実演鑑賞
満足度★★★★★
昨年の紀伊国屋サザンシアターでの「欲望という名の電車」に続き、テネシーウィリアムズを取り上げた、文学座のコンセプトに共感する。
まるでアメリカ南部のとある町に立ち寄ったような錯覚を覚えさせる、俳優一人一人が立ち上げる空気感。それは、文学座にいつものことと思いながらも、やはり圧倒される。そして、同じ1軒の店内で起こる出来事を、3時間見ただけで、観客はアメリカという国の根っこに、複雑に絡み合う葛藤があり、現代に至りなおはびこっていることを痛感させられる。
自由主義の盟主として世界を主導し、ウクライナ戦争に於いても、大きな存在感を示すアメリカに、差別と偏見の熱病がはびこっており、それが地獄を生み出している衝撃。
地獄は、キリスト教の厳格な倫理観が、規格外れの不道徳な人間を処断し、排斥する中で生じており、自由を求め憧れる者は、皆犯罪者のように、白い目で見られている。
ギリシャ神話の中で、吟遊詩人オルフェウスは、亡き妻エウリュディケー会いたさに、命を絶ち、あの世を訪れ妻と再会する。しかし、決して振り向いてはいけないという戒めを破ったため、妻を連れ戻せなかった。
ギター弾きの色男ヴァルは、夫との間で地獄に落ちて苦しむレイディの救いの主となる。しかしレイディは、狭い世界の幸福に拘り、ヴァルを地獄にとどめようとする。自由を求めるヴァルは、愛する人を捨てたため(振り向いたため)殺されてしまう。この世界の掟(倫理)を破ったため、レイディも殺される。
地獄と対比して描かれているのが、体の透き通った、足のない、小鳥。地に触れたら、その鳥は死ぬと言う。ギター弾きは、その歌う哀切な歌によって、彼がこの世界で生きては行けない鳥であることが暗示されている。また、重い病で2階に閉じこもっていたジェイコブが銃を持ち、登場する場面は、地獄の主が、天から降りて来たことを想わせ、たいへん印象深い。
この世界に希望はない。神もおらず、結局天もない。差別や偏見に満ちた、酷薄で凄惨な現実があるばかり。その哀しみを、神話に重ねて昇華した原作のすばらしさ、そして、それを見事に表現し切った俳優さんたち、演出を称賛したい。