電車は血で走る(再演) 公演情報 劇団鹿殺し「電車は血で走る(再演)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    ロックで、切ない叙情派
    音楽は低音を響かせるロック。
    派手な衣装と、生演奏。

    だけど、そこで語られるのは、人と人のつながりの、切なさが溢れるストレートな物語。

    初めて鹿殺しを観たけれど、なんか、こう、ぐぐっとくるところがあるんだな。

    ネタバレBOX

    電車は、郷愁を誘う。
    私は、鉄っちゃんではないのだが、やはり、どこかへ、ガタンゴトンという音とともに揺られて行くというところに、哀愁も郷愁も感じる。

    亡くなった親方が運転する宝電鉄の電車に揺られ、鉄彦は、昔の小学生のままの姿で帰ってくる。
    昔の仲間たちは、すでに成人し、大工として働いている。そして、続けていた演劇を辞めようとしている。

    ただし、昔の仲間たち、と思っているのは、鉄彦だけで、実は、その仲間たちからは、昔は疎まれた存在であった。
    そんな切ない、片思いのような関係が、昔の記憶とともに、蘇り、成人していた仲間が感じていた「後ろめたさ」に気がついていく。

    そして、演劇と劇団というキーワードは、イヤでも、それを演じている鹿殺しと、オーパラップしていく。演劇・劇団に対する想いが、この舞台にある。「劇場をつくろう」という歌とともに。

    さらに、物語は、宝塚ということから、福知山線の痛ましい事故を思い出してしまう。その事故の扱い方には、異論もあるだろう。しかし、いろんな想いを乗せて電車は走り、その人たちの命を運んでいて、さらにその人たちを取り巻くたくさんの人々の記憶や想いも乗せているということが、ひしひしと伝わる。

    楽団の電車は、金管楽器が中心で、その音色は、哀愁がある。歩き方にも注意が払われていて、それがとてもいい。
    楽団のメンバーは全員、どこかを怪我していて、包帯等をしているのは、あの事故の列車だったからなのだろうか。

    楽しいのに、切ない、そんな列車だ。

    人と人との関係は、鉄彦を襲った不慮の事故だけでなく、意外と簡単に切れてしまうことがある。それは、劇団に集まった人たちも同じで、運命で集まったように思えても、ある日突然関係が断ち切れてしまうこともあるのだ。それがまた結びつくこともあろのだが、人と人との関係は、そんな危うさの上に成り立っているのだ。

    鉄彦を演じたチョビさんが圧倒的に印象に残る。
    「○○やんか〜」という口調で、例えば、犬に話し掛ける言葉までも、哀しく聞こえてしまう(この口調は好きだ)。

    鉄彦が戻ってしまう電車を阻み、仲間の御輿電車で幕となるのは、とても美しいと思った。

    ただ、歌、特にソロパートのところは、もっとロック調(ジャパメタ調、あるいはロック歌謡調)だったら言うことはなかったのだが。

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    2010/06/24 06:06

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