『ガラスの動物園』『消えなさいローラ』 公演情報 Bunkamura「『ガラスの動物園』『消えなさいローラ』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2023/11/07 (火) 18:00

    上手側にあるガラスの動物園が人の頭でずっと見えなかったのが残念だけど、ギリギリ全体が視界におさまる席で生声も表情も涙の雫さえも見える距離。最高。

    ネタバレBOX

    ガラスの動物園
    あらすじをざっと読んだだけで、完全初見。客入れは日本の80年代?70年代?の歌謡曲かなぁ、が流れてて、外国の話なのに客入れが日本のオールディーズなの面白いなって思った。
    えりさんのお芝居を舞台で観るのは初めて、だと思う。頭の回転が速い人なんだろうなぁ…台詞に口がついていってない。台詞間違い、台詞忘れ、噛む、言い直すのオンパレード。動きもちょっとバタバタしててうるさく感じた。他の登場人物たちがあまり大きく動かないからかもしれない。噛んだり言い直したりは全員あった。幕が空いて数日ですが、毎回こうなのか、今回だけか。あんまり台詞で躓かれると集中切れちゃうから嫌だった。稽古足りてないの?って思っちゃったけど、台詞以外は大丈夫そうなので、膨大な台詞量に口が回らなくなってるだけだと思われる。しっかり!
    年配の役者さんがズルいのは、たとえ台詞がおぼつかなくても、きめた動きがうまく出来なくても、長年の経験によって出る説得力や迫力が段違いだってこと。えりさんズルいのよ。口うるさくて感覚がズレてる母親の、子供に対する愛情だけは嘘偽りない真実なんだもの。特に娘に対する思い。女性の立場が低かった時代、結婚しなければ生きていかれなかった時代、女ひとりで生きていくことが困難だった時代、そりゃあ旦那が蒸発したあと女手一つで子供二人を育てあげたんだもの、娘には苦労させたくないって思うよね。普通、母親を重ねて見るものなんだろうけど、私は80過ぎの祖母を重ねて観ていた。「~しなくちゃいけない」と価値観を押し付けて、面白くもない話を聞かせて、子供のことを理解してると思ってるけど実際は何もわかってない、完全にうちのばあちゃんだった。子供の中に障害持ちがいる点も同じだ。我が子に障害があることを認めなかった母親。人と少し違う、けどそこがこの子の良いところって。
    狐晴明ぶりの吉岡里帆さん!めちゃくちゃ良かった。おどおどした喋り方も、ふわりと微笑む顔も、ぎこちない動き方も、びっこをひく足も、ジムに対して「推しを前にしたオタク」みたいな反応するところも、全部良かった。母親と弟のことを心から愛しているし、言葉でも行動でも表現する。泣きながら謝る弟をいいこいいこして抱きしめてあげる姿なんて、聖母様だった。酔って帰ってきた弟に膝枕してあげたりさぁ、仲良しで大切に思い合ってる姉弟だった。兄属性の松也さんが弟役ってのが新鮮で(もちろん、弟役も弟分役もたくさんやってきただろうけども)とても可愛かった。お姉ちゃんの肩に頭を乗せて甘えてるのとか、可愛すぎた。
    トムがジムを案内する時、客席で「ジム。あっちあっち」ってオフマイクで言って楽しそうに笑いあってて、本当に仲がいい様子が出てた。和田さんのチャラい役って見たことなかったから新鮮だった。もうちょっと好青年な役なのかと思っていたので、予想外。口が上手くて軽くて遊んでそうで、ローラと話していくうちに惹かれてキスまでして、ローラにも観客にも希望を見せた次の瞬間に突き落とす。婚約者がいるって打ち明けてからのローラの表情、痛々しくて見てられなかったよ。ろうそくに照らされた頬を伝う一筋の涙、悲しくて綺麗な涙だった。ローラがジムに渡した角をなくしたユニコーン、あのあとジムはどうするだろうか。大切にするって言うけど、きっとすぐに壊れてしまうし、婚約者になんて言うつもりなのか。
    松也さんがね、ずっと舞台上にいるんよ。いない時間もあるんだけど、トムとして存在してる時間と語り部の男として存在してる時間があるから、ほぼほぼ舞台にいる。台詞はなくてもじっと登場人物たちを見ていて時々動いて物を片付けたり隣に座ったりする。それが何を意図しているのか、わからないことのほうが多かったけど、さすが歌舞伎役者、芝居の邪魔になるようなことを絶対にしないからどこにどう存在しててもまるで舞台セットみたいに違和感がなかった。生演奏の入るきっかけ、語り部の松也さんがキュー出しすることもあって、責任重大だった。指パッチンの音が鳴らないまってぃ、SEつけてあげて…(笑)
    停電してパニックをおこしそうな姉を落ち着かせるために、ぴったりと寄り添ってガラス細工を蝋燭にかざしたりしてた姉弟の姿、良かったなぁ。オフマイクで吉岡さんが話しかけて松也さんが「え?」って感じで耳を向けて、そのあと吹き出してたの微笑ましかった。
    非常階段で抱きしめ合う母娘を包み込むように抱いた語り部の男…あれはトムだ。
    背中に布を足したアマンダのドレス、子供たちがそれを必死に隠そうとするのと、見てしまった時のジムのリアクションが良かった。
    絶望は絶望のまま終わっていく物語。貧しい現実、閉塞感、戦争には冒険があると目をキラキラさせる青年、家を出ていく男たち、残される女たち、幸せな未来など夢、誰も助けてはくれない。物語が始まった時より状況が悪くなって終わる。

