期待度♪♪♪♪♪
『こたつ』というのは、言い得て妙だと思う。
『こたつ』は果たして現在もなお、存在するのか?
『こたつ』にいても、それぞれの心に『こたつ』は、あるのか?
それぞれがそれぞれの『こたつ』をそれぞれのスマホのなかの閉ざされたSNSのなかに、持っている気がする。
現在では、SNSには『開かれたSNS』と『閉ざされたSNS』とが混在し、閉ざされたSNSは一般的に村社会と呼ばれたりし、差別と暴力と排除の論理が支配する。親和ではない。
日本的いじめは、閉ざされた病んだSNSのなかで起き、歴史を分析する限りではほぼ全てが、社会的統率力を増すための練習相手として無害な社会的弱者を一方的に殲滅するだけで、一般人の目には触れず、大々的に事件化した時にだけ、その凶暴性が報道されたり捜査されたりする。
果たしてウクライナの人たちのこたつを壊させたのはだれなのか?
『凶暴なウクライナ人が、ウクライナに住むロシア人のこたつを壊そうとしたんだ』と、ロシアに住むロシア人たちに囁いた、ちいさなプーチンがたくさんいたんだと思う。
ただそれは第二次世界大戦でナチスを見て真似をしたウクライナ人たちが一部におり、逃げるユダヤ人やポーランド人を後から攻撃したので、それをさらに安全な後方から観察していたロシア人には一般的に信じられやすい言説だと思う。
ロシアの歴史は学びがある。
昔の日本人たちは、ヨーロッパ中の荒くれ者をまとめて統率し凶暴な軍隊にしたドイツを手本にしたけれど、現代では、上の命令に盲目的に服従することの多い暴力的なロシア社会を手本にしている気がする。
日本はロシアを敵視した演技をしながら実際にはロシアを手本にし、確実にロシア的な方向に進んでいるが、キリル文字のSNSがふつうの日本人にその『ロシア的な社会への接近の予感』を気づかせることを遅らせている。
敵視しているものには目を背けたくなるもので、自分たちに都合の良い一方的な情報しか目にしたくなくなるから、実際には敵視している社会に自分たちが似てきているのに、まだ多くの日本人たちが気づいていない。
日本の企業経営者…というより巨大株主にロシア信者が多いのも、以前からの接近の現れだと思う。
冷戦のときからそれは始まっていた。
戦争は『心の病』から起きる。
こたつがあると信じ込むがゆえに、こたつを壊そうとしている人たちを怖れて病気になり、他人のこたつを破壊するのが、現代の戦争なのかもしれない。
他人のこたつを壊せとささやく人たちを、冷静に観察して分析するのが、現代の演劇に課せられた使命なのかもしれないな、とも、のんびりあさ河原を散歩して小鳥の囁きを耳にしながら思ったりもする。
健康な心に戦争は起きないから、あさはのんびり散歩がいいよねっ。
今晩見に行こうかと。
でもあさは良いにしても、夕方はけっこうタイトなスケジュールです…
(@_@;)マニアウカナ…🐣