エネミイ 公演情報 新国立劇場「エネミイ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    「戦う人たち」
    自分にとってはいろんな点で楽しめる作品となった。個人的な思い出で言うと、俳優座研究所花の15期の高橋長英、林隆三、自分には「大江戸捜査網」十蔵旦那のイメージが強い瑳川哲朗の中高年トリオが主軸として活躍。
    高橋長英は若いころから気弱でどこか陰がある不幸な青年の役が多かったが、いまもその面影がある。林は私が10代のころから女性の間では非常に人気があり、「大人の男」として憧れる人が多かった。瑳川は若いころはスリムな筋肉質の体型だったせいか、蜷川演出の舞台を久々に観たとき、「腹ぶとん」を入れていると信じ込んだほど、お腹が出て貫禄がついた。この3人を見るだけで「あれから40年たった」という劇中の実感が伝わってきた(笑)。
    脚本が蓬莱竜太。モダンスイマーズの作品の印象とはまったく違うライトな印象。
    演出の鈴木裕美はジテキンの人だが、大学で自分のちょうど10年後輩にあたる学年で、職場の新人がジテキンのメンバーと同級生だった縁でその存在を初めて知った。当時の観客はまだ父兄と学友たちが中心で、職場にも「チケット買って」のお願いが新人さんより回ってきた。お母さんたちが「親衛隊」を結成して炊き出し並みの差し入れをしていた。自分の学年はあまり自前の学内演劇が盛んでなくて早稲田や明治の男子学生にくっついて細々活動している状態。東女の如月小春が脚光を浴びている時期で、本女はまったく影が薄かった。だからジテキンを知ったときは、ついにそういう劇団が本女にも出てきたかとたのもしく、ちょうどそのころは学内の演劇活動全体活気づいていたようだ。女の子たちがバブルを謳歌し、華やかに遊んでいたころ、ジテキンメンバーは自宅組でさえ、芝居にお金がかかっていつもビンボーと言っていた。そのジテキンの鈴木さんが中央の大きな劇場でベテラン俳優たちを演出するなんて隔世の感がある。
    また、10年後輩のその職場の新人とはまったく話題がかみ合わなかったせいか、その世代の鈴木さんが団塊世代が中心になる芝居を演出するというのが想像がつかなかった。
    この芝居は観る世代によって感想も違うと思うが、異なる世代や立場の登場人物たちが絶妙なバランスで配置され、目には見えないあの時代の空気と現代を鮮やかに浮き彫りにした点が高く評価できる。
    この時代を知らない2人の脚本、演出家の力闘にお礼を言いたい気持ちだ。
    パンフレットで作品解説をしているのが70年代、若者のカリスマ的人気を得ていた作家・柴田翔であるのも感慨深い。