    消えなさいローラ(和田琢磨ver.)
    ローラとアマンダの人格を行ったり来たりしながら演じ分ける和田さんの仕草、特にローラがすごかった。ガラスの動物園では内向的なだけで心優しくまともな受け答えをしていたのに、不条理劇・ナンセンス劇らしいめちゃくちゃな言葉のキャッチボール。言葉の通じないおかしな女。母親は死んだのだと、なんとなくわかってはいたけれど、彼女がドレスの胸元からガラスの馬を取り出した時、ひっかかった。胸のポケットにガラス細工をしまったのはジムだ。演じているのもジム役の和田さん。違和感。ワインを飲んだ母親が死んだ、それを隠すために、ここで弟を待つために、ローラは母親の死を隠し続けた、母親になりきってまで。けれど葬儀屋/探偵は言う。もうそんなことはしなくてもいい、トムさんも望んでいないと思いますよ…と。まるでトムが姉に寄り添うようにぴったりとくっついて肩に顎を乗せ、するりとドレスが脱げロングのウィッグが外れると、中からしどけなく胸元をはだけた(これはドレスから出ないためだと思われるが)ジムが出てくる。アンニュイな溜息をひとつ。頭を軽く振り、襟をぐいっと直す。そこまではジムの動きなのに、その後もローラであり続ける。カーテンの裏にあの日のドレスのまま寄り添って眠る白骨化した母娘が浮かび上がる。もし、この部屋にいた女がはじめからジムだとしたら、それこそ狂気。少なくともあの日から3年がたってる。あの停電の日、母娘が絶望した日、トムが出ていった日、あの日からすぐに2人が死んだとしたら、トムが出ていくことを知っていたジムが心配になって再び訪ねた時には変わり果てた姿だったとしたら、ジムは心を病んでしまったのか…いいや、それはありえない。あの日はじめてアマンダとローラに会ったジムが近所の人が見間違えるほど2人に化けるなんて不可能。だから、ジムの姿をした何かなのだと思う。パンフレットのインタビューでは「待つという概念」みたいなことが書かれてた。概念、概念か。ジムは何を待っていた?己の成功?天井からどさーっと砂が落ちてきて、その砂の後ろで崩れるジムと、テーブルの上に残されたドレスとウィッグ。ローラの抜け殻?話の間、アマンダとローラが亡霊のように現れては生気のない顔で虚空を見つめたり女や探偵を見ていた。この部屋で起きたことは現実だったのか。はじめからこの部屋には誰も生きてる人間はいなくて、探偵だというこの男も存在していなくて、死んだというトムの魂だったら少しは報われるんだろうか。
    最後、松也さんが綺麗な声で歌いだして、そこに和田さんもタイプの違う歌声で加わって、吉岡さんもえりさんも入って、ひときわ強く響く松也さんの歌声に「どうです?すごいでしょ?これが尾上松也ですよ」という謎のドヤ感をおぼえました。

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    2024/01/03 21:05

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