おかえり 公演情報 さんらん「おかえり」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    かわいらしい小品。
    休憩を挟んで観る大作を物するかと思えば、こういう小さな作品も一つならず書く(中編も書く)。作者の創作の泉のありかを覗いてみたい、そんな風に思う事は他の劇作家にはあまりない(大概の劇作家は傾向、作風が固まっているものだし)。
    勿論尾崎氏の作風というのもなくはない(今作にてそれを認識)が、振り幅は中々である。

    ネタバレBOX

    幽霊が出てくる芝居は前作もそうであった。以前ある戯曲賞の選考の講評にて審査員が「半数以上が幽霊物だっだ」と辟易していたが(映画「ゴースト」なる名品は幽霊物のモデルと言える)、幽霊やエスパーや超常に通じた存在はドラマを面白くする。その審査員はこのアイテムに頼った駄作が多かったから酸っぱい事を言ったのだろう。尾崎氏のは幽霊である事の必然性を納得させ、面白く見せる。
    今作は50分という古民家で観るに程よい長さ。夫婦のやり取りを間近に見る芝居だが、片方は死者である。部屋のあちこちに茄子と胡瓜の精霊馬が置かれ、お盆だと分かる。男が焦って家中を動き回っている。と、女性が庭に現れ、スタスタという感じで入って来る。「いつもより遅い!」が男の開口一番である。最初の年は早朝だった、年々登場が遅くなってる・・でも自分で選べないから、と妻。
    幽霊だが「実体」があるという設定である。一年に四日間だけの夫婦の営み。これを男が如何に待ち詫びていた事か。
    ところがそこへ他者(妻の弟)が訪ねて来て、夫婦水入らずの時間を邪魔する(弟には姉は見えない)。弟が持ち込んできた話=立ち退きの件に、妻も「なになに」と関心を持つ。一人やきもきする夫。
    徐々に家を取り巻く状況が見えてくる。この場所がさいたま市の誕生する前の与野市であり、再開発の話の中で立ち退きの対象となっており、彼一人が拒んでいる事など・・。

    さて、終わりの日がやって来る事は既に知れた所で、そこにどのような意味が込められるか。言わずもがななメッセージに一石投じる捻りはあるか。
    物語自体には、夫が望んでいる「繰り返される」時間を生きるあり方に、「変化」を促す必然性を私は感じないのだが、戯曲は「変化」を必然として書かれていると見えた。
    現実の「時と場所」を作者が設定した意図も、そこにあったのだろう。
    私が持つその前提(時間の捉え方、前進していく時間=近代の時間は絶対ではない)から見ると、テキストの中の台詞に説明足らずを覚える(芝居は自然に流れて行くのですっきり見終えるが、解消し切れてないものが残り、その理由を突き止めるとそのあたりであった)。
    芝居は観客の想像による補完によって成立する所が大であるが(難易度は様々だが)、とくに短編はその領域が広い。今作で、「タケちゃんたちとも仲良くして」と一度ならず妻が言うその背景を、想像に委ね、詳細は省略されている。「今の状態が不自然だ」、と妻が夫にやんわりと知らせているのである。ところが私ときたら「いいじゃんこのままで」と思っていて、一人立ち退き拒否を続けるという男の選択を否定される必然性がない。だから「もう少し喋って頂戴」・・と内心欲していたのであった。

    いずれにせいても、何か驚かせてくれそうな質感があり、あるいはこれが「さんらん」らしさ、かも? 次作は本格作品のようで愉しみ。

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    2023/10/08 08:58

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