    ネタバレBOX

    観ようかどうしようか迷っていたこの芝居を観ることにした最大の決め手は本欄のアキラさんのレビューを読んだこと。ストーリーも大変詳しく書かれているし、この芝居の魅力を的確に解説されている秀逸なレビューで、観たくてたまらなくなった。お蔭様と言っては何ですが、設定の説明等を大幅に省き、単純に感想だけを書きます。
    立派なマイホームを持っている定年間近の団塊世代の夫には、フラメンコの稽古に熱心な妻と、パラサイトシングルの娘と息子がいる。この世代の典型のような家族構成で、現代を象徴する家族だと思った。
    岐阜から2人の旧友が夫を訪ねて来るが、3人はかつて成田の三里塚闘争を戦った仲間。40年後に再会の約束をしていたのだ。夫は早くに活動を抜けたが、2人は有機農業をしながら、まだ社会活動を続けており、その催しに参加するために上京してきた。懐かしさの半面、夫には2人が煙たくもあり、早く帰ってほしいと思っているが、2人は嬉々として、家族に溶け込もうとし、家庭には異文化交流のような微妙な変化が生まれていく。
    婚カツに必死な長女・紗江(高橋由美子)に、婚カツ自体への疑問を投げかけ、どんな結婚相手がふさわしいか考えて意見を述べる成本(瑳川)は、紗江とディズニー・シーに遊びにいっておおはしゃぎで戻ってくる。TDLのあたりは関東大震災のとき安全な避難地に名が挙ったほど人家がまばらで、40年前の昭和には江戸時代の漁村の面影がまだ濃く残っていた。闘争を経た男とディズニー・シーでのハッピー・ホリディ気分の対比が鮮やかだ。
    温厚、紳士的で順応性がある瀬川(林隆三)は、多くを語らない分、挫折感や背後の過去の重さを匂わせる。林はかつて安保闘争の学生を演じたこともあるので、私はその作品の若き林を瀬川に重ねて観てもいた。
    自宅でネットの戦争ゲームをやりながら小遣いを稼ぎ、コンビニではシフト表作りを任される長男・礼司(高橋一生)は、成本の指導で庭に家庭菜園を作らされ、2人の活動にも興味を少し持ち始める。過去をまったく語らなかった
    父はそんな息子の変化に警戒心を募らせる。瀬川も成本もネットの戦争ゲームを試してみて、各自「面白いね」という感想を漏らすが、内には複雑な思いがあふれているに違いない。瀬川の「やってみないとわからないもんだね」とゲームについて礼司に感想を言う場面、その言葉の奥には実際にヘルメットと棍棒を持って警官たちと戦った男の苦々しさがにじむ。60年代から70年代初頭の左翼闘争は、昭和の戦争を終え、平和を迎えた日本における第二の戦争でもあったわけだが、活動の敗北と挫折により、現在では所詮戦争のシミュレーションだったような評価を下す人もいる。だが、戦いはシミュレーション・ゲームとは違うということを、この芝居で強く感じた。
    コンビニのシフト表を手に語る礼司の苦悩も心に響いた。瀬川もコンビニのお話が印象的だったと礼司に語る。高橋一生はいつもながら巧い俳優だなぁと感心する。
    夫・幸一郎(高橋長英)は家庭での希薄な存在感を示しながら、俳優の存在感はきっちりと示す難易度の高い演技には脱帽。
    礼司の友人の警官(粕谷吉洋)がこの家庭に持ち込む生活感も、70年代の活動家が持つ警官のイメージをくつがえす効果で面白い。松本修の芝居で何度か観ている粕谷が少ない出番できっちりと印象を残す。
    高橋由美子もアイドル女優のイメージをすっかり脱して舞台人になっていた。
    ここでの人たちはみんな何かと戦っている。専業主婦の加奈子(梅沢昌代)も内面的には戦っているはずだ。しかし、この芝居では、加奈子は人々のそれぞれの存在意義を語り、受容し、現実を精一杯謳歌しているたくましさをみせる。普通なら内に秘めた夫や子供への不満をぶちまける描き方をするところ、聖母のような慈愛と懐の深さで表現したところがいい。人間である以上、微笑を湛えたあの顔で加奈子もきっと何かと戦っているはずで、そこが紗江に「あの人にはかなわないわ」と言わせる所以なのだろう。
    加奈子のフラメンコや、リアルなゴキブリ追撃騒動の場面も楽しい。
    終幕近くに成本が実は幸一郎の顔を覚えておらず、娘や息子と話しているうちに「似てるなぁ」と思い出したという告白が効いている。人間タイムカプセルのようなお話だ。

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    2010/07/14 14:38

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  • アキラさま

    コメントありがとうございます。アキラさんのほうへ返信させていただきました。

    2010/07/15 22:15

    凄い熱のこもったレビューですね。

    >最大の決め手は本欄のアキラさんのレビューを読んだこと。

    拙い内容で、お恥ずかしい限りです(笑)。
    ただ、それで星5つだったのには一安心でした(笑)。

    2010/07/15 08:00

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