逢いにいくの、雨だけど 公演情報 スーウェイ「逢いにいくの、雨だけど」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    A CAST

    横山拓也の代表作ともなれば、そりゃ観てみたいもの。タイトルも詩的で煽情的。
    だがいざ観ると、ただただ鬱になった。オリジナルを知らない所為なのか、何か綺麗な巧い話には成り得ていない。個人的にはひたすら鬱。
    「受け入れてやっていくしかないじゃない!」

    オリジナルは2018年11月初演、2021年4月再演。
    勿論脚本の完成度は高く、是非とも一度は観るべき作品であることは間違いない。(佳乃香澄さんは浜口京子っぽかった)。

    子供の頃、左目を失明してしまう男とその事故に一端の責任を感じている女の物語。事故の起きた1991年夏と今現在の2018年冬が同時進行で語られる。

    BUCK-TICKの名曲、『RAIN』が頭の中で鳴る。

    Sing in the rain. 人は悲しい生き物
    笑ってくれ 君はずぶ濡れでダンス
    いつか世界は輝くでしょうと 歌い続ける

    ネタバレBOX

    子供達が通う絵画教室の夏休みキャンプ。母の形見の大切な宝物のガラス製のペン。それをふざけて取り合いになった女の子と男の子。もののはずみで左目に突き刺さってしまう。絵が上手で褒められてばかりいた男の子は失明し、両親は離婚する。男の子は義眼を嵌めて27年後の今では自動販売機の営業に就いている。野球場に営業に来た際、彼(武谷公雄氏)の義眼にいち早く気付く職員(関洋甫〈ようすけ〉氏)。職員もまた右目が義眼だったのだ。共通点から気を許し合った二人は年賀状の遣り取りをするまでに。彼から送られて来た羊のイラストが子供の読んでいる、賞を取った絵本のキャラと同一であることに気付く。その作家にコンタクトを取る職員。人を失明させた上、彼の生み出したキャラクターまで奪い去るつもりなのか?

    母を早くに亡くし、叔母に育てられた女の子。事故が原因になったのか、父親も家を出て行った。美大を出てからも焼肉屋で働きながら絵本を描き続ける。到頭新人賞に選ばれ、出版が決まった。彼女(はやしききさん)をずっと支え続けたマネージャー的存在の後輩(佳乃香澄さん)。そこに届く職員からの手紙。事故で失明させた友達との27年ぶりの再会。無意識に彼の創った羊のキャラを使用していたこと。

    女の子の父親(三澤康平氏)と男の子の母親(土田有希さん)は大学時代からの親友であった。自分の女房が昔からの男友達と親密にしていることがどうにも気に喰わない旦那(山村真也氏)。しかも今回の事故で自慢の息子が片輪者に。

    早逝した姉の娘の面倒を見続ける妹(領家ひなたさん)。姉の夫への秘めた恋心。二人がきちんと結婚して娘を本当の親として育てることが正解だと思っていた。

    誰の想いも空回り。全く思惑と現実はリンクしない。
    ブルーハーツの『青空』みたいな気分。

    こんな筈じゃなかっただろ?
    歴史が僕を問い詰める
    眩しい程、青い空の真下で

    MVPは武谷公雄氏、若き日の役所広司と佐々木蔵之介を足したような雰囲気。まるでぼんやりと佇んでいるような、どこぞでたゆたっているような存在感はまさしく文学。彼がこの27年間で培ってきた内的世界に登場人物や観客が触れることこそがこの物語の核心。どうしようもない事故の結果、大きくずれていった世界と自分の行き先。誰を恨み誰を憎み誰に何を伝えようか?

    三澤康平氏はteamキーチェーンの『雨、晴れる』でのトランスジェンダー役が鮮烈。今回もその清潔感と女性の親友との関わり合い方にそっちの要素も仄めかしているのかな?と思った程。誰もが亡き妻の妹と一緒になった方がいいと思う展開の中、それを拒絶して別居する頑なな姿勢がやたらリアル。本当は何を考えていたのか?本当はどういう人だったのか?作品の謎として残る。

    領家ひなたさんは亡き妻の妹、自分の二十代を姪っ子の世話に捧げた。この人のキャラが痛烈。余りに痛々しくて落ち込む程。世界は優しさだけで出来ている訳じゃないんだ。何一つ思ったようにいかない世界に打ちのめされても···、それはただただ続いていく。ラストの受話器を手に取る表情が映画だった。

    土田有希さんは複雑な役で領家ひなたさんと対になる設定。どうしようもない現実に向かって叫ぶ。「受け入れてやっていくしかないじゃない!」
    ラスト、息子である武谷公雄氏からの電話を受け取った時の表情。それはもう誰も共有することが許されない、彼女だけの想い。
    「彼女、僕のこと不幸だとでも思ってんのかな?」

    疑問が残るのがキャスティングの年齢的なもの。当時の父母の年齢を越えた子供達が、今だからこそ理解できる各々の複雑な気持ちと、醸成熟成された痛みこそが本作のテーマだろう。その為の27年間の隔たりな訳で、年齢を感じさせることが重要だった筈。幾つに見えるようにするべきか役作りを徹底した方がいい。

    ある戯曲を別の劇団が演るということは曲のカバーに近いと思う。何か本来の作品とニュアンスが違ってしまっているようにも感じた。(勿論その良さもある)。

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    2024/02/02 20:46

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