判るが、舞台そのものではなくこの場面(コール)の感動を味わいに来た(結果的に)のかも・・と意地悪く見てしまう。
それだけ難渋さのある舞台だった。だから「簡単に感動した事にしてくれるな」、という気持ちがもたげる。
改稿された事は公演後に知った。当初動画で語っていた俳優たちのノリ、コメントの内容と、初日の幕が開いた日のコメントとは趣が違う。
開幕時点で「え?これは1月1日以降に執筆した脚本なのか」と目を疑う。被災した海岸べりの状態である。そして明らかに能登半島地震が重ねられている。それまでの題材が事実の前に霞んでしまい、急遽内容を変えたのか・・と観ながら考えたりした。
が、実際は、当初横山氏が書こうとしていた不条理劇の設定が、天変地異が襲って土砂に埋まった島、であった所、現実に震災が起こり、この災害を想起させる内容であったため、上演を検討した結果改稿に至ったという。
つまり、そのまま上演したのでは「そこに震災の傷跡がある」事実に対し無神経な芝居となる、と判断されたという事だ。それによって私はこの戯曲は(ストーリー等は大きく変えずとも)決定的に変わったのだろうと想像した。
演出が瀬戸山女史であった事でこの改稿作業が今回の作品への展開を可能ならしめたのだろう、とも推察。鎮魂の劇である。
当初目指されていた「不条理」は、島に残った(あるいはたどり着いた)人物たちの滑稽さ、醜さ、突き放した辛辣な描写で現代日本を浮上させるものだったのかな、と想像している。そんな想像をしてしまったのは改稿前の「原形」の残り香、あるいは埋まらなさを感じたからである。だが急遽の改稿にしては、犠牲者の存在を強く感じさせた鎮魂のラストによく持って行けたと感服する。
数年後、元の戯曲(完成していたのであればだが)を上演する機会が訪れたら、それも一興なんだがな、と未練がましく考える。
2024/02/24 22:27