失われた時を求めて 第2のコース「花咲く乙女たちのかげに」 公演情報 三条会「失われた時を求めて 第2のコース「花咲く乙女たちのかげに」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 連続芝居のむずかしさ
    今回も観劇の3日ほど前に原作を読了。読むにつれ、スケールが大きくなっていく原作に対して、舞台のほうは毎回1時間ほどで完結しているので、頭の中の印象としては小説と芝居の比率が最後には象とその体にとまって血を吸う蚊くらいになるような気がする。テレビドラマなら連続ものは珍しくないが、舞台劇で連続ものというのは考えてみると非常に少ない。あってもせいぜい続編くらいだろう。
    そんなわけで大きなハンデを背負っているように思える今回のシリーズ上演。回を追うごとに観客数が減ることも懸念されるが、私個人としてはぜひとも最後まで付き合いたい。

    マルセル・プルーストの小説「失われた時を求めて」の第2篇「花咲く乙女たちのかげに」では、語り手である「私」の若いころの恋の対象となった女性たちが描かれている。スワン夫人、彼女の娘のジルベルト、海辺のホテルで静養中に出会った数人の若い娘。その中の一人、アルベルチーヌ。

    小説を読んでいて不思議に思うのは、主人公である「私」の年齢がはっきりと示されていないことだ。学校には通っていたはずだし、学校の場面が描かれていれば学年から判断して年齢も見当がつきそうなものだが、実際には学校の場面はまったく出てこない。主人公あるいは作者にとって、学校生活は思い出すに値しないということか。
    歴史的な出来事、たとえばドレフュス事件についての記述があれば、プルーストの生年(1871)から数えて主人公の年齢を類推することはできるが、それでも主人公=作者ではない。

    小説の内容について感想を書くのはシンドイのでやめておく。
    三条会による舞台版では、前半は小説の中に出てくるラシーヌの芝居「フェードル」を引用して、前回同様にスワン夫人の扮装をした大川潤子が舞台中央に置かれた机にのぼって「フェードル」の台詞を長々としゃべった。
    プログラムの解説によると、小説第2篇のモチーフは恋であり、演出家の関美能留にとっての初恋は「演劇」なので、それで小説の中に出てくる芝居を大幅に引用したのだという。プルーストの小説を舞台化したはずの芝居で、ラシーヌの芝居の台詞を長々としゃべるというのがなんとも人を喰っている。

    原作の内容をただ再現することはしない、とこれは最初から言っていた。原作と同じタイトルを持ちながらも、原作の内容からどれだけ飛躍できるか。今回の三条会の連続公演は、そういう趣旨の実験とみなすこともできるのではないだろうか。

    後半はジルベルト役の近藤佑子が、集英社文庫版の原作小説を手に持って、飛ばし読みするように内容をどんどん要約していく。

    少女役で登場した榊原毅と関美能留は、白シャツと細めのスカートという服装が、まるで東南アジアの外国人向けホテルで働く従業員のようだった。榊原は珍しく髭をきれいに剃って若々しく、関は長い髪をポニーテールにまとめていた。出演者はそのほか、少女およびラシーヌ劇の登場人物として立崎真紀子、主人公の私をナレーションのみで橋口久男。

    プルーストの小説についてウィキペディアであれこれと調べていたら、面白い記事を見つけた。世界で最も長いといわれることもあるらしいプルーストの小説。その内容を15秒で要約するというコンテストが、イギリスのお笑いグループ、モンティ・パイソンのコントの中に出てくるらしい。この時期、そのコントが猛烈に見てみたい。





    0

    2010/07/01 22:31

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大